第23話:ハッピーエンドの定員

 僕は返事をするよりも先に、両手でそれをつかみ、背負い投げをする。壁にびたん! と人型の存在が張りつき、仰向けに倒れる。


「びっくりさせないでくださいよ」

「びっくりしたのはこっちだよ!」


 頭をさすりながら編集さんが起き上がる。マスクは着けておらず、いつもはぼんやりとしたたれ目を逆三角にしていた。


「人は経験から学ぶ生き物なんですよ」

「だってうちは人じゃないもん」

「元は人でしょうが」

「人は過去を振り返ってばかりじゃ成長できないんだよ、シンイチくん?」

「人質の前で名前出さないでくださいよ。夜叉小路白雪花子さん」

「こういう時にだけフルネームで呼ぶなよなあ!」

「僕に生意気なこと言ったら、また唇ふさぎますよ」

「べべ別に、ととと、年下とち、チューするくらいな、何ともでないし!」

「じゃあ今すぐ試してみましょうか」

「ごめんなさい、やめてえ!」


「……ふふっ」


 僕と編集さんが同時に顔を向けると、藤城ありすがくすくすと笑みをこぼしていた。やがてこらえきれないとばかりに、声を上げて笑い始めた。これじゃ、誘拐じゃなくてただのお泊まり会だ。


「……どうしたら、この子は報われるんでしょうか」

「へえ、助けたいんだ?」

「あなたは違うんですか」

「さて、どうかなあ?」


 とぼけつつも、口元はにやついていた。


「方法がないわけでもないけど。ただ、うちらはこうして顔を見られちゃったわけだし、ありすちゃんにも少なからず協力してもらわないといけないんだよね」


 僕らがこの事件を起こしたのは、仕事だからだ。これだけは忘れてはいけない。


 誘拐は、悪。


 犯罪は、悪。


 罪を憎んで人を憎まず。みんなで助け合って、幸せな世界にしましょう。


 藤城ありすには僕らの存在を黙ってもらわなければならない。この子の証言は、どんな物的証拠よりも信頼に値する。口が割れてしまえば一巻の終わりだ。


 端的に言えば、両親よりも僕らを信じろ、ということだ。そして世界中の人間を一生騙さなければならない。


「全員がハッピーエンドを迎えるのは不可能だよ。多少の犠牲者は出る」

「その犠牲者ってのは誰なんですか。このくそったれた事件の泥をかぶるのは」

「そりゃ、決まってるでしょ」


 もちろん、そんなこと聞かずともわかっている。今の質問は形式的なものに過ぎない。


 ちなみに編集さんはミヤコさんに怒られるのが大の苦手だ。


 ならば残されたのは、僕しかいない。


 覚悟はあるか。


 そんなもの、ない。


 だがまあ、説教を肩代わりするくらいなら別に構わない。ミヤコさんの辛辣な言葉攻めなど、今の僕にはちっとも響かないのだ。反省はすれど、落ち込んだりはしない。こういう時ばかりは無感情なのがありがたい。失うものなど何もないのだから。


 僕は正座をして、編集さんに頭を下げる。



「藤城ありすを助けるために、僕に力を貸してください」



 ぽん、と頭の上に手のひらの温もりが宿る。



「お姉さんに任せなさい」



 編集さんが頼もしく見えたのはこれが初めてだった。

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