第27話 きみのせい
本気だった。季帆は、いつだって。
「……いや、意味わかんないけど」
いまいち目の前の状況が呑み込めないまま、俺は上擦った声を投げる。
季帆が立っているのは、転落防止の柵の向こう側。人一人がぎりぎり立てるぐらいのその後ろには、もうなにもない。すぐに足場は消え、数十メートル下の岩場と波打つ海面が見える。
「なにしてんの、お前、マジで」
混乱しながらも、俺はいそいで立ち上がる。拍子に、右足が足下の小石を蹴った。勢いよく転がったそれは、一瞬のうちに視界から消える。柵の向こう、崖の下へと一直線に。
その光景を目にした瞬間、ざあっと血の気がひいた。
「季帆」とっさに手を伸ばし、彼女の腕をつかんだところで
「土屋くんが、ここから飛び降りようとしたときのためです」
まっすぐに俺の顔を見つめたまま、季帆が口を開いた。
場違いに落ち着いた声だった。
「は?」
「もし本気で土屋くんが飛び降りようとしたら、私じゃ止めきれないかもしれないじゃないですか。男女の力の差とか考えたら、本気で抵抗されちゃうとたぶんどうしようもないかなって。だからちゃんと対処できるように、ここにいようと思って」
「対処?」
「はい」
あいかわらず真剣な表情で、季帆は強く相槌を打ってから
「土屋くんが飛び降りると同時に、私も飛び降ります。落ちながら土屋くんに抱きついて、私が土屋くんの下に落ちるようにします。そうして私の身体をクッションにして、土屋くんを助けます」
「……は?」
「だから土屋くん、飛び降りても無駄ですよ。どうせ土屋くんは死ねませんから。私がなにがなんでも助けます。残念ですけど」
「……いや、なに言ってんの」
渇いた声で突っ返す。
軽く目を細めた表情はどこか得意げにすら見えて、あきれた。電車の中で、樋渡を奪う方法を語っていたときと同じだった。なんの迷いも、ためらいもない表情。
季帆は本気だった。いつものように。
嫌になるほどそれを実感して、俺は目を伏せる。
そうして季帆の腕をつかむ手に力を込めながら
「そんな上手いこといくかよ。どうせそのまま落ちて、二人とも死ぬだけだろ」
「そのときはまあ仕方ないです。土屋くんが死んだらもう私に生きる意味なんてないし、いっしょに死ねるならそれはそれで。もし土屋くんが私より先に死んだら、私もすぐに死ぬだけだから」
「……なに言ってんだよ」
「ここまで土屋くんが死ぬことを邪魔できたら、もう充分かなって気もします。最後は上手くいかなかったとしても、土屋くんのためにここまでやれたんだって思うと、充分、仕返しできたかなって」
仕返し、と俺は掠れた声で繰り返す。
何度となく、季帆が口にする言葉。
俺につきまとうのも、七海から樋渡を奪うのも。ぜんぶ仕返しなのだと季帆は言った。俺を助けるために、ここから飛び降りて死ぬことも?
わけがわからなかった。なにひとつ。
こいつのすることは、ずっと。ずっと。
「……なんで」
たとえば、七海が俺より先に死んだとして。俺は七海のあとを追ったりはしないだろう。これまでの俺の人生のすべてだったと言える、彼女でも。
「なんで、そこまですんの、お前」
なのに季帆は、死ぬという。俺が死んだらすぐに、あとを追って。
心の底からわけがわからなくて、途方に暮れる。
だって。
「お前にここまでされるようなこと、なにもしてないだろ、俺」
季帆のためを思って俺がなにかしたことなんて、いちどもない。
優しくしたことも、喜ばせようとしたことも。
俺にとって季帆はただわけがわからないストーカーで、煩わしくて、怖くて、だけど七海から樋渡を寝取ってやるなんて言うから、本気なら利用してやろうかと考えてしまったぐらいで。
季帆のことなんて、いちども、まともに見ようとしたこともないのに。
なのに。
「しましたよ。四月十四日の朝、私に声をかけてきました」
迷いなく返ってきたのは、前にも聞いた答えだった。何度聞いても、さっぱり意味がわからない答え。
「だから」もどかしくて、俺は語気を強めて突っ返す。
「なんでそれだけで、ここまでするんだよ。ちょっと声かけただけじゃん。大丈夫かって」
それがうれしかったのだとしても、ここまで入れ込まれるような理由はない。ぜったいに。
俺と同じ高校に通うために転校して、毎日同じ電車に乗って俺を眺めて。俺の恋を叶えるために、好きでもない男に近づいて、恋人から奪おうとして。
挙げ句の果てには、俺を死なせないために、自分が死ぬのだという。
意味がわからない。
「だけ、じゃないですよ。だって」
俺の声が必死だったからか、季帆はちょっと困ったように笑う。あいかわらず場違いな、落ち着いた笑顔で。
「あの日、土屋くんが声をかけてきたせいで、私は今も生きてるんですから」
「……は?」
「私ね、あの日」
そこで軽く言葉を切った季帆が、ふっと目を伏せる。
一瞬だけ、迷うような間があった。だけど一瞬だった。またすぐに視線を上げた季帆は、まっすぐに俺の目を見据え
「死のうとしてたんです。四月十四日の朝」
そう、言った。
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