陽炎の弟子-八色蟲隊軍記-

緋崎水那

或る者の独白


 カナカナカナ……。


 ヒグラシの声で意識が覚醒した。

 窓を見やると、もう夕暮れであった。

 頬が濡れている。

 夢を見て、泣いてしまっていたらしい

 涙を拭う。

 夢の内容は朧気だが、とても気恥ずかしく、懐かしい夢だった。

 あの人が――あの人たちがいた若かかりし、愚かな自分だった頃の。

 揺り椅子から体を起こす。

 今、自分が座っているなど……あの頃の自分は予想だにしなかったことだろう。


 カナカナカナ……。


(……ああ、夏が終わる)

 あの頃は、季節の変化を楽しむ余裕さえなかった。

 ただ、この場所から抜け出したくて。


 あの人に、認めてほしくて――。


 鼻の奥がとなった。

 涙が溢れる。

(……泣くな……泣くな!)

 拭っても、拭っても、とめどなく溢れる。

 あの人は――あの人たちはもういない。


 もう、いないんだ……!


 なにかが覆い被さった。

 目に飛び込んできたのは、あの人の〝色〟。

 白銀の中に、ひときわ目立っていた〝赤〟。


「――大丈夫」


 その声に安堵する。

 ああ、彼はあの人の〝色〟で、自分の悲しみを覆い隠したのだと察する。

 この人はいつも、自分の傍に寄り添ってくれた。

 どんな時だって、いつだって……。


 八色蟲隊ここに来た時から、ずっと――。


 彼は言う。


「――泣いてもいいよ」


 うん、とうなずいて、声を出して泣いた。

 何年経っても、この時期になれば思い出してしまう。

 あの人たち――あの人と、永遠に別れてしまった時のことを。

 時が経つにつれて、あの人たちを、あの人のことを思い出せなくなってしまうことが恐ろしい。


 だって、あの人は――、


 そこに〝あって〟、そこに〝ない〟

 そこに〝なくて〟、そこに〝ある〟


 ――そういう人だったから。


「……ありがとう。もう大丈夫」

 覆い被された羽織を取り、揺り椅子から立ち上がる。

 軍服の上から朱色のを肩にかけ、留め具で外れないようにする。

 軍服と組み合わさると、不格好極まりないが、改めるつもりはない。

 すっかり、ぼろぼろになった裾を翻す。

 羽織これはあの人が、残してくれたもの。


 そして自分あたしも、あの人が残した最初で最後の弟子だから――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る