第122話 罠

 黒トカゲが仲良く階段を降りていってから数十分。シーラの索敵により魔人はまだ魅了された仲間と一緒に居ることが分かった。

 俺も階下の無力化のため、二階で息を潜めて待機している。各部屋に居る魔物たちが暴れ出したら大変厄介である。


《館の仕組みは大体わかりました。次はこの子と一緒に進んで下さい》


 共鳴する指輪からの念話──黒トカゲが一匹、俺の前でかいがいしく待ってくれていた。つぶらな瞳が案外愛らしく、手を差し出すと俺の肩に登ってくる。


《分かった》


《次は階段前、そこを降りれば大広間です。魔人はドアを隔てて部屋にいます。 ……魔術実験をしてますね。気をつけて下さい》


《皆は酷いことをされていないか?》


 移動しつつ話す。酷いことの種類は様々だ。肉体的な苦痛を伴うもの、精神を苛むもの、女特有の苦痛──種類によっては部屋に飛び込んで今すぐ止めさせる必要がある。


《今の所は……大丈夫です。あの、その、飛び込まないで、下さいね?》


《大丈夫だって。心配性だなあ》


《……では手筈通りに》


 部屋からくすねた金ダライに水生みの筒インフィニトムでなみなみと水を注ぎ、わずかに揺れる水面に睡眠効果のあるポーションを一瓶まるごと注ぐ。

 人間に使うのなら百倍以上に希釈すべき原液だ。だがこれでは只の薄めた睡眠薬。そこで出てくるのは不滅の種火イムレタル・イーニスである。


 ゴツゴツとした石を渾身の力で握りしめる。直ぐに赤熱化したので急いで金ダライに投入。しばらく待つと勢いよく沸騰し始めた。

 睡眠ガスを吸うと昏倒するため急いでシーラから貰った赤色のハーブ──名前を聞いたのだが失念してしまった草を咥える。


「ぐぅう……なんて味だ……」


 葉っぱから感じる青春じみた苦味、人生が如き重苦しさ、枝から染み出す汁は柑橘類の爽やかさがあるが──舌に当たると新妻をイジメる姑のような酸っぱさが襲いかかってくる。


 目眩を感じつつ口元を布で覆い、更にハーブを噛ませて、もう一枚布を巻く。鼻からも匂いが入ってきて辛い。


 後は睡眠ガスが階下に行くのをぼんやりと眺める。モクモクとスモーキーな煙と言うべきか、水蒸気らしきものが川の流れのようだ。


 しかし魔人が座すは階下のドア向こう。

 この睡眠ガスを吸うことはないだろう。


《ガスが充満したら最終段階に入る。シーラも危険と感じたらスクロールで帰還して欲しい》


《分かりました。念話はいつでも可能なので、危ないと感じたら呼んで下さい》


《……ありがとう》




 ◆




 睡眠ガスが充満した一階を歩く。


 毒や麻痺などの肉体的なものから、魅了などの精神的な変質については個々人によって耐性が違う。マナを取り込んで変質した肉体では耐えられる閾値は違うし、鍛えた肉体とこの苦酸っぱいハーブのお陰で、睡眠ガスも耐えられる寸法だ。


「火……素晴らしい……」


 シーラの小部屋から最も遠い一角で俺は放火に勤しんでいる。不滅の種火イムレタル・イーニスは火起こしにも使える優れもの──シリウスとサレハの思いやりをひしひしと矮小な身に感じさせてくれるのだ。


 煌々と燃える廊下、豪奢なカーテンに燃え移ればもう手遅れだ。水をかけたぐらいでは消せやしない。さあ燃えろ。もっと燃えろ。


 魔人如きに舐めてもらっては困る。

 王宮だって燃やした男なのだよ俺は。


 火の魔力に取り憑かれていた俺であるが、すぐさま使命を思い出して魔人のもとまで駆ける。睡眠ガスの煙は火煙に紛れて分かりづらくなっている。さらにこのガスは「空気より比重が大きいんですよ」とシーラが言っていた。


 だから煙は上に行こうとし、睡眠ガスは下に行こうとし、この階からこのガスが消えることはないのだ。


 部屋前についたので乱暴にノックし、部屋のドアを勢いよく開ける。


「大変でございますイサルパ様! 狼藉者共が館に火を放ちました!」


「なにぃ、対処できるか?」


「はっ! 必ずやご期待に沿えてみせます!」


 俺がまだ魅了にかかっていると信じているのか。シリウスの記憶を辿れば嘘だと分かるはずだ。ならば魔人はすべての記憶を瞬時に理解できるわけではない。


 だがそれすら欺瞞工作ブラフなのか。

 乱雑な憶測をしている最中、睡眠ガスが部屋に入り込んでくる。最初にファルコが崩れ落ち、次にシリウスとリリアンヌが額を抑えて蹲り、直ぐに意識を無くした。


「ちょっとぉっ! 何なのよコレェっ?」


 魔人には効いていない。肉体が優れているのだろうか、種族的な特性があるのだろうか。口元を抑えて端正な顔をしかめている。


「人というものは脆く、火の煙を吸えば死んでしまいます」


「はあっ? 使えないわね……ったく、何でアンリは無事なのかしら?」


「布で口元を覆っております。そのせいかと」


「ふうん」


「部屋を出ましょうイサルパ様。さあお手をこちらへ」


 片手で魔人の手を取って大広間に出る。


「潮時かしらね……さっさと終わらせましょうか……」


「潮時とは何で御座いましょうか?」


「魂とは心の中核を成すもの。只の肉塊に過ぎぬ体に唯一性をもたらし──死後は循環しことわりに従う虚ろなものに変わる。だから……魂を奪うには……生きている心の中に入る必要がある」


「そうでしたか」


 魔人の死角に移り、柄に手をかける。

 殺す。全身全霊の、乾坤一擲の攻撃で。


「お前のように魂を奪う剣があれば話は楽なんだけ──」


「死ね」


 一閃。横薙ぎで胴体を両断し、薄汚い臓物をぶち撒けさせる。返す刃で首を斬り落として更に四つに斬り分ける。

 薄赤色に染まる床を気にもせず斬り刻んで、肉体を拳ですり潰す。ゴチュリと鈍った音が耳に入り、何とも言われぬ不快と愉悦を覚えた。


 何度も、何度もそうする。


 最後に拳を振り下ろすと、石床に当たって鋭い音を立てた。僅かな痛みに不愉快を覚えると、もう既にそこに魔人イサルパは無く、四方八方に肉片が飛び散っているだけだった。


「終わったか……」


 赤に染まった手と剣を拭い、部屋に戻ろうとする。だが何故か。心に違和が残る。あの魔人がこれしきで、殺しただけで死ぬのか?


「──話の途中でしょうアンリ」


「何処だッ!」


「そう、魂を奪うには心中に入る。もしくは心だけの領域、ああ結界というのかしらね。そこに閉じ込めて屈服させればいいのよ」


 剣を構えて魔人を探す。しかし声がする方向には何も居らず、嘲笑を含んだ声が帰ってくるだけだ。


「記憶は覗かせてもらった。この中では──お前、アンリの魂が最も脆く、そして強いわ。奪わせてもらうからぁ」


 壁にイサルパの顔が浮かぶ。一つではない、見渡すと四方の壁、天井、床に至るまで醜悪に嗤うイサルパの顔が染み出すように、盛り土のように浮かび上がってきていた。


 一つを剣で潰すが、馬鹿にするような笑い声が返ってくるのみ。


「もしかして、この部屋自体が魔人イサルパなのか?」


「ご明察~、ワタシが脆い体一つで出歩くわけ無いでしょ~。にしても、騙されたわあ。まさか魅了にかかってなかったなんて。まあ……アンリが強い魂を持ってるってことなのかな?」


「知ったことか! 斬り刻み、燃やし尽くして殺してやる!」


「ワタシの方が早い。記憶に溺れてしまえ」


 目も眩む閃光が部屋に走り──足元が消え去ったかのごとく不安定になる。これは魅了では無い、恐らくは先程言っていた結界に閉じ込めるためのものか。もしくは単純に殺すためのもの。


 思考を働かせて解決の糸口を探るが、自分という存在がほつれを解くようにして朧気に──どこか客観的に、俯瞰的に見るようにして──俺という存在が消えていくのを感じた。




 ◆




 俺が歩いている。


 目線が高い。いや俺、違う僕は『俺』なんて乱雑な言葉は使っていなかったはずだ。そうだ、今は仕事からの帰り道。いつものように薬師に頼まれて森に入り──そして家族のために働いた。


「今日は疲れたな。昼過ぎには帰れるだろうか」


 野鳥がチチチと鳴く以外は静謐に満ちた森だ。新緑の大地を慣れた足取りで進めば、頬に当たる風が気持ちいい。


 村が見えてくる。

 あの口の悪い薬師ブロルは「遅いぞトビアス」と怒るのだろうな、と考えると愉快な気分になる。勝手知ったる口の悪い友、でも人見知りの彼が軽口を聞けるのは僕くらいだ。そう考えると悪い気分はしない。


 軽い足取り。村の入口には妻と娘たち。

 僕は口を開いて笑顔の家族たちにこう告げた。


「ただいま、トール、シーラ。それとノーラ」


「ちょっとトビアス。『それと』って……私はついでなのかしら?」


「悪い悪い。変な意味は無かったんだよ」


「もう……さあ、帰りましょ。あなた」


 妻の手を取ると娘二人が足元にしがみついて来た。頭を撫でると嬉しそうに笑うのだが、どうしても歩きづらくて困ってしまう。


「僕は先にブロルのところに行くよ。三人は家で待っていてほしいな」


 トールが「ボクは分かったよ」と僕の口真似をして、シーラは大人しげに頷いていた。

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