第114話 バカ二人
「皆の衆、こちらが剣聖のおじさんである。刮目せよ」
角張った顔に短い白髪、手入れされた白髭、ダンディズムが溢れんばかりの偉丈夫は剣聖のおじさんである。年の頃はおそらく五十過ぎあたり。
俺はおじさんと呼んでいるが本人からは「ワシは年なので爺と呼んでくだされ」との談。だが、あえておじさんと呼ばせてもらおう──尊敬と畏怖の念を込めて。
ここは始まりの試練の二階層。
「剣聖とはまた──大それた二つ名ですね、主。どこで知り合われたのですか?」
「ああシリウス。この御方は鋭き爪を隠していたのだ。だが俺は見た。薬草摘みに出たおじさんがバジリスクを縦に両断するのをな。かなりの手練だから質問攻めにしたんだ」
「そうですか」
「そうなのだ」
おじさんは頑なに名を教えてくれなかった。間者かもしれないが、そもそも教皇と誓約を交わしているらしいから、この人は俺を裏切れない。
聞けたのはどこぞの田舎で小領主をしていたこと、妻の死、そしてある出来事を切っ掛けに弟に家督を譲り、神に奉仕すべく教皇領で薬草摘みや魔物退治をしていたこと。
「殿下……ワシは只の凡夫、王族の御方にお声掛けいただくほどのものではござらん。剣に覚えはありますが──家に古くから伝わる平凡なもの。お目汚しになりますゆえ」
控えめな発言。だが腰に下げた黒の長剣が、俺の美意識を魂底から揺り動かす。鞘が黒なら刀身もそうなのだろう。俺ならそうする。
「またまた、ご謙遜を」
「僭越ながら進言を。目下の者には相応しき言葉使いをしてくだされ。発した言葉の一つ一つが殿下を守る権威の鎧となりますゆえ」
「なるほど。以後気をつけよう。進言感謝する。で……その腰の剣だが、銘はあるのか?」
「剣とは戎具、凶事にしか使えぬ代物ゆえ。銘は不要かと」
「はわ…………!」
変な声が出た。なぜこの人は俺の琴線に触れるのか。
平静を装うべく口元を握り拳で抑えていると、クリスタが質問してくる。
「そのー。本日はどのような鍛錬をされるのでしょうか」
リリアンヌも不思議そうにしている。まずは
それとシーラに作って貰った香ばしいフレグランスの香水。蓋を開けるとガブリールが興奮してすりよってきた。これにより魔物は俺を最高級の食材だと認識するだろう。
後は
「色々ありますねえ」
「そうだろリリアンヌ。だが、やる事は単純だから安心してくれ!」
「もう不安です。それと……ちょっとテンションがおかしくないですか?」
「孤児の少年たちと同じ部屋で寝たんだがな。煩すぎてよく眠れなかったし、そのせいだろう」
「元気いっぱいですからね。今日は休みましょうか?」
「時間が惜しい。今すぐ始めよう」
魔剣を抜き、鞘を地面に置く。
そして朗々と説明し始める。
「まずガブリールに召喚の罠を踏んでもらい魔物を大量召喚。だがご安心を、香水の効果により魔物の注意は俺だけに向くだろう。皆も手隙ならついでに倒すと良い」
シリウスが眉を顰める。
「さらに混戦の中、皆は俺を殺す気で──いや実際に殺す為に武器を振るってくれ。俺は本気で抗うが殺すことはないと約束する」
一流の槍と刺突剣、そして長剣の使い手たち。
彼らとの実戦は千の自己鍛錬に勝るだろう。ついでに魔物を倒してマナを得て、さらには混戦の経験を積めるという、まさに一石三鳥の鍛錬法なのである。
「適度に傷ついた俺にリリアンヌが治癒魔術を掛ける。耐久力と言うか体力の底が深い俺を治癒するならより経験を積める。さあ、どうだろうか?」
「どうもこうも、ないです! があー!」
リリアンヌが両手を上げて威嚇の体勢を取った。
怒るのは予想のうちだ。だが必要なので仕方がない。
◆
喧々諤々の議論、木剣を使うだの剣技を一から教えるだの、生ぬるい意見が出てくるわ出てくるわ。俺にはとうてい受け入れられない。
悠長に修行する時間が有るのか?
それは王国次第。俺たちに選択権は無い。
「木剣と言われるが、まともに当てれば骨は折れるし臓物は弾ける。実剣の危険性も変わりませんわい。ワシは殿下の鍛錬に大いに賛同します。聞かせてもらったダンジョンとやらの特性も考慮しますとな」
「おじさん……」
「まずはワシが一手ご指南仕ろう」
おじさんが剣を鞘から抜く。光を吸い込むような黒剣が宙でゆらりと舞い、正眼の構えを取られた。他の皆はまだ不満顔だ。
〈抜剣〉を発動。全力で戦う準備が整う。
そして互いに深呼吸し同じ構えを取った。
初手は黒剣による斜めの斬撃。
剣で受けると、また斬撃──後の先を取るべく隙を窺うが、呼吸のタイミングすら掴めない連続斬撃により一度も反撃できない。
「殿下の力はワシより強くありますが、技の冴えが足りませぬな」
横薙ぎが来る。
避けたのに剣先が『伸びる』。
鎧がない左前腕の腱を深く斬られてしまった。
苦痛の声を噛み殺し、右腕一本で迫りくる魔物を切り伏せる。おじさんはまた深く呼吸を吸い、汗一つかかずに剣を正眼に構えた。
「剣が伸びた?」
「斬撃の瞬間、持ち手を滑らせて、ズラしたのですな」
簡単そうに言うがなんという剣技だ。クリスタとシリウスの瞳の色が変わったのは武人としての本能だろうか。
リリアンヌに治癒を受ける最中、おじさんが
苦しげな奇声。
猛り狂った四体の蜘蛛が迫ってくる。
「手負いの魔物は数段強くなりますなあ。さあ再開です。実戦なら殿下はもう死んでおりますよ?」
蜘蛛を一体、頭を両断する。
「〈血刃〉!」
刃に血を纏い、二体を横薙ぎに切り払う。
氷の砕ける音と緑色の体液が飛び跳ね、視界を覆う。
「どこだ!」
姿を探す。だが見えない。
目を閉じて気配を探る。すると朧気な薄影が見えた気がしたので、そこを縦に切り下ろす。金属同士がぶつかる衝撃と音──構わずに全力の力を込めて何度も、馬鹿のように、居るであろう場所を我武者羅に斬る。
「正解です。殿下に向いているのは先の先、相手に反撃する暇を与えずに、ひたすらに斬るのがよろしい。力で圧倒すれば小手先は不要かと」
よくも闘いながら長々と喋れるものだ。
だが剣を受けつつも苦しげな表情。腕力で勝るのが俺の方だというのは真か。
「新手ですな」
「これで詰みです」
内臓が溢れそうなので左手で抑え、なんとか右手一本で黒剣と応対したが、五合も持たぬ内に膝を付いてしまった。
「これだ。これだァッ!」
〈
脳が沸騰しそうな高揚感。己より優れた男に打ちのめされる悔しさ、全てが俺の剣を、より強くしてくれる。
「もっと戦おう、おじさん!」
「ふ、ははは! 楽しいですな! 殿下ァッ! 常在戦場ですぞ! 敵は四方八方から襲い来るのが戦場の作法ゆえ!」
「前言撤回だ! 俺はおじさんを殺す! 殺されたくなかったら、俺を殺してみせろ!」
「おお、血は争えぬということですな! もっとワシを魅せてくだされ!」
ボースハイトの血を持ち出すのは不愉快だ。
だが、今はこの人を怨敵と思い込み、全力で殺そう。
そう心に決めたら見えない斬撃が来て、俺の首を斬り落とした。何故分かったかと言うと、首から血が噴水並に吹き出しているのを、俺は頭だけになって遠巻きに見ていたからだ。
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