第85話 悪巧み

 ミスリル鉱山を出れば岩肌の地面が見える。砂をこする音を立てながら、半日かけて進む。すると雪山に差し掛かるためまた半日かけて歩く。後ろを歩くナスターシャとエーリカはしっかりとした足取りで付いてきており、山酔いの症状も出てなかった。白亜宮に付いてから、鎧と武具を洗って陰干しし、体が凍える前にさっさと中に入る。


 ナスターシャとエーリカは仲良く霜焼けになりそうな指をこすり合わせていた。廊下を進めば前方に見慣れた人が見える。騎士たちに囲まれて楽しそうに喋っているのはリリアンヌだ。周囲から感じ取れる畏敬の念。とても眩しい。


「二人ともお疲れ様。俺が代表して報告してくるから休んだほうがいい」


 柱の陰に隠れてリリアンヌの視界から逃れる。二人とも、なぜリリアンヌに声を掛けないのかが分からないようだ。俺の背中を押してリリアンヌの方に追いやろうとする。止めてほしいので、止めてくれとお願いする。


「なぜ避けるのでありますか?」


 なぜと言われると俺が困ってしまう。謁見の間でリリアンヌが教皇に意見したことは白亜宮内に知れ渡っているようで、更には俺とリリアンヌが同じ指輪をしている事も噂になっているらしい。


「皆、恋の話に飢えているんです」


 エーリカが口元を抑えて笑う。こうして見ると二人は中の良い姉妹のようだ。二人揃って肩まである金髪、性格は対照的だが不思議と調和が取れている。個人的にはとても好ましい。


「避けているんじゃない。合わせる顔が無いんだ」


 捨て台詞を吐いてそさくさと廊下を歩く。こちらを一瞥したリリアンヌが手を振るが、目礼をしてその場から立ち去る。一瞬、とても寂しそうな顔をする彼女が見えた。




 ◆




「ミスリル鉱山の開放、感謝致します」


 応接室でクリスタ騎士長に報告を終える。予想以上に早い帰参に驚いているようだ。隣にはクラウディア教皇も憮然とした表情で座っている。あまり好かれてはいない様に見える。


 クリスタが端正な眉をひそめる。どうやら鉱山の開放自体は騎士たちが居れば出来るのだが、その後の維持が難しいとの事。魔物は雨風を防げる鉱山を好んでおり、また住み着かれる恐れがある。今回はゴーレムを一体置いてきたが、ずっとそうする訳にもいかない。抜本的な対策が必要なのだ。


「それで本題なのですが、教皇領を襲う魔物の脅威について詳しく教えて下さい」


 クリスタが何事かをクラウディアに耳打ちする。渋面を作るクラウディアであったが、渋々と俺に教えてくれた。白亜宮から尾根を一つ越えた先にある宝物殿、そこが新種の魔物に支配されていることを。


「殿下はマナの風というものをご存知でしょうか」


 クリスタの問い──首を横に振る。

 聞いた覚えはあるが内容は知らない。


「例えばですが強大な魔術を使うと、術者が失ったマナを周囲から取り込むため、その周囲のマナが薄くなります。しかし水に溶けた塩のように、マナは一定の濃度を保とうとし、薄い場所に風となって吹き込みます」


 それがマナの風。


「それが迷宮で起こると惨事となります。マナの風は迷宮奥に吸い込まれてゆき、そこではマナ濃度が濃くなり、魔物はより強くなり、時には変異します。そこで生まれた魔物はマナを大量に消費するため、また強くなったマナの風が迷宮に吹き込むのです」


 そうすると取り返しがつかなくなる。実際に宝物殿で起こった惨事であり、宝物殿の奪還に向かった騎士たちが、骸を晒す原因となった。


「過去にも大陸各地で事例がありました」


 当時は拝月教の騎士たちが排除していた。だが今は兵力不足で無理だ。関係ないが、ふと合点がいく。なぜアーンウィルで魔物が多いのか──あのダンジョンが大量にマナを吸い込み、周囲の魔物を活性化させているからだろう。


 クリスタが額を抑える。癖になっているのであろうか、シリウスもよく同じ姿勢を取っている気がする。原因の八割は俺なのだが。ちなみに残り二割はフェインのせい。本当に申し訳ない。アーンウィルに帰ったら肩でも揉んであげよう。


「教皇猊下、取引をしませんか」


「何を……」


 不機嫌そうなクラウディアに取引を持ちかける。内容としては魔物の討伐、及び聖地巡礼の復活。これらはクラウディアたちの益となるので受け入れてもらえた。だが人というのは利益に寄って動くものであるからして、俺が慈善的に協力することを不信がられた。


 だが俺の益となる本題がある。

 緊張する気持ちを堪えて提案した。


「三百年前に解散した拝月騎士団ですが、もう一度復活させませんか。俺が、いやアーンウィルはこれから塩交易で資産を築く予定ですので、出資者となれます」


 大陸各地に支部を持っていた拝月騎士団──魔物殺しの使徒にして、民衆の守り神であった。


「世迷い言を、さっきから黙って聞いていればなんて事を言うのですか。騎士団は権力と無縁の、神聖にして侵すべからず存在であったのです。王族が出資者となれば名は汚れ、拝月教の名誉は地に落ちるでしょう」


 クラウディアが感情を剥き出しにしている。人は誰しも、心の中に触れて欲しくない領域がある。俺はそこに土足で踏み込んでいるのだ。


「貴方の魂胆は分かっています。アンリ、いや王位継承権を持つボースハイトの王子よ。貴方は次期王位を継ぐために、拝月教を利用しようとしているのでしょう」


 中立を保っていたクリスタまでこちらを睨んでいる。仕方が無い。だが違う、俺は王位を望んでいない。俺がここまで昇ってきたのは、否定するため──王位争いで流れる血を否定するため、その為に昇ってきたのだ。


「俺は王位継承権を放棄する」


 その為に公式文書を残しても良いと説明する。

 驚く二人であるが構わず続ける。


「塩交易と魔物退治の拠点を各都市に作るんです。場所は修道院、無理ならば土地を借り上げる。今、司祭の叙任権は王族が所有しているので、信者からの寄進は回り回って王族の利害関係者が奪っています」


 それを奪い返す。魔物退治という神聖なる教義を、行動を持って示す。騎士の育成はアーンウィルのダンジョンで行い、王国各地に高い武力と財力を持った集団をばら撒く──そう力説する。まだ憤怒の表情を浮かべるクラウディアと対照的に、クリスタは何度も頷いて続きを促す。


「拝月騎士団の復活、たしかに喉から手が出る程に望ましい。だが殿下の利は何処にありますか?」


「王国内に、王族が手出しできない、信仰心と人心に寄り添った勢力を作りたい。今ある内乱の危機、それを牽制できる戦力にしたいのです。具体的に言うならば俺たち王族を脅迫して欲しい──民を苦しめるならば、貴様らを滅ぼすと」


「自らを滅ぼしたいと願う生き物が何処に居るというのですか。殿下のそれは自死です」


「そうです。俺は、俺が生まれ育った王族という檻を否定したい。苦しませてきた人、これから苦しむ人を開放したい。その為に、きっと俺は生まれてきたんです」


 王位継承権の放棄、拝月騎士団の創設、この二つによってアーンウィルは没収となるだろう。だが対策もあるし、駄目ならば武力で脅迫する。いずれ来る拝月騎士団の腐敗も恐ろしいが、腐らぬ努力をする他ない。


「奸雄、恐ろしい男……」


「はい、ですが教皇猊下、どうかお願いします。リリアンヌに罰を負わせないで下さい。どうしてもと言うなら、全てが終わってから俺が死んでお詫びします」


 リリアンヌは俺の行動、その責任を取ると言っていた。頭を下げて乞う。嘆息の音、面を上げる許可が聞こえる。


「殿下の首など要りません。はあ……きっと私は、拝月教を売った女として、千年の汚名を残すのでしょうね。殿下の提案は魅力的すぎます。このままでは私たちは遅かれ早かれ、魔物かアルファルド陛下に滅ぼされるのですから」


「ならば俺は、神の名誉を穢した男として、アンリの名前を永遠に残しましょう」


 自分が誇れるものが何だと聞かれれば──母が残したアンリの名前だと答えるだろう。それを汚す親不孝を胸中で詫びる。


「とんだ食わせ者、私たちは共犯者、いえ悪友になるのですね。興味深いのでもっと詳しく説明しなさい」


 膝を突き合わせて悪巧みをする。王族を貶める計画を立てるのはこの上なく楽しい。リリアンヌの指輪についても聞かれたので、俺は深く、深く、頭を下げて許しを請うのだった。クリスタは笑っていたが、クラウディアは舌打ちしていた。

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