来訪者外伝 生き恥

柿木まめ太

1

 夜の森は沈黙している。時折、闇を裂く声があり、疲れを癒やそうとする宿営者たちの営みを妨げる。不気味に響く啼き声は、夜行性の鳥のものだ。

 木々の合間に見つかる僅かばかりの、剥き出しの地面に薪を積み、火を熾して向い合せで二人が座る。暗闇の中にそこだけは煌々と、火が一帯を照らしている。


 片方の男は年若く、あどけなさが顔に残っていた。もう一人は老人で、豊かな口髭が真っ白に染まり、男の生きた年月を物語る。

 二人とも軽装ながら、市井のものではない上等の武具を身に付けている。老人は武勇を馳せた名のある騎士だ。




 また梟の鳴き声が不気味に木霊した。

 思わず顔を上げ、夜空を伺う青年に老騎士は目を細め、笑みを浮かべる。

 青年の生まれた国とは違いすぎる世界。森の様相までがまるで違うならば、その心細さはいかほどか。


 青年は異世界から来た迷い人だ。彼の世界のこの季節は、雨が多く降り、湿気が高く、蒸し暑いものだと聞いた。こちらの世界はカラリと空気が乾燥し、山火事が自然に発生することさえある。火を熾す時も注意が要った。


 針葉樹の生い茂る、昼なお暗い森がこの青年の一般的な森のイメージだったから、たぶん、北のほうの国なのだ。老騎士はそう思っている。

 南へ行くほど木々は巨大になるが、空気が乾燥しがちな土地ならばひょろりと高いだけの木がまばらに生えるばかりとなる。そういう森を、彼は林と認識した。

 多少の齟齬はあるものの、学者の卵というわけでもあるまいに、細かい知識を多く備えていて驚かされたものだ。



 闇夜に鳥が鳴いている。


 今日は夕刻から曇りはじめ、残念ながら青年の好きな満天の星は隠された。周囲の様相も、漆黒の闇に溶け落ちている。

 ここは人の手が入る里山であり、本当のところは整備された人工の森だ。城を写す灰色の影が闇夜にうっすらと浮かぶ。本来のこの地が、木々もまばらな南の森なのか、鬱蒼とした北の森なのかは、この学者肌の青年にも判別がつくまい。


 風もなく、平穏な大地が眠りについている。こんな日の里山は郷愁を誘う。


 起きて動いているものは、姿を見せぬ夜の鳥たちと火を囲ったこの二人のみであろうか。老騎士は、自身の半生を懐かしく語り聞かせながら、そんなことを思う。


「……騎士というものは厄介でな。何かの呪いのように、己の仕える主家の為にしか生きられぬと信じ切るものなのだ。」


 ぽつり、と。小枝を焚火に放り込み、はぜる火を見つめて目を細めた。


「先生が国を離れたのは、無能な王が国を滅ぼしたせいだと聞きました。」


 今までは気になっていても聞くことのなかった疑問か。青年の、恐る恐ると老人の顔を盗み見る仕草に遠慮があった。かつての主君を悪しざまに言われることは、どれほどの事情があろうとも不快なことではないかと気を病んでいる。


「生き恥を晒して、今ものうのうと過ごしておるだけよ。」


 青年には、さらりと返した。世捨て人となった老人に、何の遠慮が要るだろう。そうして自身は懐かしく過去を振り返り、忘却の彼方より遠く過ぎ去った日々を呼び戻した。


「無能な王であったかも知れぬ。腐りきった王政に、わしを含めて腑抜けきった騎士たちしかおらなんだからな。」


 腑抜けた騎士たちは主家の滅亡に殉じて血のぬかるみに次々と沈んでいった。先頭を駆けたこの老騎士も、彼らと同じく王家と共に滅びる道を選んだものだった。


 なんの因果か、従者に救われた命だ。

 主に恥を掻かせるかと詰れば、名誉を守るためで御座いますと叱りつけられた。


 目の前にいる青年と歳も変わらぬ若輩の者だ。騎士の誇りをまっとうするだけの価値すらも祖国には残されておらず、目の前のこの瞳には、ただ暗愚と猜疑と狡猾とに塗れた、薄汚れた世界が映っているのだと知った時、初めて膝を屈した。急激に、力は失せた。


「国が亡びたのなら、騎士としての生命も終わったのだ。守るべきを全て失った。主家は滅び、王家は無く、そして、民には疎まれた。」


 無能な王。無策の臣下。ゆえに、革命が起きた。


「貴族も騎士も、生き残りは皆逃げた。民衆だけが残った。彼らの望みの通りにな。だが、綺麗事では済まなんだ。国政を扱ったことなどない民衆が、一時に全ての制御を請け負ったのだ。その結末はまことに悲惨であったと聞くな。」


 死と恐怖によって我がの意を通すことを知った民衆は、その方法を唯一とした。血の泥濘はさらに深さを増し、国中に広がった。それを亡命の騎士は風の便りに聞いた。


「しばらく後、血なまぐさい粛清の嵐が故国の全土で吹き荒れたことを知った。長い年月、衆愚に置かれておった者たちだ。善悪も道理も、ましてや学などあろうはずもない。愚かな民衆は、愚かゆえに踏み止まることを知らず、血に飢えた獣の如くに暴走したのだ。王侯貴族に対する積年の恨みと言う者もいるが、そのような生ぬるい状況ではなかった。」


 時に過激な言葉をも交え、それでいて老人の語り口には恨みつらみの感情は滲んでいない。他人事のように語る師の言葉に耳を傾け、青年はじっと控えめな態度を守っている。老騎士は目を細め、思慮深い弟子に気付かれぬように微かな笑みを零した。



 火が爆ぜると、若い弟子はわずかにたじろぐ。


 彼の居た世界ではこのように頻繁に、火を熾して人々が囲むということもなかったのだろう、老いた手で静かに火の中の灰を均す。そうしておいて、またぽつりぽつりと夜長の暇つぶしを始めた。


「酷い時代の到来だったと言う。圧制を敷かれていたと、犠牲にされていたと思い込んでいた者たちは、今にして真実を知らされたのだ。我が祖国は貧しく、外敵が多く、それゆえに民も貴族も苦しんでいた。悪の根源などおらなんだ。革命は、何ももたらさなかった。」


 誰かを悪者にすることがもっとも簡単な方法だったのだろう。支配階級の排除のみならず、理想の為と称して共に戦った同胞同士が相争い、粛清され、消えていった。


「何のための革命だったのかは知らぬ。民衆は、暮らしが楽になるでもなく、また、楽になった者がおれば闇討ちで襲うという有り様でな。……恐怖が支配するは、すでに国と呼ぶこともおこがましい無法の地じゃ。我が故国は遂に消え失せたのだ。」



 衆愚政治を敷き民衆を愚かなままで置いたのは、他ならぬ王侯貴族、騎士たちだ。

 自嘲の笑みを浮かべた老騎士は、手元の棒切れをたぐり寄せて焚火をかき混ぜた。

 ことさら激しく炎は燃え上がる。


 煌々と照らされる老いた笑顔は無表情なのだと、青年は知るよしもない。その瞳には何色も映らない。凝り固まった柔和な顔は習い覚えた世を渡る為の術だった。


「結末はさらに滑稽だ。……今では当時を指して暗黒の時代と呼んでおるそうだが、まことに生き辛い社会が出来上がった。誰も彼もが、他人を疑い、家族すら裏切り、密告で差し出す……地獄のような体制がしばらく続いたそうじゃ。」


 老人は、飽きてきたかのように話の調子を速めた。詳細だった言葉は、少しだけ乱雑になる。

 青年はこの寓話がクライマックスに差し掛かっていることを予感すると、腰を浮かせて姿勢を正した。


「最後はお約束の展開よ。疲弊と混乱で戦力が僅かとなった故国には、隣国の兵が攻め入った。手薬煉引いて待っておった甲斐があろうというものよな。そうして、攻め入った兵士たちに、故国の民は諸手を上げて歓迎の意を伝えたそうだ。支配に慣れきった民衆は、自身の手に余ると言って、いとも簡単に国政を明け渡した。もとより欲のない善良な民衆ゆえな、再び迎えた王の支配のもとで皆が満足したという話だ。」


 道化師のよくやる仕草で、老騎士は肩をすぼめた。


 青年が微妙な笑みを片頬に浮かべかけて、慌てて自重して引き締めるのを見る。なおさらに滑稽で、笑えない寓話の不出来にため息を零した。


「しかし、そうなると立つ瀬がないのが、わし等、騎士や貴族といった面々でな。」


 自虐の寓話が続くことを、どうやら青年は歓迎してはいないようだと感じ取る。けれど、どうにも話が途切れるのは惜しいと、ついつい言葉を続けてしまった。


「なんのための革命であったのか。なんのため、騎士たちは守るべき民に討たれて死なねばならなかったのか、答えを出すことをわしは拒んだのだ。」


 逃げたのだ、と老いた軍師はぽつりと言った。




「民衆が蜂起しただけで、一国の軍勢が脆く崩れ去ることなどあるのでしょうか?」


 青年は疑問を口にのぼせた。


 森を抜けた先にある王城にも、多くの騎士が集っている。その厳しい鍛練の様子も日ごろから見慣れている彼だ。寓話と重ね合わせ、市井の人々を思い出すほどに、その連想は繋がるものではなかっただろう。無防備な国民が結束したところで、装備の面で軍隊には敵うべくもないではないか、と。


「うむ。あの革命は一から十までが民衆の手によったわけではない。裏で手を引く者がおったのだ。」


 でなくて、何故あれほど簡単に暴徒と化した民衆が他の国に下ることなどあろうか、と師である老人は語る。


「謀略が動いておった事を見過ごした。それは国王よりむしろ、臣下の落ち度じゃ。そういうわけでな、祖国が滅んだのは王侯貴族のせいではない。……愚直な、衰えた軍師の慢心だったのだ。」


 それきり口を噤んだ騎士の顔を、煌々と焚火の炎が照らす。かける言葉を探している風の青年も、やがて諦めた様子で地面へと視線を落とした。


「国などと、民衆にはどうでもよいのかも知れぬ。大地に根を張り、日々を逞しく生きる者たちにとっては、国王や騎士の顔かたちが変わることなど、食事時のパンの大きさほどにも重要ではないのだろう。」


 懐かしく往時に思いを馳せる老いた騎士の顔は、それでも思いのほか晴れやかなものだった。

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