死に様

 何も分からなくなってから、管を通され、強い薬を飲まされて、生き永らえるのはごめんだ。命への冒涜とさえ思った。医者や施設は仕事なのでやるだろう。家族も見るのが辛いから殺してくれ、なんて言い出せる筈もない。そもそも安楽死は認められていない。


 しかし、本人の意思はどうなる。ぼけが始まって意思疎通が出来なくても、痛みは感じるのだ。そんな人に対して、生きるのは素晴らしいことだから、苦しんで生きろと言うのか。


 私は心身健康で、いつもの様に布団に入り、そのまま目が覚めないのが理想だと思っているが、そうもいかないので自らの手で終わりを迎えたいと思っている。


 ところで、それはいつ頃だろう?

 九十を数えたが、自分の足で歩き、それどころか交通機関を利用し、買い物に行く人を何人も知っている。しかし、それより十も二十も若くして施設のお世話になる人も居る。結局のところ命とは、人の手に負えるものではないのだろうか。

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