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 結果、それは死体だった。

 感知はなく、それが物言わぬ元人間となったことを如実に語っていた。

 魔王から受けるスキルは制御が難しい。まだ『影走』などの大技は使用することはできないが、この程度の武技ならば支障はない。


 彼は死んだのだ。

 他でもない、自分が守りにきた少女の手によって、無残にも、呆気なく。


「そいつは人形にしないの? 必要になるだろう?」

「いまの私はまだ盗賊よ。それに、この程度の能力しかない素体に術式を編み込むのは無駄でしかないわ」


 そう言って馬乗りの状態から立ち上がると、ナイフに付いた血を拭い、鞘に収めた。


「さあ、次はアイリスの番ね。さっさと――」


 ふいにアミュレの足がもたれた。つまずいたというより、急に力が抜けて体制を崩した様子だった。


「無理はしないほうがいいよ。偽りの時間が長すぎると、最初はそうなるんだ。僕も両親を殺したときは、怖くて体ががたがた震えたもんだよ」

「あなた程度と同じに見られるのは侵害ね」

 

パイルは肩をすくめたあと、よろつくアミュレを持ち上げて肩へ乗せた。


「今日は一旦アジトへ戻ろう。気分が凄くいいんだ。いままでの人生で一番ってくらいに。少しくらい実験体を連れ戻すのが遅れても、なんともないさ」

「……」


 そこで彼女の意識は途絶えた。

 体力はまだ底を突いてはいなかったが、問題は精神だった。

 ひとつの事象に対してふたつの結果を常に出し続け、さらにはその解放によって思考のブレーキが聞かなくなったことにより、精神力が先に根をあげたのだ。

 少なくとも、パイルはそう判断した。


 大男の殺人鬼が、新たな仲間を肩に乗せて暗い森を去った。

 そこに残されたのは、物言わぬガイエンと、アミュレが脱ぎ捨てたローブだけだった。白の法衣は戦いの余波でぼろぼろとなり、横たわる男から噴き出された血に染まり、赤く染まっていた。


 明朝の太陽が昇る頃、体力を回復させた弔花が駆けつけたときも、その状況はひとつも変わりなかった。



  ◇



 なにも変わるべきじゃない。


 心はとっくに折れているのに、胸の底の、もっと深いどこかから、前へ進めと呪詛のような言葉が放たれる。

 そのたびにそれを封じ込める蓋が必要だった。愚かしくも希望を見て、誰かに希望を見させて、結局すべてを台無しにした馬鹿な男を殺す蓋が。


 なにも変わるべきじゃない。


 その蓋は万能だった。それお唱えるたびに、呪詛は霧散して、その分だけ心が軽くなった。

 オクトーが言った通りだ。俺は誰かを助けるという耳触りの良い言葉で、殺人を繰り返していただけだ。

 変わる? また繰り返すのか。

 進む? 今度は誰を殺しに行くんだ。

 ――希望? あの人に見限られた俺に、一体いまさら、なんの希望があるというんだ。


 気づけばあれから、弔花は一度もここを訪れていない。

 あれからどれだけ時間が経ったかも、あまり明確には思い出せない。だが少なくともあの日以来、彼女はここに来ていない。


 あっちの世界はいま、どうなっているんだろう。

 ときおりそんな思いも湧くが、すぐにかぶりを振ってかき消した。

 たとえオクトーの側に付いたとしても、リズレッドはリズレッドだ。きっと良い結論を出してくれるはずだ。

 アミュレはパーティのなかで一番しっかりしてるし、心配するだけ失礼というものだろう。


 だからもう、未練がましくあちらの世界に思いを馳せるのは止めよう。

 俺の冒険はここまでだ。ここまでにしないといけないんだ。


 ベッドのなかで、もう何度繰り返したかわからない問答を行ったあと、目を閉じた。なにも見ないように、感じないように。

 そのとき、ふいにインターホンの音が部屋に響いた。

 いつぶりかの、自分が立てる以外の音だった。


 ――弔花、また来たのか。


 少しだけ疎ましく思いながら、体を起こした。

 もう放っておいてくれ。これ以上、俺になにかを期待するのは無意味だ。


 その思いで玄関まで歩き、ドアを開いた。

 ブラインドを降ろし、光を拒否していた部屋に、刃のような朝の日差しが差し込んだ。

 そしてそれと同じくして、なにかが勢いよく飛び込んできた。すっかり暗がりに慣れた俺は光に眩み、それを強かに受けた。


「ッ!」


 頬に強い衝撃を受け、たまらず後ろへと倒れこむ。

 玄関に置いていた家具が、盛大な音を立てて散らばった。


 一体なにが起きたのか咄嗟に判断できず、目を白黒させながら上空を見た。

 そこには朝日を背にして、ひとり、誰かが立っていた。


 弔花……?

 最初、それは予想していた来訪者なのかと思った。だけど違う。似てはいるが、彼女はない。あれは――。


「ごきげんよう翔。とても気分の良い朝ですわね」


 そう告げながら、鏡花がにこりと笑った。


「お茶を用意してきましたの。淹れてくださる?」

「え……あ、いや……」

「淹れてくださる?」

「……」


 有無を言わさない、という感じだった。

『百花繚乱』を受けたときのほうが、よっぽど動き回れただろう。表情はいたって穏やかだ。というよりも、こっちの世界で彼女が笑っている顔を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 だがその裏に潜む気迫が、心臓を鷲掴むようにこちらに剣先を向けているのがわかった。

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