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「……しまッ」


 すぐさま回避行動を取る。

 だがミノタウロスの一手が先を打った。


 彼は直下の地面へと拳を振り下ろした。鏡花にではなく、己の立つ床そのものを殴りつけた。


 瘴気が黒い稲妻のように上から下へと走り、地面へと着弾した。

 巨体の膂力をすべて生かし、攻撃力を増加させた一撃をもって直下の床を攻撃したのだ。


 床が苛烈な破壊音と共に爆散した。耳が麻痺するような音と、破壊の衝撃が走る。


「ッツ……!」


 まるで小型の爆弾かなにかが爆発したかのような様相だった。

 こうなってしまえば、相手の動きが読めようが関係がない。無差別に弾かれた瓦礫が四方八方に飛び散り、流れ弾となって鏡花の華奢な体を打つ。

 

「鏡花さん!」


 遠くでアミュレが悲鳴を上げながらも次の癒術の準備を整えた。

 だがミノタウロスは彼女と鏡花の直線上に身を置くと、魔法の射出経路を遮った。

 

 本来至近距離からでしか対象に効果を与えられない癒術を、まるで矢のように放つ彼女の技量にはミノタウロスも最初は目を見張ったが、動きが不自由で発射点が固定されたいまなら、対処することは難しいことでなかった。


『どうした、打たないのか人形? 儂もいまのは自爆技に近くてな。回復魔法が欲しかったところなのだが』

「……っ」


 打つなら打て、ありがたく頂戴してやる。と言わんばかりの態度に、アミュレが思わず唇を噛む。

 巻き上がった土煙が次第に晴れていくなかで、なかから鏡花の声が響いた。


「心配はいりませんわ。それよりも、自分の身を案じなさい」


 冷淡な言葉だが、逼迫する声からは彼女への配慮が感じられた。

 アミュレもそれを感じとったが、だからこそなにもできない自分が歯がゆかった。


 上層から落下した際に足を怪我したのか、うまく立ち上がることができない。

 ならば先に自分を回復させるべきだったが、紙一重で回避し続ける鏡花は、他者から見るといつ被弾して命を落としてもおかしくない状況だった。


 ヒールでもヒールライトでも再使用には多少の時間を要する。

 もし自分に撃ったあと、クールタイム中にもしものことがあったらと思うと、迂闊に使用することができなかった。


 そしてそれは、完全に土煙が晴れたあとに立つ鏡花の姿を見て確信へと変わる。


『ほう』


 ミノタウロスが珍しく上機嫌な声音を放った。


『いい姿になったじゃないか』

「……それは、どうも」


 鏡花がつまらないお世辞に返事をするように告げた。

 そして、右手で器用に剣を持ちながら、右足をさすった。

 瓦礫に直撃し、ろくに動かせないほどに負傷した足を。


『左手の欠損に右足の打撲か。どっち付かずのお前にふさわしい、欠けた姿だ』

「そういうあなたこそ、人のことを言えませんわね」

『爆心地にいればこうもなろう。だが見ろ。儂の体は一肢たりとも欠損していない。儂は完璧な姿だ。これがお前と儂の差だ。偉そうに説教していたが、これが現実なのだよ』


 両腕を大きく広げたミノタウロスが言った。

 演説でもするかのように大仰に、泰然とした調子で。


「……」


 それを見上げる鏡花は、向ける眼差しから気取られないように表情を取り繕いながら、負傷した足でどこまで機動力を確保できるかを探った。

 痛みがないため予測しかできないが、この体はすでに限界に近いのはわかった。

 動きが鈍い、というよりも、ほぼ動かないと言ってよかった。いくら神が創りし肉体でも、左腕の欠損と右足の負傷、そして全身の打撲を受けては流石に機能は大幅に下がっていた。

 HPのバーは、かろうじてゼロではない。というほどの残量しか残っていない。

 アミュレからの援護は、警戒したミノタウロスに阻まれて期待できそうになかった。


 ずきり、と、また頭痛が響いた。

 押し寄せる不利な条件と、無理な状態での戦闘により疲労が限界を越えようとしていた。

 このままでは、いずれイエローウィンドウが表示される。


 その前にこの化物を倒す必要がある。

 片手と片足が使えない、この状況で。


 諦めるつもりは微塵もない。心はまだ前を向き、この巨大な忿怒の塊をどう倒すかを模索している。

 だがその方法が、どうしても思いつかなかった。


 ミノタウロスはそんな鏡花に対して、スキルを発動させた。


『『一騎当千』』


 唱えると同時に両腕の血管が波打ち、腕の筋肉が膨れ上がった。


『『疑神の一撃』はクールタイムが長くてな……だが、これでも同じことをするには十分だ』


 そう言って再度、腕を上空へと振り上げる。

 彼にはもう鏡花と接近戦をする気はなかった。動きが読まれることがわかった上で、なおも近距離戦闘を行う必要などない。

 確かに自分もダメージを追うが、動けない的に対してはこれが一番の方法だった。


 なによりもそれ以上に、彼は自分の動きがこんな格下に読まれることが我慢ならなかった。


『クズ虫らしく、惨めに死ね』

「……!」


 再び鉄槌が下され、儀式の間に地響きが起こる。

 地雷が爆発したかのように強大な音が響き、何もかもが弾け飛ぶ。床石や岩が、両者へと容赦なく叩きつけられる。


 鏡花はそのとき、なにを思ったか。

 ただ自分の立つ位置に瓦礫が着弾するまで、その目は死んではいなかった。


 ミノタウロスはそのとき、なにを思ったか。

 怒りと、それにも勝る快楽だった。信念あるものを無情にも押しつぶしてやったという下卑た快感が体中に満たされ、その目はどこも見てはいなかった。


 それが互いの運命を分けた。


 眼前で岩の直撃を食らった鏡花を見て、ついにミノタウロスは笑い声を上げた。

 二千年ぶりの、他者を良いように扱うことで得られる幸福感だ。まるで断酒を言い渡された酒好きが、久しぶりに美味い美酒にありついたようなものだった。

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