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 俺と鏡花が、上層で初めてミノタウロスを目撃したときに、他の魔物とは違う異質な恐怖を覚えた原因も、ここで合点がいった。

 プレイヤーだった人間の、果ての姿だからだ。

 自分たちと同質の存在が、恨みのあまり悪魔へと変貌した姿を見て、潜在的な恐怖を感じたんだ。


 あのとき鏡花は言った。

 

 ――あれは、『悪意』でと。本物の、『悪意』だと。


 白爺は言っていた。

 鏡花には、人の悪の感情を敏感に感じ取る力があると。


 ……鏡花は、あのときから気づいていたんだ。ミノタウロスが元人間であることを。

 元人間と、これから殺しあうということを。


「……鏡花」

 

 あいつは、ひとりで背負おうとしたのかもしれない。

 元とはいえ人間だった者を殺すことに、厭いを感じない奴なんていない。

 だったらその役目は自分が担おうと。

 気づかないで済むのならそれで良いと。


 ぎり、と知らずに拳に力が入っていた。

 俺もそうだけど、あいつも大概ひとりで突っ走りすぎだ。


 生い立ちが彼女を追い立てて、どんどん袋小路へと進み続ける彼女を想像して、


「急ごう。鏡花も……狂ってしまう前に」

「ん? それはどういことだ、ラビ?」

「……多分、俺の杞憂だ。だけどどうにも……嫌な予感がする」

「……君の直感は、時折やけに当たるからな。わかった、いまは話している時間も惜しい。白爺、アミュレの落ちた地点はここから遠いのか?」

『そう遠くはない。全力で走れば、ものの数分で着くじゃろう』


 そう言って白爺は、止めていた歩を再開して、迷宮の奥へと先行する。

 隠れ処で白爺は言った。アミュレに危険が及ぶ確率は少ないだろうと。

 ミノタウロスは自分たちを物と見下しているが故に、ネイティブを好んで殺傷することはないのだという。

 また儀式についても同様で、勇者にしか行えない儀式を邪魔する存在などいない。ミノタウロスとて神から導き手として役割を与えられた身。

 儀式を成功させて自由の身になることを望みこそすれ、障害になることはないだろうとも語っていた。


 ――けれど、何故だか俺は、それを聞いても不安を払拭することができなかった。

 精巧に噛み合った歯車に、たった一粒の小石が挟み込んだだけで、たちまち機構は動きを狂わせる。

 本来なら人の躍進のために神が用意したこの場が、ほんの些細な何かで全て反転してしまうような――そんな、正体不明の不安が、さっきからずっと付きまとっていた。


 そして。


「……多分、ここだよな」

『……』


 アミュレの落下地点の直下、天井が崩落して上層をぽっかりと覗かせた地点にたどり着いたとき、その疑念はいよいよ明確な輪郭を成した。


 そこには、誰もいなかった。

 崩れた天井の破片が辺りに散らばり、いまだ埃が薄く宙を舞う最下層の一角。

 誰かがいた気配はある。アミュレだけでなく複数の――それも争った形跡が。


「ここで一体、なにがあったんだ」


 心臓が早鐘を打つ。

 いるはずだった少女が、助けるはずだった仲間がどこかへと消え去り、想像するのは最悪の結末。

 だけどここで手を拱いているわけにはいかない。まだどこかで助けを求めているだろうアミュレの前に、自分が諦観するなんて論外だ。


「これは……?」


 なにかの痕跡がないかと辺りを探っていると、見つけたのは数本の小瓶。

 中身がなく、空となった容器は見間違えることなく、慣れ親しんだポーションの空き瓶だった。


「なんでこんなところに……。白爺の仲間がここに封印されたときに、一緒に持ち込まれたのか?」

『たわけ。その様な上等なガラス品など、我輩の時代で所有していたのは王族くらいなものよ。しかもよく見てみろ。空にはなっているが、まだ封が開けられて間もない。……明らかに、誰かが先ほどまでここにおったのだ』

「私たち以外にもここへ到達した者が? ……となると、鏡花か」

「……いや。あいつがアミュレを先に見つけてたら、俺にメッセージを送るはずだ。まだ連絡がないということは、彼女という可能性は低い」


 それを聞いたリズレッドが、召喚者同士は離れていても連絡を取り合えるということを思い出したのか、顎に手をやりながら考え込んだ。


「そういえば召喚者同士は、遠隔から伝言を送り合うことができるのだったな。……だがそう考えると……何故、この状況で連絡のひとつも来ないのだ」

「それどころの状況じゃないか、あいつなりの考えがあるんだろ。あいつ、人に頼るのを極度に嫌うからなぁ。はぐれたから助けてくれーとか、言い出し難いんじゃないか? ……それに、いまはアミュレを探すことに専念しよう。優先順位を付けるわけじゃないけど、アミュレは召喚者じゃない。命はひとつしかないんだ」

「……そうだな」


 手に持った空き瓶を見やりながら、持ち主がどこの誰で、どうやってこの迷宮に入れたのかという疑問に思った。

 ……よくない予感が、明確な輪郭を示しはじめている。

 そのとき、白爺が口を開いた。


『……お前たちは不服だろうが、ここはあの小娘を探すのはなく、儀式を完了させることに念頭を置くのが得策じゃろうな』

「なっ……! なんでだ!? 儀式を邪魔する奴なんていないって、さっき白爺が自分の口で言ったじゃないか! だったらまずはアミュレを探して、それから……!」

『落ち着け。最下層をくまなく探すのに、どれだけの時間を要すると思っている? 空き瓶の持ち主は、明確な意思を持って小娘を連れ去ったのだ。でなければ、傷ついた子供など誰も同行させようとは思わんだろう。……そして、盗掘者が目指す先など、いつの世も決まっておる』

「……つまり、ここに居たであろう謎の人物も、最深部である儀式の間へと向かっている、と?」

『断言はできぬ。だが闇雲に迷宮を歩き回るのと、相手の目的を推測してそこを目指すのと、どちらが確率が上だと思う』

「……」

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