26

 実の子供も気づかぬほどに欺き笑う、その狂性。弔花は絶句する俺に、薄い笑みを浮かべて告げた。


「……でも、ひとつだけ救いもあった……。それは……亡くなった父の友人が……顧客情報を個人的利益のために……『自分の意思』で売買してたこと。それだけは……本当に事実だったこと……。誰に嵌められたわけでもなく……それだけはその人の行いの結果だった……。生前は『僕の会社を支えてくれるのはお客様ひとりひとりだから、それを裏切ることは絶対にしちゃいけないんだ』ってて……私たちに言ってくれてたのに……」


 ――もはや俺には、なにも口にすることもできなかった。

 食い物にした父親も、食い物にされた友人も、互いに他者を経験値にしていたのは一緒で。今回は父親がそれを得る側に周っただけという話。

 被害者だと思っていた友人からさえも死後裏切れた五歳のふたりが、当時果たしてなにを思ったのか。俺には想像することすらできなかった。


 俺はただ机の下で拳を強く握り込んだ。

 同情も慰めもできない。体験した世界が違いすぎて、なにを言っても薄っぺらくなってしまう。

 俺が五歳のころの苦い記憶なんて、せいぜい親が禁じていた遠くまで遊びにいき、その日の夜に手痛い説教を食らったのが唯一といった程度だ。だけどそんな頃に鏡花と弔花は、一体なんてものを見てしまったんだ。


「……父の狙いは……最初から友人の会社が所有する技術と顧客を引き抜くことだった……。アプリで当時名を馳せてはいたけど……ハードウェアの市場に食い込むには、まだまだ地位が足りなかったから……。だからその技術がある友人と提携していた父は、会社を丸ごと吸収する機会を伺っていた……いつも……にこにこ笑いながら……」

「……それで、鏡花は人間不信になったってわけか……」


 弔花がそれを聞いて、首を横に振った。


「……それは、違う。……たしかに……人間不審になったのは本当。その事件からしばらくの間……私たちはお互いのことしか信用せず……誰とも打ち解けることができなかった。……親しげな笑顔で近寄ってくる人が……全員、怖かった。……でも中学のときに……私に言いよってきた男の同級生を……お姉ちゃんが返り討ちにしたことがあったの。……その人は学年でも優しくて……気遣いのできる男子ってことで女子にすごく人気のある人だったんだけど……お姉ちゃんの気の強さと、咲良電機の令嬢という後ろ立てからか……見ているこっちが気の毒になるほど……お姉ちゃんに言い負かされてた……」


 男と対等に渡り合う鏡花、か。

 こっちの世界でも向こうの世界でも、やっぱり鏡花は鏡花なんだなと改めた思う。少し過激すぎる気もするが、そんな大変な時期に唯一の理解者である妹にちょっかいを出してきた男となれば、そういう行動に出るのも仕方ないのかもしれない。


「それで、その男はどうなったんだ?」

「『いつか殺してやる。女のくせに俺に逆らいやがって』って……そう言ってどこかへ逃げていった……。いつもの爽やかな彼とは似ても似つかないほど……醜悪な態度で。……そしてそのとき……お姉ちゃんは気づいたの」


 弔花はおもむろにテーブルに備えつけられていたフォークを手に取ると、三又に分かれた鋭利な先端を指で撫でた。


「人は追い込まれることで裏に隠した本性を見せてくれるんだ、って。……自分が相手を攻撃することで、対象の仮面を剥ぎ取ることができるんだって。……もう五歳のころのように……なにも知らされずに……なにも気づかずに……ただ騙されて翻弄されて、泣くだけじゃない……剣を振りかざして相手を斬り刻めば、本当の顔を見せてくれる。……もう一度、人と分かり合うことができるんだっ……て」

「――っ」


 思わず息を呑んだ。

 人間不信なんて生ぬるい。なまじ芯が強いばかりに、俗悪な人間性を幼少期に叩きつけられながらも、鏡花は前へ進むことを選んだ。そして得たのは、呪いにも似た人生の処世術。

 たしかに人は必ず表の顔と裏の顔がある。それは大人へ成長していくにしたがって、緩やかに理解していき、受け入れいていくものだ。表の顔しか見せてもらえなくても、こちらも同じように表の顔で接していればそれでいい。人と人が本当に分かり合えることなんて、言われてるほど簡単でもなければありふれたものでもない。だからこそ『仲間』や『絆』という言葉が、これほど美徳のなかで語られるんだと。


 ……正直、俺とリズレッドでさえ、本音で語れる時間なんてそれほど多くはない。あいつ、エルダー時代の自分とか、人族を嫌悪してる理由とか、あまり話してくれないしなあ。

 だけど俺もあいつも、同じ時間を過ごすことで、本当の自分を晒せる時間を少しずつ増やしていこうと思っているし、互いにそうだと確信できている。そうやって少しずつ他人との距離を掴んでいくものなんだ。


 ……だけど鏡花は、初めて知った人の裏の顔が大きすぎて、近すぎた。

 どんなに表の面だけを見て過ごそうとしても、些細な日常生活でその強大な闇が見え隠れする。そんな状況では曖昧な妥協案など、おそらく選択することはできなかったんだろう。


 そこでふと、疑問が湧いた。


「――弔花は、どうだったんだ?」

「……?」

「鏡花が前に、自分はサディストで弔花はマゾヒストだって言ってたんだ。鏡花がそうなったのが父親に原因があるなら、弔花も同じように、その……」

「ああ……うん。そう……私がそうなったのも、その事件がきっかけ……。お姉ちゃんが人を攻撃して仮初めの面を剥がすことを覚えたように……私も同級生の男子が豹変したときに……わかったことがあったの……」

「――それは?」

「……人は、自分よりも圧倒的に弱い相手に対しては……自ら仮面を取ってくれるってこと。なにをしても反撃してこない。むしろ自分に攻撃されることを望んでいる。そう思った相手に対して……人は、自分の真実を見せてくれるの……すごく純粋で……真っ直ぐな心を……」

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