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それを聞いた瞬間、飲んでいたカフェオレを吹き出しそうになった。

 というか、若干吹き出した。


「だ、大丈夫……?」

「げっほ、げほ……だ、大丈夫、ちょっと器官に入っただけだ。えっと……冗談……じゃ、ないよな。……弔花だし」

「……どういう、意味?」


 対面する彼女の眉が、珍しく少し怪訝に吊り上がるのがわかった。

 普段は物静かだが、こういうときに醸し出す圧迫感はやはり姉妹だ。


 そして……うん、これは本当に冗談じゃなさそうだ。

 つまり俺はいま、日本が誇る世界シェア一位の電子機器メーカー――ハードウェアやソフトウェアの話題では必ず話題に上がる、あの咲良電機のご令嬢と話しているというわけだ。


 誰とでも、どんなに距離が離れていても自由に会うことができるのがこの世界の良いところだが、まさかここまでの大御所が出てくるとは予想もしなかった。だけど狼狽しながらもちらりと目前の彼女を見ると、ラテを飲む弔花は俺がいままで出会った女性たちとなんら変わらず、そして彼女自身もそう接してくれることを望んでいることもわかり――。


「悪い悪い。この世界は向こうの話を持ち込むのはご法度だよな。――それで、ふたりが変だって言った理由は、親の会社となにか関係してるのか?」


 気軽に訪ね返すと、予想に反して弔花はラテをゆっくりと口に流し込みながら、数秒の間沈黙した。まるでこれから話すことの心構えをしているかのように。


「……うん。ええと……咲良電機が昔……ただのアプリ開発会社だったのは、知ってる……?」

「ああ、たった一代で世界を相手取る会社に成長させたって、特集動画が結構流れてくるからな。日本の企業が世界で活躍なんてあまりないし、再生率も良いから広告収入目当てで個人動画を作る奴も沢山いるから、おおまかな概要くらいは知ってるよ。最初は数人で始めた……なんだっけか、ボードの前にあった携帯端末の……そのアプリ開発を生業にした会社だったって」

「スマートフォン……ね。私たちが生まれるちょっと前にボードが主流になったから……あまり記憶にはないけど……」

「そうそう。ウィルスの体内侵入を察知するために義務付けられたナノマシンと連動する携帯端末が、そのままボードの前身になって、スマートフォンのシェアが一気に落ちたって歴史の先生が言ってたっけ。で、咲良電機はその頃ブロッサムって名前の会社で、アプリ開発ですでに注目を浴びていたんだろ? そこからさらに電機メーカーへの転身で成功させた社長の手腕がなんちゃらって、俺が観た動画でも言ってたよ」


 そこまで話したあと、弔花の纏う雰囲気が次第に暗く落ちていくことに気づいた。自分の父親が一代で興した会社の歴史だ。普通なら盛り上がりはするものの、落ち込むことはないと思うんだけど……。

 ランプの灯がうすらぼんやりとしか届かないこの角場所に、その様子はあまりにも親和した。


「父には……仲の良い経営者の友人がいたの。その人は電機メーカーを営んでいて、当時の父の会社よりも何倍も大きくて利益を上げてた……。その人は父の人柄が気に入ったらしくて、よくお互いの家でパーティーをしてて……私たちとも沢山遊んでくれた……」


 言葉を紡ぐたびに彼女の闇は深くなっていく気がした。俺はその話を黙って聞き、これから語られるであろう弔花と、そして鏡花の人生観を決定的に変えた『なにか』を前にして、決して瞳を逸らさないように己に言い聞かせた。


「それで……その人の会社が……事実上倒産したのは……私たちが五歳のころだった。……理由は……会社の不祥事で株価が暴落して……経営状況が極度に悪化したから」

「不祥事か。体のなかで常にログを取り続けるナノマシンの注入が義務になってから、そういう行為の露出がしばらく続いたってのは知ってるよ」

「うん……喋った言葉も、行動経路も、誰と接したかも、ナノマシンが体に入った瞬間から……ずっと記録され続けることに……父の世代は、まだ意識がついていけなかったんだと思う……」

「実際、山のようにスキャンダルが発覚して、当時のニュースは毎日凄かったってらしいしな。それこそ一流企業ならそこで働いてる人の数も比例して多いから、名だたる会社がいくつも潰れたか、規模縮小したって」

「きっと……父の会社が一代で世界のトップになれたのは……そういう時代の流れに乗れたのもあったんだと思う……」

「アプリ開発を生業としてる人なら、そのへんのセキュリティ意識も最初から持ってたってわけか。倒産した鏡花の父さんの友人は残念だったけど――そればっかりは――」


 鏡花と話していると、昔視聴した咲良電機の特集動画の内容が次第に思い出されて、


「あっ、でも確か咲良電機はアプリ屋だったときに、とある電機メーカーの技術者と顧客を引き抜いていまの地位を得たって聞いたぞ。それって、倒産したっていうその会社の技術者じゃないのか?」

「……よく、知ってるね。うん……そう……父は、あの人の会社から少数の……腕利きの技術と太客を引き抜いて……電機メーカーの世界に入ったの……」

「友人へのせめてもの助力……ってわけか。――それで、その友人さんも一緒に引き抜いたのか?」

「…………」

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