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 視線と視線が合った。


 その瞬間、自分でも制御できないほどの衝動が一気に吹き上がり、張り裂けんばかりの叫びを上げていた。


「リズレッド!」


 そしてそれに呼応するように、彼女もまた、


「ラビ!」


 俺の名を叫び、立ち上がる。

 周囲の人たちが驚きの表情でそれを見た。無理もない。いままで虫の息と言っても過言ではなかった人間が、弾かれるように起き上がったのだ。


 だがそんな周りの驚嘆さなど構わず、俺たちはお互いの距離を、体に残った微かな力を振り絞り出して縮めた。

 無我夢中だった。目が合った瞬間に、まるでスキルでも発動したかのように、俺の思考はただ一点を目指したのだ。


 彼女に触れたい――と。


 それだけを目指して、千切れんばかりにボロボロになった体を前進させて――そして、もうほんの一歩分。手を伸ばせば互いに触れ合うことができる鮮少の距離で、俺たちは同時に足をもたげた。


 すでに限界を超えていた体力がついに尽きたのだ。

 度重なる激戦によって、なんとか耐えてくれていたこの体が、ついにその使命を果たしたとばかりに役目を終え――


 お互いがお互いを抱き合うようにして、全身を預けて支え合った。


 リズレッドの体のすべてが俺に任される感覚がきた。

 魔物たちと毅然に立ち振る舞う姿からは想像もできないほど華奢で軽い、一人の女性の重みが胸に乗る。

 そしてそれは向こうも同じだった。

 力尽きた俺は、情けないことにもうひとりで立つこともできない。彼女に全てを任せるしかなかった。


 だけどそれは俺とリズレッド、両方に言えることだった。

 互いの存在を十分に感じる重みと、そして暖かさを感じ合う。そうしなければ倒れてしまう。


「――――――あ」


 そこでふと、リズレッドが声を上げた。

 驚いているような、感慨に更けるような判然としない声音だった。

 何事かと俺は彼女を見やり――そして、目を見開いた。


 一瞬、リズレッドが赤い絹を纏っているのかと思った。だがそれは違った。


 ――血だった。


 俺から付着した真っ赤な血が彼女を染め上げ、それが夜の薄暗差と相まって、まるで紅色の薄生地を羽織っているかのように見えたのだ。

 現実世界ならば絶対に錯覚しないであろうその光景。血を流さないアバターだからこそ、その事実に気付くのが一拍遅れたのだ。


「わ、悪い! 服が汚れて……!」


 慌ててリズレッドから離れようとしたとき、腕を取られる感触が起こった。

 

「……いいんだ。このまま、こうしていたい」


 それは彼女が俺の腕を握った感触だった。

 願うような声音でそう告げて、リズレッドは目を伏せている。


 その言葉を受けて、再び腕のなかに彼女を抱いた。

 彼女の体が小刻みに震えるのが伝わってきた。


「――と――えた――――」


 すすり泣くような声音。

 やはりああは言ったものの、人の血など受けるなんて、気持ちの良いものではなかったのではないか。そう思って胸のなかにいるリズレッドに視線を送ると――そこには、


「――やっと、君に逢えた」


 流れる血を愛おしそうにその身に受けながら、大粒の涙を零すリズレッドがいた。


「――あ――――」


 俺はその光景を目の当たりにして、胸に感じたこともないような熱さが込み上げてきた。


 この一年間の旅で、彼女は絶えず傍にいて、ずっと隣り合ってきたと思っていた。だがそれは、意識を借り物の体に移して言葉を交わしているだけ――という残酷な事実に気付く声も、心の隅では確実にあったのだ。


 刃で切り裂かれても魔物の爪を肌に食い込まれても痛みもなく血も出ない体。むろんそれは、『ゲーム』という仕様で広く世界に普及させるには仕方のないことだ。だがその痛みを感じさせない仕様ゆえに、バディという唯一無二の相手と触れ合うときでさえ、その感触は限りなく弱く、遠かった。


 ネイティブと酷似した精巧に作られた人形。

 きっとそんな思いを、彼女はずっと心のなかに感じていたのだろう。


 ……だがいま、俺は彼女の息遣いや肌の感触、昂揚している気持ちをじかに感じている。そして彼女も同様に俺を感じ――そして、この世界に存在しているという確たる証ともいえるであろう、俺から流れ出る真っ赤な血を受けてくれている。


 やっと逢えた。


 その言葉は、それを如実に表したもので……それに気付いたとき、自分でも驚くほどになんの抵抗もできずに、眼から涙が流れた。


「……ああ……ああ。そうだ……やっと逢えた。やっと……リズレッドに会えた……っ」


 そう言って強く彼女の体を引き寄せた。

 彼女もそれに応え、ただコクコクと頷きながら、その身を俺に預けてくれた。


 俺たちの意識が保たれていたのは、そこまでだった。

 感極まった反動からか、それとも単純にそこが体力の限界だったのか、糸が切れるように視界が暗転する。


「おい、二人とも気を失ったぞ!」

「早く癒術院に運べ! エルフの貴殿も、召喚者の青年も、なんとしても死なせるな!」


 膝をつきながら、お互いに寄りかかるように気を失った二人を確認して周囲が騒然となった。

 ネイティブも召喚者も関係なく、ある者は中央広場から癒術院まで続く雑踏を開き、ある者はヒールを唱えて補助をする。

 彼らとてロックイーターとメフィアスの眷属との戦いで疲弊しきり、すぐにも処置を受けるべき状態だったが――そんなことは関係ないといった具合に、全員が二人を助けるために懸命となった。

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