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 そこまで言いかけて、男は口を噤んだ。

 アスタリアはにこりと笑い、少しだけ胸を張るようにして言い放った。


「『召喚者がネイティブと真に心を通わせることができるか』――それが、お兄様の懸念でしたね。では、もう答えは出たではありませんか?」

「……ふん、なんとでも言え。だがラビはまだ地下の古代図書館に封じられたままだぞ。すでに魔王の使徒は街に侵入している。この状況を果たして逆転できるかな」

「大丈夫、信じましょう。きっと彼なら――いえ、彼と彼女なら、どんな苦難も乗り越えられます。それにあの街は、お兄様の守護下にある街ではありませんか」


 そう言ってアスタリアは、遠く離れた決戦の地を見通すように目を細めたあと、座する金髪の男に向けて微笑んだ。


「ねえ、オーゼンお兄様」



  ◇



 これが六典原罪の力なのか。


 自分に向かって無数に繰り出される爪撃を紙一重でかわし続けながら、リズレッドは心のなかで毒づいた。

 傍目からは彼女は、魔王軍の指揮者であるメフィアスの攻撃を、ことごとく弾き返す熟達の騎士に見えるだろう。だが、違う。これは――弾いているのではなく、弾かされているのだ。


 目で追える速度などとっくに超え、《知覚超化》と《雷光反射》を使ってなんとか防いでるという程度の、紗幕な抵抗。

 攻防の取捨選択が勝利の要であるにもかかわらず、彼女は先ほどから、全くといって良いほど攻撃を繰り出せてはいなかった。

 もう何十、何百の攻撃を防いだだろう。


「ほらほら、まだ疾くなるわよ」


 メフィアスが優雅に笑いながらそう告げると、降り注ぐ爪の豪雨が、激しさを増して嵐となった。

 息をとうに上がり、大粒の汗が顎からなんども滴り落ちている。

 ――だというのに、相手のこの余裕はなんだ。なぜこんなに、踊るように攻撃し続けられる。


 昔、エルダーで開かれた武闘大会の前座で、旅の武芸人が演舞を披露したときのことをリズレッドは思い出していた。

 彼らは確かに美しかった。人を殺すための道具でしかない円月刀が宙でくるくると回したかと思えば、流水を思わせる滑らかな動きで体術の動作を披露してくれた。

 舞うように飛び跳ねたかと思えば、ときには相手の攻撃を流麗にいなし、また、ときには猛進な足運びを入り混ぜて観客を飽きさせない。まるで伝統舞踊じみた剣戟の数々は確かに目を引いたが――それはあくまでも『演目芸』だった。


 舞い上がるような体捌きも、アクセントを効かせた斬りこむような足捌きも、戦場では何の役にも立たない。

 何故なら、綺麗であればあるほど、人は次の動作を予測しやすいからだ。流れるような体運びをするのなら、その下流を狙って斬ればいいだけのこと。


 戦いにおいて重要なのか、相手に自分の行動を読まれないことだった。

 そのため彼女たちは日夜、相手と目線を合わせずに戦うことや、決まった動きを癖にしないことなど、様々な訓練を積んでいた。


 ――だというのに、この状況はなんだ。


 メフィアスは踊っていた。

 武道大会で見た演舞よりも遥かに流麗で美しく、ダンスパーティーの会場を連想させるほどに極まった、美の動きだ。

 むろん、そのため次の動作は読める。読めるはずなのだ。なのに――


「デュエットははじめてかしら?」


 悪魔が囁いた。

 攻撃の手に対して明らかに押され始めたリズレッドを、心の底から心配するように、だがそれがとてもおかしいことにように、メフィアスはじっと彼女の目を見た。


「――ふざ、けるな……!」


 苛立ちを込めて剣を振り、むなしく宙を斬った。

 メフィアスはその隙を衝き、彼女の右肩に鋭い爪を突き立てた。装備していたライトアーマーが軋みを上げて、肩部分の装甲が吹き飛んだ。


「ぁ……ぐ……っ」


 幸運にも爪は鎧の上で止まり、致命的なダメージとはならなかったが、装甲を剥ぎ取るだけの衝撃によって肩の関節が悲鳴を上げた。

 だらりと垂れ下がる左腕。白剣はなんとか右手で握っているものの、片手でメフィアスの攻撃をいなすことなど、不可能だった。


 ――何故だ。こんなにも流れるような演舞の動きだというのに、何故ついていけない。


 リズレッドは胸中で、悲鳴にも近い疑問を自らに放った。

 だがその答えを、すでに彼女は察していた。絶対に認めるわけにはいかず、だがそれ以外の解答などない、受け入れてはいけない答え。


 要するに、彼女にとってこれは戦いではないのだ。


 絶望とすら言って良い自己からの回答だった。

 だが幾千の戦場を生き抜いた彼女だからこそ、それを理解できてしまった。戦いにおいて唯一華麗に舞うことができる条件とは、己と相手の実力差が圧倒的に離れた場合だけに成立するものだということが。


「――ッ」


 顔が苦渋に歪んだ。

 彼我の差があることはアモンデルト戦で百も承知だった。しかしあのときは、まだ戦いのていを成してはいたのだ。圧倒的に敗北であったのは変わらずとも、あれは間違いなく戦闘行為で、自分は戦場に立っていた。

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