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 それは確かに真実だった。戦うことは怖い。

 だがそれを召喚者に言われる筋合いはなかった。魔物と戦い、鋭い牙が肉に食い込んでも、巨大な豪腕で四肢を薄い紙切れのようにぺしゃんこにされても、次はどう戦おうかなど議論を口にする彼らに、自分たちを否定する権利はない。

 なにをされても血も出ず、綺麗な赤い発光がされるだけの彼らには。痛みのない彼らには、信頼に足るものがなさすぎる。


 戦いから逃げる者を笑っていいのは、同じく戦いの痛みを知るものだけだ。

 だからこの街の住人は、召喚者が嫌いなのだ。戦いから逃げた自分たちを、笑う立場にない彼らが、まるであざ笑っているように見えるから。


 だが、だというのにこの少女は召喚者をリーダーとして認め、全幅の信頼を寄せている。


「……その召喚者は、本当に信頼できるんですか。その……この世界を、遊戯盤としか思っていないような彼らを」


 少女はきょとんとした顔を浮かべた。

 そしてさも当然のように、軽い口調で言い放った。


「はい。きっとあなたも会えばすぐにわかると思います」


 そう言って今度こそ彼女は歩き去っていった。

 ようやく終わった戦場をあとにし、さらに過激な戦場へと歩む姿は、僧侶である前に、戦いへと赴く覚悟を決めた冒険者だった。壮年の女性は彼女の言葉を全て信じられるほどもう若くはなく、訝しむような感情を抱いた。だがそれと同時に、信じたいという気持ちも、胸のどこかから生まれる感覚も覚えていた。


「歳を取ると、考えが硬くなって駄目ね……」


 あるいは自分も、人生のどこかで冒険者として生きる道を選んでいたら、彼女のようになれたのかもしれない。

 凝り固まった思想に捕らわれることなく、新たなことに果敢に挑戦し続ける、自由な存在に。

 しかしそれを実行するには女性はすでに歳を取りすぎており、鳥かごのなかで過ごすことに順応しすぎていた。


 だからせめてもの思いで祈った。

 あの前途ある少女に行く道に、どうか光溢れる未来が待っているように。

 少女はやがて女性の前から姿を完全に消した。彼女はそれをいつまでも見守っていた。


 ――危なかった。

 アミュレは心の底から安堵して、心のなかでそう呟いた。

 少しだけ振り返ったが、もう女性の姿は見えなくなっている。ここまで来れば、もう大丈夫。


 そう思った瞬間、足ががくがくと震えだし、玉のような汗が、体中から吹き出した。

 こんな状態を見られれば、さすがに無理やりにでも病室に入れられてしまう。

 精神はすでに摩耗し、女性と話している最中に、何度も立ちくらみを起こして倒れそうになっていた。やはり連続で癒術を使い続けるのは、想像以上に大きな負担がかかる。


 ――いや、当たり前か。だってこれは、借り物の力だもの。


 アミュレは壁に手をつけながら、苦笑しながらも足を前に進めた。

 嬉しかった。城塞都市の癒術班のリーダーに、あそこまで気を遣ってもらえるとは思ってもいなかった。しかしこれは自分の功績ではない。全ては素晴らしい力を自分に与えてくれた、友人の功績だった。自分はただの殻だ。生き物を殺し、友人を殺し、人として行なってはいけない行為に手を染め尽くした、将来は最悪の職業を信託されるであろう、汚れた殻だ。


 だが殻の中身に、こんな素晴らしい力を注いでくれたあの子に報いるためにも、自分はこんな所で立ち止まってはいれない。たた全てを尽くして、癒術を必要としている人の場所に赴くだけだ。――この汚れた外側が、壊れて動かなくなるまで。


「ラビさん……リズレッドさん……待っていてください……っ」


 壁に手をつき、朦朧とする意識をなんとか留めながら、少女は大火が吹き荒れる戦場へと向かった。



  ◇



「――ここが、最上部のようですが」


 エイルが眉をひそめてそう告げた。

 アラクネとの戦いを終えた俺たちは、遥か上方まで続く螺旋階段を登り続け、ようやくその終点へと辿り着いていた。

 だがそこにあるのは一つの部屋だけだった。なにもない部屋だった。正方形の形をしており、いままでと同じような石造りの簡素な部屋だ。ランプの灯もなく、突起のようなものもなにもない。建築家が盛大に手抜きをした図面を、そのまま起こしたような部屋だった。

 光源となる明かりがないのに俺たちがお互いを目視できるのは、天井から漏れ出た光が、わずかにこの殺風景な場所を照らしてくれているからだ。


 ――そう、光だ。

 俺たちはついに地の底に作られた地獄の牢獄から抜け出し、外の光を浴びるのに、あと一歩のところまできていた。


 残された時間が少ないのは、ここに着くために階段を一歩一歩上がるたびに、確信へと変わっていった。


「うわっと!? ……ったく、さっきから勘弁して欲しいぜ」


 ヴィスがよろけて転びそうになった大勢をなんとか持ち直しながら毒づいた。

 階段を上がる度に――地表へと近くたびに激しくなる地鳴り。それが確信の根幹だった。

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