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 弧を描く刃の閃きが、目にも止まらない疾さで空間に出現した。始点から終点の軌道がまるで見えない、空中にいきなり一つの弧が現れたと言って差し支えない、恐るべき速度だった。


「鏡花!」


 数々のプレイヤーキラーによって培われた殺人の技が、看守であるアラクネの子の体を、まとめてなぎ払ったのだ。

 だが、それだけではなかった。彼女の後ろから――こちらは鏡花とはうって変わり、真っ白な髪をひと房に結い上げた女性――がおもむろに現れると、


「……私もやる」


 そう言って、前方に杖をかざした。

 怪しい緑色の光が彼女の前方に現れ、風船が割れるように弾けた。


 中から毒々しい色をした液体が飛沫となって飛散し、蜘蛛たちに降り注ぐ。驟雨に見舞われた捕食者たちが、なんと硫酸でも浴びたかのように煙を吹きだし、苦悶の叫び声を上げながら溶けて消えていく。


「あら、援護ありがとう弔花。でもこの程度の敵、私一人でも十分ですわ」


 コンマ数秒のタイムラグを挟んで、鏡花と弔花がログインした。

 そして彼女たちは横目でこっちを一瞥すると、不敵な笑みを作った。それに対して俺は一瞬、身が震える感覚を味わった。弔花の控えめの笑顔と違い、鏡花のそれは仲間に向ける頼もしい顔というよりも、心待ちにしていた凶行がやっと決行できるとでも言いたげな、犯罪者じみたものを感じたからだ。


 おそらく敵として対峙していれば、震えるどころか背筋が凍るほどの恐ろしさを味わったのだろう。だがいまは、同じ目的のために肩を並べる仲間であり、頼もしいことこの上ない。そしてその凶刃を向ける先がモンスターであるならば、なおさらである。


 次いで、二つの光柱が現れた。

 中からはいかにも豪胆といった風貌のスキンヘッドの男と、女性のように線の細い――打ち合わせをしていなければ性別を判別しかねただろう――男が飛び出す。


「オレの後ろに下がってなエイル!」

「はいっ、頼みますヴィスさん!」


 二人はパーティプレイの練熟さを思わせる連携を見せ、一瞬のうちに状況を判断すると隊列を形成した。殲滅係のエイルをヴィスが守る形だ。

 戦士であるヴィスは、片手に自分の胴体ほどの大きさを持つ斧を装備すると、唸りを上げながらそれを持ち上げ、


「好き放題食いまくってくれたお礼だ! 受け取れ糞虫どもがァァアアアアア!!」


 渾身の力で振り下ろした。

 狙いもなにもない、巨大な鉄塊を、乱暴に床に叩きつけたという表現がしっくりくる一撃だ。


 けたたましい衝撃音が部屋に響く。

 この世界の物体は、クリスタルなどの例外を除いては、ほぼ全てが破壊可能オブジェクトだ。だが硬度は現実世界と変わりなく、硬いものは硬い。

 だというのに彼の大斧は、まるで焼き菓子のように石の床を粉砕してみせた。


「どうだァ! これがオレ様のパワーだーッ!」


 誇らしくげにそう吠えるヴィス。

 鏡花と弔花が横で冷めた目を向けることにさえ視線を背ければ、その活躍ぶりに思わず拍手すら送りたくなるほどだ。


「うおっ」


 ……だがそれにも弱点はある。

 あれほどの攻撃はそうそう連射できるはずがなく、振り上げて下ろす動作には、どうしても隙が生じるのだ。


 叩き割った床の周囲にいた蜘蛛たちはまとめて粉微塵となったようだが、敵の数は圧倒的であり、焼け石に水程度でしかない。すぐに敵は、彼が叩き割って空白となった床を埋めるように寄り集まり、再び石畳を黒で満たした。


 低く唸るような声がヴィスから漏れる。

 俺はそこに、すかさずファイアを打ち込んだ。熱と光に飲まれた捕食者たちが、ヴィスという餌に釣られて火中に消えた。


「おお! 助かったぜラビ!」


 親指を立てながら、ほっとした顔で礼を言う彼に、俺も同じポーズで返した。


 ここで一人でも欠けるわけにはいかない。なにせ五人でも足りないくらいなのだ。一人が殺されれば、隊列が乱れて、そのまま総崩れになりかねない。


「みんな! なんとしてでもエイルを守るぞ!」

「わかっておりますわ!」

「……頑張る」

「おうよォッ!」


 監獄のなかで、俺を含む囚人たちが反旗の声を上げた。

 不当に受けた呵責を薪にして、暖炉を一気に燃え上がらせるような熱気が、冷えた監獄を駆けた。


 ――どうだアラクネ、そしてメフィアス。俺が揃えた仲間は。


 心のなかで、見下すようにこちらを眺める二人に対して、気丈にそう告げた。


 視界を埋める虫たちへの強烈な一撃を与えるには、エイルの習得している範囲魔法が必要不可欠だった。

 だがこれは、発動までに少なくない詠唱時間を必要とするのが大きな弱点だ。本来ならば野戦において、周囲に敵がいない状態で護衛に囲まれながら、十分に注意を払って使われる魔法だ。だが、いまの護衛はたったの四人で、敵は周囲どころか足に当たる多脚の感触が伝わるほどの至近距離にいる。


「泣き言を言うのはなしだラビ……そんなことじゃ、リズレッドに笑われるぞ」


 俺は自分自信を鼓舞して、一度、どんと自分の胸を拳で叩いた。

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