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「待て、バッハルード!」


 人の声というより、音の爆発物と言ってよかった。

 二度目の来訪者に再び周囲の目が向けられ、ついに全員が、例外なく目を剥いた。バッハルードは陰から姿を現し、ゆっくりと近づいてくる男に、あからさまな溜め息をついて応えた。


「お前は出てこないと約束しただろう、フランキスカ」


 主様ではなく、フランキスカと呼ぶギルドの長に、その男はにやっと笑みを返した。

 喧騒のなかに突然現れた者の正体は、過去の城塞都市ウィスフェンドに革命を起こし、今日では都市全てを統べる存在として君臨する領主、フランキスカ・レイゼンオーグだった。賢人の子孫で固められた、歪んだ貴族構造に支配されていた城塞都市に真の平等を築き上げた張本人が、住人と召喚者の衝突の場に姿を現したのだ。


「すまんすまん。だがそのエルフだけは、どうしても自分の目で確かめたくてな」


 バッハルードにも負けない――いや、それ以上の体躯を上下させながら物陰から姿を現すと、彼は辺りを見回しながら一歩一歩足を進めた。まるで獲物を牽制する猛獣のような仕草だった。一人一人に対して不穏が動きがないかを確認し、もし見つければ猛然と牙を剝いてやろうという血気盛んさが、一目で見て取れた。


 リズレッドはこの都市の最高権力者だというのに、まるで大人しく椅子に座っている姿が想像できない相手に戸惑いを覚えた。彼から伺える上流階級の匂いなど、貴族が好むサイドをロールした髪型くらいなものだ。完全に地毛であり、カツラでないところを見ると、なにかこだわりがあるのかもしれない。だが鍛え上げられた体との対比により、むしろそれがとても滑稽にすら映った。


「主様……このような夜に出歩かれるなど、いささか遊びが過ぎますよ」


 突然現れた主に対して、エレファンティネは足を折り、かしずきながら言葉を述べる。横にいるホークも同様に忠誠の姿勢を示してそれに倣った。


 当の本人はそんな彼らを手振りで労うと、争いの渦中にいるリズレッドへと歩み寄る。まるで決闘を前に、いまから闘技場に昇る武術者のような雰囲気だった。彼女はその気迫に反応し、無意識のうちに剣を構えそうになった。闘気すらまとって近づく大男が一瞬、恐るべき脅威に感じたのだ。ここが戦場であれば、間違いなく戦闘態勢に入っていた。フランキスカはそれを察したのか、少しだけ口の端を吊り上げながら言葉を発した。


「警戒するなエルフよ。なにもドンパチやろうってわけじゃない。お前の価値を、この目で見極めたいだけだ。まあそちらの意向次第では、どうなるかわからないがな」

「私の価値……?」

「知っているだろうが、俺はこの街の賢人と蛮族の子孫をまとめ上げることを責務としている。だからそこに、無用な新たな争いの種が混ざるのは、極力避けたいのだ」

「済まないが、私はエルダー神国以外の者と接点があまりなくてな。この街で過去に起こったことに、そこまで詳しいわけではない。だが争いの種と呼ばれるのは、いささか心外だな。現にこうして、バッハルード殿の拘束を受けいれる最中だったではないか」

「拘束されて、それからどうする? 私は自分の目で見たものしか信用しないことにしていてな。特に相手がエルフだとなると、十分に疑ってかかっても、まだ足りないくらいだろう」

「……どういうことだ」

「ふん、わかっているんだろう? 原初にsて賢人と共に神から魔法を授かった妖精族よ。賢人は主に補助魔法を得意としたが、妖精族は違う。他者を排除するための、実践的な魔法を女神アスタリアから授かった。いわゆる攻撃魔法ったやつだ。そしてそれが、世界に災禍を呼んだ」

「……貴様、それをどこで知った」

「城塞都市ウィスフェンドの歴史を舐めてもらっては困る。多くの人族が忘れ去った太古の記録も、ここでは古代文字で記された書物として保管されている。エルフがドルイドの住んでいた森を焼き払った所業も、とっくに私は知っているぞ」

「違う。それは曲解された歴史だ。真実は――」


 リズレッドの言葉を、フランキスカは大きく広げた手で遮った。


「どのみち、俺たちの歴史のどちらが正誤なのかを言い争っている時間などない。だが一つだけ言えるのは、俺はお前たち妖精族を信用していないということだ。魔法革命を起こしてあの戦争を引き起こした、悪魔の妖精族をな」

「……ッ」


 リズレッドの顔に怒気がみなぎった。傍にいるアミュレが、それに気圧されて肩を震わせる。


 人族とエルフの確執の元凶は、長い歴史のなかで完全に闇に埋もれてしまったと少女は故郷で習っていた。現在この二種族が忌み嫌う理由は、ただ単に、祖先から連綿とそれが繰り返されてきたからなのだと。


 しかしリムルガンドでエレファンティネが口にした『戦争』という言葉を、同じく目の前の領主も告げ、それによってリズレッドの態度が急変した。明らかにこの三人が、埋没したはずの世界の時の真実を知っていることは明らかだった。そしてそれを知っていてなお、フランキスカが彼女の逆鱗に触れたのだということも。


 少女は急いで会話に割って入った。

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