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 敬語のなかにも気慣れた調子を含んだ言葉だった。隊長という呼び方から、彼がホークの上司に位置する人物なのは場にいる三人ともすぐに知れた。だがマナを覗くリズレッドとアミュレは、その語調に眉をひそめた。

 規律の遵守を美徳とするウィスフェンド民のなかでも、とりわけその主張が強いホークが、目上に対して気安い態度を取るのが珍しく感じたのだ。


 しかしそんな疑問など関係なく、男は短く刈り上げた黒髪をくしゃくしゃと掻き鳴らしながら、間の抜けた声で告げた。


「いやあ、どうにも美人の前では緊張しちゃってね」


 締まりのない顔と落ち窪んだ瞳。城塞都市の兵士らしく、鍛え上げられた体は鎧の上からでも十分にわかるが、それ以上に昼行灯の風貌が強い男だった。

 リズレッドは警戒しつつも戦闘体制を緩めた。あまりの覇気のなさとホークの態度から、敵対する意思は持っていないと判断したのだ。それにウィスフェンドの公的部隊に不躾な態度を取り続けるのも、いまの状況では悪手だと考えられた。


 男はその様子を見て、にこりと笑みを作った。下卑た感じも傲慢な感じもない代わりに、どこかぼやけた印象を抱かせる笑みだった。


「どうもリズレッド殿。俺はホークが所属しているウィスフェンド第二兵隊の隊長を勤めております、エレファンティネ・ロッソという者です。部下たちからはエレン隊長と呼ばれておりますので、ぜひそう呼んでいただけると嬉しいですな」

「ご丁寧にありがとう。気配を消して岩陰から近づくとは、なかなか良い趣味をしておられる」

「いやいや、私の隠密スキルなどそちらのお嬢さんに容易く見抜かれてしまう程度のものです。少しばかり自信があったのですが、いやあお恥ずかしい」


 ははは、と後頭部に手をやりながら笑うエレファンティネ・ロッソ。リズレッドはどうにも掴み所のない相手に対して、これ以上振り回されるのはごめんだという風に、話を切り出した。


「それで、わざわざこのようなところまで、隊長殿がどのようなご用件で? いまも前線ではウィスフェンドの兵士が命をかけて戦っている。その長であるあなたがこんなところにおられるとは、それなりの理由があるのでしょう」


 流麗な言葉の裏に、隊長格が何故このような後方にいるのかと、明らかな不服を含んだ物言いだった。剣は抜いていないが、言葉にまとった覇気だけで、十分に斬るべきものは斬れるのだという感じである。

 その見えない刃物の切っ先を突きつけられたエレファンティネ・ロッソは、物怖じしたように沈黙してしまった。そして一拍置いたあと、


「ホーク君、俺、嫌われてる?」


 これはまいったという態度で、横に控えた部下にそう訊いた。

 ホークは手で顔を抑えて、小さく喘いだ。


「隊長……」


 二人にそのつもりはないのだろうが、どことなくコメディーの一幕のようで、マナとアミュレは二人同時に口元を抑えて笑いを堪える。

 リズレッドがそれを見て、まるで一人だけこの場で凶器を振り回す危険人物のような居心地の悪さを感じ、ふう、と一つ息をつくと、ついに完全に警戒を解いた。


「すまなかったエレン殿。初対面の相手を必要以上に警戒するのは、私の悪い癖なんだ」

「いえいえ、気にしないで下さい。俺のほうもいつもこんな感じで、ホーク君から常に怒られてるんです。ま、慣れたものってやつですな」


 それは果たして慣れて良いものなのだろうかという疑問を、もう少しでリズレッドは口からこぼしそうになった。


「それで、なぜ俺がこんなところで油を売ってるのかっていう話なんですが、あなたをスカウトしにきたからです。元エルダー神国騎士団副団長、リズレッド・ルナー殿」


 出し抜けの言葉だった。

 まるでちょっとそこまで買い物をしてきた、程度の雰囲気で告げられた言葉に、リズレッドは最初、なにを言わているのか認識できなかった。


「……すまない、いま、なんと?」

「いやあ、知っての通りウィスフェンドはいま、建設以来初めての危機に直面しておりましてな、どんな戦力にも助力をお願いしたいのです」

「……つまり、私に城塞都市防衛戦に加わって欲しいと」

「その通りです。もちろん、そのあいだの滞在費用や必要物資は、こちらで用意させていただきますよ。どうやらそちらは、随分持ち金にあえいでいるようですから」


 どこから知ったのか、エレファンティネ・ロッソはリズレッドの懐事情を把握していた。ここに来る前に、交渉に有利になりそうなものはあらかた見繕ったのだという感じを、隠しもしない様子だった。

 そんな男に対して、リズレッドは薄く笑みを浮かべた。


「ふふ、ずいぶん食わせ物だったようだな」

「俺もこういうのは性に合わないんですが、まあ仕事なんでね」

「勘違いするな。そういう相手のほうが、私もやりやすい。どうも最近はマイペースな奴らに主導権を握られることが多かったのでな。やっとそれらしい相手が出てきてくれて、感謝したいくらいだ」

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