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『みんなに行き渡ったみたいだな! それじゃあ、箱の中身を確認するんだ!』


 バルロンの声がスイッチだったかのように、リボンがひとりでにゆるみ、宙に舞って消えた。俺は恐る恐る蓋に手をかけると、ゆっくりと開く。そこには、


「……指輪?」


 銀のリングが収められていた。

 誰が作ったのかわからないが、それは精美な装飾と、中央に小粒な白の宝石が配されたもので、我の強い彼から届いたとは思えないほど、慎ましい美しさを誇っていた。

 だが俺が真に面食らったのはそこではなかった。

 リングは二つあった。

 両方が全く同じ作りの銀の指輪が、ペアとなって箱のクッションに差し込まれていたのだ。

 《エデン》のときとは別種の困惑が頭をかき乱した。今度こそ意味がわからず、自分の頭の上に疑問符がいくつも浮かんでいるのがわかる。

 会場の召喚者たちも同様で、これが一体なんの条件になるのかと、隣り合う者同士が話し合う小声で、中央公園はざわざわと揺れていた。

 その空気を十分に味わうようにバルロンはたっぷりと時間を空けたあと、やはり悪戯めいた声で、その真意を告げた。それは俺たち召喚者を、今度こそ驚愕の淵に叩きつける言葉だった。


『そいつはエンゲージリングだ。召喚者とネイティブ、二つで一つのリングだ。一億ドルの《エデン》到達戦には、そいつをはめてくれるネイティブを探して、バディになる必要がある。それがこのレースに参加する最低条件だ』


「……ッ!?」


 思わず小箱を見返した。

 二対の指輪が夜の闇夜の中で、きらりと輝いた。

 声にならずただ愕然とするが、それは眼下のみんなも同じようで、誰も彼もが全く予想していなかった条件の提示に、信じられないといった顔をしていた。


 ネイティブとバディに?


 そんなもの、ネイティブにしてみれば何の特もない話だ。《エデン》到達戦は、おそらく熾烈を極める。道中には何度も死の危険がともなうだろうし、長旅が続くため、暮らし慣れた生活を捨てる覚悟も必要だろう。

 一億ドルの分け前を提示したとしても、そんなものが本当に守られるかわからない。召喚者の遊びに、相手の命をかけろと言っているようなものだった。


「お、おい……」

「ああ……」


 不穏なざわめきが会場を包んでいた。

 彼らはみんな、初日に自分たちが行った非道を知っているのだ。少数の犯行とはいえ、街の人間を拉致してモンスターの撒き餌に使おうとした事実は、召喚者とネイティブの間に壁を作っていた。

 そればかりか、表立った事件は起こしていないものの、いまだに彼らをただのAIだと断じ、横柄な態度に出ている召喚者も多い。

 そんな俺たちと、果たして自分の命を賭けてまでバディになってくれるネイティブなどいるのだろうか。

 バルロンの告げた最低条件は、それだけで高難易度のクエストだった。そもそもエンゲージリングという名前も、余計にハードルの高さに拍車がかけている。


『おっと、適当な相手をバディにしようとするなよ? そのリングは一度はめると自分の意思でしか外せないし、もし外したら自動的に消滅する。この意味がわかるな?』


「なっ……!?」

「なんだそりゃーーッ!?」

「じゃあもしバディになったあと、ネイティブが消滅しちまったらどうなるんだよ!?」


『もちろんその時点で失格だ。1億ドルは夢の彼方。あとは残った奴らのレースを楽しんでねってやつだ! あ、期間は半年な! それを過ぎてまだノーバディのやつは、自動的に失格にする!』


「〜〜ッツ!!!!」


 もはや中央公園は絶叫の嵐だった。俺もこのゲームの製作者がどれだけ破天荒な人物なのか、改めて確認して頭を押さえる。

 バルロンはその阿鼻叫喚ぶりに満足したのか、


『……まっ、この世界をもっと楽しむための、俺からのささやかなプレゼントだ。ありがたく受け取ってくれ。じゃあな!』


 そう言って壇上を軽やかに降りると、夜の闇に溶けるように消えてしまった。

 いっときの沈黙が会場に落ちた。

 そして凝縮された可燃物が発火点を超えて一気に爆発するように、大絶叫が響く。


「ハァアアーーーー!!??」

「え? あれで終わり!? これ以上説明ないの!?」

「おい運営! どうなってんだコラァ! もっと説明しろォ!!」


 だがその怒声に応える者はおらず、鳴り止まぬ叫びは虚しく宙に消えるだけだった。

 ひとしきり騒いだあと、ついに観念した彼らは、その鬱憤を晴らすように出店でエールを呑み合った。諦めと高揚が入り混じる奇妙な空気だった。これから始まる《エデン》到達戦に向けて、難易度が高ければ高いほど、ゲーマーとしての意地が刺激される。そういった雰囲気だった。

 一人だけしか選べないバディ。死の危険をともなう旅に同行してくれる、絆を結んだネイティブ。

 俺は指輪を見つめながら、その困難さに顔を暗くした。だがそれと同時に、とても身勝手な像が頭に浮かぶのも感じていた。

 その条件を満たす相手を模索するほど、一人の女性の姿がありありと浮かんだのだ。

 だがそれ以上はなにも言えなかった。俺の勝手な都合に、これ以上巻き込む訳にはいかない。

 そこで不意に、俺の袖がくいくいと手繰られた。

 反射的に振り向くと、そこには、


「……」


 真っ直ぐ俺を見るリズレッドがいた。

 彼女はなにも言わず、少し頬を染めながら、ただじっと俺の瞳と向き合っていた。

 だが俺がなにも言わないのにしびれを切らせたのか、こほんと空咳をしたあと、おもむろに告げた。


「……こういうのは、殿方から先に言うものだと思うが?」


 その様子で、どんなに煮え切らない俺の心も、決心がついた。


「あ、えっと……」


 アモンデルトやドラウグルを相手にしたときのほうが、よほど心臓に優しかった。心の底からそう思えるほど鼓動が脈を刻んでいた。

 夜の中に彼女の蒼天のような双眸が光り、じっと俺を見ていた。

 しどろもどろになりそうな口を、深呼吸をして落ち着かせたあと、なるべく沈着に彼女へかけるべき言葉を告げた。


「……リズレッド、俺とバディになってくれ」


 辺りは驚くほど静寂だった。耳になんの雑音も入ってこず、しんとした静の音さえ聞こえてきそうだった。

 だがその静寂の中に、彼女の声が波紋を打つ。


「はい」


 一言そう応えると、彼女は自らの左手を差し出してきた。

 自分の薬指を上げて、リズレッドはそのときを待っていた。

 俺は箱から二つのリングを取り出すと、その手を取って告げた。


「……バルロンの報奨金は、ぴんとこないかもしれないけど、本当にとんでもないが額なんだ。俺、必ずそれを手に入れるよ。そうしたら、きっとエルフの国を再興する資金になると思う」

「……ばか。人の手を握って、違う男の名を語るな」

「えっ……」

「いまは、ラビのことだけを感じていたい。私にだって、そのくらいの乙女心はあるんだ」

「……そうだな、わるい。……リズレッド」

「ん?」

「ありがとう」

「……ん」


 そう言って俺は、彼女の薬指にゆっくりと銀のリングをはめた。震えそうになる手を押さえつけるのが、こんなに大変だとは思わなかった。

 リズレッドは自分の指に光るリングをとても愛おしそうに眺めたあと、俺の手からもう一対のペアを取り、


「これから、よろしくおねがいします」


 そう言って、俺の手にリングをはめた。

 少しだけ沈黙のときが流れ、そのあと、お互いが照れ隠しのように笑った。

 中央公園からは喧騒や管楽器の音色が響き、きらびやかな花火が、ひっきりなしに打ち上げられていた。

 その灯りを受けて、お互いの指にはめたリングが、いつまでもきらきらと輝いていた。



  ◇



 中央公園だけでなく、街を一望できる高い時計台の上にひとつの人影があった。

 時計盤の前で膝に手をかけて座り、バルロンのイベントを眺めていた彼は、湧き上がる笑いを堪えることができなかった。


「あっはっはっはっは! そうきたか! そうきたか!」


 亭々たる時計台の上に会場の熱気は届かず、どこまでも広がる無限の闇と沈黙の中に、愉快な彼の声だけが響く。


「バディとはね! さすがにそれは予想しなかったなあ! でも兄さんも姉さんも、本気で僕と意見を分かつつもりなのは、これで明らかになった訳だ。ま、いまさらだけどさ。……差し詰め、彼の助力あってのことかな?」


 そう言うと綺麗な金髪を揺らしながら、メルキオールは天を煽った。


「……いいだろう。そのために用意した世界だ。今度こそ、ここで決めようじゃないか。誰が星を継ぐため、罪を雪がれるべきかをね……バルロン・アーシュマ!」


 彼の視線はどこまでも高く、遥か遠き無窮の天を射抜くように、鋭い笑みを浮かべていた。



  第一部・完



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あとがき


 こんにちは、赤黒 明です。

 このたびは『アーク・ライブ・アブソリューション』をご拝読いただき、誠にありがとうございます。

 どこまで書けるかわからないけど、とにかくやってみようという気で始めたこの作品も、なんとか第一部完という区切りを迎えることができました。

 これもありがたいことに毎日最新話を追ってくださる方や、応援、ブックマーク、感想など、他あらゆる場面で私の心の支えになってくれた方々がいらっしゃったおかげです。

 ラビとリズレッドはやっと一つの目標の上でひとつになれました。本当なら第一話で全てをやらなければいけないのですが、まだまだ未熟ゆえ、彼らをここまで到達させるのに十四万文字という多大な量を要してしまいました。

 第二部は、約一週間後の十二月十四日から開始させていただきます。第一部で得た経験を活かして、制作していたプロットをさらに練り直す必要があると感じたからです。

 ラストまでの道筋はできているので、あとはそれをどれだけ表現しきれるかという、私自身の筆力の戦いになります。

 登場人物たち共々、作者も成長を怠らず、さらに魅力的な世界を書けるように努力していきますので、どうかこれからも『アーク・ライブ・アブソリューション』を、どうぞ宜しくお願いいたします。


 二〇一九年十二月五日

 赤黒 明

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