第35話


「なんだっ……あれはドラゴン!? なんであんなのが、この辺にいるんだ」

「様子が、おかしいです。やたらと荒ぶっているような」


 この世界のドラゴンは、ファンタジーの世界のお約束らしく力も体も強大な生物だ。けれど意味もなく暴れるような気性はしていない。わざと怒らせない限りは、他の生物を無意味に害する事もないはずだ。文献でみただけで、実物を見るのがはじめてだから本当のところはわからないが。


「誰かが故意に、怒らせたのか? ドラゴンにわざわざ、そんなことするなんて、命がいらないって言ってるも同然だぞ」


 疑問と呆れを、含んだ表情に言葉―― 俺も同意見だ。怒らせなければ問題はない。けれど怒りに触れれば、人では到底かなわないだろう。そんな生き物を、わざわざ怒らせるなんて正気の沙汰じゃない。


「とにかく、ここを離れましょう。距離が離れているとはいえ、この程度の距離ならドラゴンにとってあってないようなものです」

「そうだな」


 視線はドラゴンに、固定したままシーディスさんが小さくうなずき返してくる。


 そのときドラゴンが、俺たちの方向に向かって駆けた。例えるなら実は走れないんですよと、学者にばらされるまえのティラノサウルスはこう走ると信じられていた時の様な走りだ。

何がいいたいかっていうと、早い上にめっちゃくちゃこわい。


 地響きの振動が、ここまで伝わってくる。俺は慌てて間隔を開けて何枚ものドラゴンサイズの氷の板を、等間隔に出現させるがまるで足止めにならない。あっという間に砕け散っていく。いや2秒くらいは、タイムラグが生じている。だがそれでは、何にもならない。


 そのときドラゴンの足元が、大きく陥没した。シーディスさんだ。彼の適性は土だ。大地に干渉して足元をくずしてくれたのだろう。

 ドラゴンを落とす程の、大きさの穴を瞬時に作るなんてシーディスさんは結構すごいのかもしれない。


「ぼっとするな、この隙に逃げるぞ。土で動きを拘束してるがドラゴン相手じゃどこまてもつか……」

 俺の腕を引っ張りながら、話していたシーディスさんの声が途中で途切れる。視線はドラゴンが、落ちた方に向かっていた。自然と俺の視線もそっちに向かう。

 浮いていた。ドラゴンが空中に羽をはばたかせ、飛んでいた。


 ―― あいつ飛べるのか! 


 パッと見た感じでは翼がない上に、走ったから飛べないのかと思った。だがいま空中に浮くドラゴンの背には小さいが翼が生えていた。出し入れ自由か、ファンタジーだな。

 こちらに飛んでくるかとおもったが、ゆっくりと地面に降りていく。そして羽も消失した。どうやら浮くことは出来ても、飛行をする力はないらしい。


 着地をすると同時に、ドラゴンが尻尾を振り上げた。あたりの岩が砕け散ったのを見た瞬間、体に衝撃が走る。


「ぐっ……」


 地面に体を打付けた痛みに顔をしかめながら、体を起こすと俺がさっきまで立っていた場所にシーディスが横たわっていた。


「シーディスさん!?」


 脇腹が赤く染まっている。

なにが起きたか分からずあたりを見渡すが、数メートル先に血の付着したいびつな形をした拳大の石が転がっていた。


「……俺をかばって」


 それをみて察した。ドラゴンが砕いた岩の破片がここまで飛んできて、それに気づいたシーディスが俺をかばって突き飛ばしてくれたんだ。


「止血しないと、早く……」

「レイザード、走れるか……」


 当て布になるようなものを探していた俺の腕を、起き上がったシーディスさんが掴んでくる。


「はい」


 震えそうになる手を、叱咤しながらなんとか腹部に布を当てて簡易にだが固定する。


「なら走れ、あれを倒すのは無理だ。足止めにも、限度がある。さっきので、少しは時間をかせげる。それを繰り返せば、なんとか逃げられるかもしれない。だから走れ」

「わかりました。なら早くいきましょう」

「俺は、走れない」


 ああ、そうだ。こんな状態じゃ、一人でなんて無理だ。血がどんどん滲んで、当てた布を赤に染めている。

 何を言ってるんだ俺は、しっかりしろ。動転している場合じゃない。


「肩を貸します」

「違うレイザード、俺は走れないんだ。逃亡防止用に走れない様に腱を切られている。……奴隷だったんだ。だからかまうな。おいていけ」


 苦笑と共に、シーディスさんがゆっくりと首を横に振る。

そうだ傷が酷い。肩を貸すんじゃなくて、背負っていこう。そう思ったとき、予想しなかったことを言われた。


「は?」


 ぼうぜんとつぶやいた俺に、なにを勘違いしたのかシーディスは自嘲めいた笑みを浮かべて俺の肩を押した。


 ぶつりと、何かが切れた音がする。


 ―― この人は何を言っているんだ?


 ムカつく。腹が立つ。苛立ちしか湧いてこない。親切にしてくれている人に、抱く感情ではないのだろう。ただいま俺が、この人に感じるのは怒りだけだった。


「なにふざけたことを、言っているですか? 貴方が奴隷であったことと、いまここで置き去りにすることになんの関連性がある。馬鹿なことを、言わないで下さい。そんなことを言っている暇があるのなら、さっさと腕を回してください。ああ力がはいらないか、ならおぶっていきます」


 肩を押した手を掴み、視線を逸らさずに言葉を放つ。

 目を見開いて、シーディスが俺を見ている。気持ちは分かる。いきなりかなり早口で、まくしたてたからな。

 けど我慢してほしい。湧き出た苛立ちを、うまく抑えられないんだ。


 ―― シーディスさんが悪い


 今回ばかりは、この人が悪い。あんなふざけたことを言ったシーディスさんが、全面的に悪い。


「レイザード……」

「なんですか。これ以上くだらないことを、いったら怒りますよ。さあ、いきま……」


 まだ渋る様子を見せたシーディスに、無理やり手をかそうとしたとき自分が熱さを感じている事に気がついた。いきなり気温が、上昇するわけがない。


 いやな予感がして、ドラゴンのいる方向に目を向ける。

 動きを止めているドラゴンが、大口を開けているのが見えた。その巨大な口の中に、オレンジ色の光が見える。ドラゴンの炎のブレスだ。


 ―― まずい


 そう思った瞬間、辺りが赤に染まった。





――――――――――――――――    ――――――――――――――――


 痛みは感じない。たぶん火傷の状態が、ひどいのだろう。

 ドラゴンの足音が、遠ざかっていく。確かめる事は出来ないけれど、足音が徐々に小さくなってくのが聞こえるからどこかに行ったのだろう。


 いったい何だったのか。何に苛立っていたのかは知れないが、気は済んだらしい。

 もしかして巨大なドラゴンは、俺たちのことなど認識していなかったのかもしれない。ただの苛立ちから、駆け出した。奴にとって小さすぎる俺たちなど、気にも留める存在ではなかったのだろう。


 うまくやり過ごせばよかったのに、俺たちを攻撃するつもりだと勘違いして術をつかってしまった。ドラゴンは自分を攻撃した存在を、その時に認識したのかもしれない。


「…………」


 名前を呼ぼうと、口を開こうとするが動かない。

 庇ってくれたのだろう。俺に覆いかぶさっているシーディスさんは、ピクリとも動かなかった。

 二人して原型をとどめているのは、直前に術を構成して防御をしたからだろう。俺が氷を発生させたように、シーディスさんも術を使い防御を行っていた。

 けれどそれも、焼け石に水よりまだマシ程度だったのかもしれない。


 ―― 火傷が酷い……


 医者でも何でもないから、どんな状態なのかはわからない。けれどこのままじゃ、不味いことは分かる。なんとかして、助けないと手遅れになってしまうだろう。


 ―― 助けないと


 こんな所で死んだら、あんまりだろう。


 この人はずっと、大変な思いをしてきた。

 人買いに売られて、奴隷になってそこからずっと頑張ってきたのに。ここまでくるのは、決して楽な道じゃなかったはずだ。ギルドの長もやって、自分で商売もやっていて、ずっとずっと頑張ってそれで今のようになったんだろう。

 それなのに、こんなところで終わるなんてあんまりだ。


 ―― どうすればいい


 そうだ、氷人形を作ろう。そいつにシーディスさんを、運ばせればいい。怪我は、どうしよう。こんな状態じゃ、医者に連れって行って意味がない。


 そうだシーディスさんなら、光の術師と面識があるかもれない。治すのに、小国の国家予算程の額を請求されるらしいけどお金持ちだし大丈夫だろう。

 たんなる想像だ。けれどここに留まっても、助からない。なら街に連れて行かないと。

 そうと決まれば、さっそく氷の人形を作ろう。


 ――動かない


 体を起こそうとするのに、全く力が入らなかった。

 早くしないと、手遅れになる。それが分かっていても、指一つ動かせない。助けないとヤバいのに、早く治さないと、治して治して……早く……


 不味い、意識が―― 視界が白い光で包まれる。意識を手放したら、もう助からない。必死に力を込めて、なんとか動かせたのは手だけでその手もシーディスさんの頭に触れて力なく地面に落ちた。














  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る