第19話 傍に居なくても君のことを考えてしまう。傍に居ないから君のことを考えてしまう。
日曜日は特別出掛けることもせず、花乃と家でゆっくり過ごした。
まあ、俺にとってはそれだけでもう至福の時だ。花乃さえ居てくれれば俺は幸せになれるのだから、本当に単純だと思う。
特筆するような出来事は何もないので1日の流れをダイジェスト的に箇条書きにしてみることにする。時間は大まかなので、あしからず。
・AM9:00 起床
・AM9:30~ 朝食
・AM10:15~ 花乃がやりたいというので2人で家にあった人生ゲームをやった。2人でやることではないと思ったが、途中からルール無視の2人協力プレイになるというめちゃくちゃな流れになって花乃が楽しそうだったので、当然俺も楽しかった。
・12:30~ 昼食
・13:15~ 読書。2人で別々の本を読んだ。家にあった紅茶を淹れて、ゆったりと時間過ごす。花乃と一緒だと別に話さなくても幸せなんだと気付いた。
・14:30~ 花乃が眠いというので、一緒に昼寝をすることにした。昨夜結局俺はなかなか寝付けなかったので、ここでは睡魔が襲ってきて一瞬で眠りに落ちた。
・15:30~ 先に目覚めた花乃に俺は叩き起こされた。花乃がアイドル時代のライブ映像を観たいと言い出したので一緒に鑑賞する。俺にとって、こんな贅沢な時間はなかった。
・18:00~ 夕飯の準備を始める。
・以下、土曜と同じ流れなので省略。
本当に本当に幸せで穏やかな時間を過ごし、そして眠ったことで月曜日がやって来る。週の始まり。
というわけで今は月曜の朝だった。
希望の朝だ、きっと誰かにとっては。
俺的には、仕事に行かなきゃならないのでそこまで希望を感じない。さすがに仕事場に花乃を連れていくわけにはいかない――いや、花乃の姿は他の人には見えないのだから一見特に問題は無いように思えるが、しかしそれは罠だ。
この俺が、花乃の居る環境で仕事に集中出来るわけがない!
それにはもう凄まじい自信がある!
そういうわけで、俺の職場に行きたがっている花乃をどうにか断腸の思いで説得して、俺は1人で家を出た。花乃に「行ってらっしゃい」と言ってもらえたことで、俺はきっと通勤中ずっとニヤニヤしていただろう。同僚に見られていたらと思うと怖い。
いつも通りの徒歩通勤は特に感慨があるわけもなかったが、しかし先週までと比べると、どこか雲間から見える空の色が違うように思える。
その青は、こんなに澄んでいたっけか。
そう思いながら、通い慣れた会社の敷地に足を踏み入れたその時。
「せーんぱいっ!」
元気!!
というアピールがふんだんに詰め込まれた声が背後から迫ってそれが俺の背中を押した、と思った。
だが、立ち止まって驚きつつ振り返ってみるとそこには後輩の永濱遠子が居て、笑顔で掌を俺に向けていたので、きっと背中を押したのはその手だ。
俺は反射的に身体が強張るのを感じた。
恐らくだが、一昨日水族館で俺は永濱に目撃されているはずだ。
「おはようございます♪ いやあ、朝から先輩会えるなんて、今日は良いことがありそうですねー」
「お、おはよう永濱……げ、元気か?」
「はい! 私は元気ですよ。先輩にドタキャンされたショックはありましたけど、いたって元気です!」
トゲが刺さる。
チクチクと、心に。
だがしかし、永濱はそれ以上のことを特に言わない。
そして笑顔にも嘘は無さそうだ。水族館では俺に気付かなかったのだろうか。それとも俺から言い出すのを待っているのか。
自分から聞いてみるべきか?
いやしかし、本当に気付いてなかったのだとしたら俺は墓穴を掘ることになる。どうするべきか。
そう悩んでいる内に。
「先輩先輩、今日良かったらお昼ご一緒しませんか? まさか嫌とは言わないと思いますけどねー」
「え、あ、うん……分かった」
圧がすごい。
確かに俺は永濱に対して後ろめたさを感じているので、ここで断ろうという気にはなれなかった。いつもなら、『は? 嫌だよ』くらい言っているのだろうが。
「やったー! それじゃあ、お昼は屋上で食べましょう! あ、先輩は手ぶらで来てくださいね、ご飯買ってきちゃダメですよ?」
「え、なんでだ? ていうか社食じゃないんだ?」
この会社には社員にそれなりの人気を誇る社員食堂が設置されていて、普段自分で弁当などを作らない俺は便利に利用させてもらっていた。
なので今日も当然そのつもりだったのだが、永濱には何か考えがあるらしい。
「まあ、それは後のお楽しみです。じゃあお昼休み、約束しましたよ?」
「りょ、了解」
俺が答えると永濱は鼻歌混じりで会社へと進んで行くので、俺も後に続く。永濱は今日も絶好調のようだ。今のところ特に変わった様子はない。この感じなら水族館では俺に気付かなかった可能性が高い気がする。まあお昼休みにでも、チャンスがあれば探りを入れてみよう。
* * *
「そういえば聞いてくださいよ先輩! 土曜日のことなんですけど私先輩にドタキャンされたじゃないですか、でももうなんていうか気持ち的にはおでかけモードになっちゃってたわけですよ。なので私1人で水族館に行ったんです、マンボウ見たいなぁって思って。あ、ちゃんと小魚ちゃん達も見ましたよ? あとカニも美味しそうだなってちゃんと思いました。って、そんなことはよくってですね――」
「よく舌が回るなぁ……」
「先輩ちゃんと聞いてください! 回るわけないでしょう、私の舌はちゃんと固定されてますよ!」
お昼休みがやってきて、屋上に赴くと永濱の方が先に来ていてベンチに座って待っていた。
手ぶらで来いと言っていた理由はすぐに分かった。永濱の横にサイズの微妙に違うお弁当箱がそれぞれ灰色と白の布に包まれて置かれていた。灰色の方が一回り大きい。
で、すぐに永濱から説明があったわけだが、どうやら永濱は俺の分のお弁当を作って来てくれたらしい。この後輩、前から知ってはいたが何故か女子力がとっても高いのだ。
断る理由もないので、というか断るとお昼ご飯を食いっぱぐれることになるので、俺はありがたく大きい方のお弁当をいただいた。
結果的に、永濱の手作りお弁当の中身は唐揚げと卵焼きとポテトサラダ等が入っていて見た目も味も素晴らしく良かった。
普段食べている社食も美味しいが、やっぱり女の子の手作りとなるとそれだけで味わいが変わったりするものだ。
正直不覚にも感動すらしたので、俺は永濱にきちんと感想を言おう、と思ったのだが、それを口に出すより先に永濱が言葉を畳み掛けてきたのだった。
そこは普通、女子としては感想を聞きたいものでは? と思ったが、永濱が語りだしたのは図らずも俺が聞きたい水族館での話だったので、とりあえずはそれを聞くことにしよう。
「で! ようやっと私は大きな水槽の前にたどり着いたわけですよ! 居たんです! マンボウ! 泳いでたんですよ悠々と!」
「お、おお、良かったな……」
「それが良くないんです!」
お、おお、なんだ、今日の永濱はいつになく情緒不安定だ。永濱が食べかけのお弁当を持ったまま詰めよってくるので、俺は食べかけのお弁当を持ったままのけ反っている。このまま行くと俺の尻がベンチから脱落してしまうので、この辺で落ち着いてほしいところだが。
「な、何かあったのか?」
「あったあったありました! 居たんですよカップルが! 私が独り寂しくマンボウに感動してるのに、イチャコラしやっがってるのが! あれは完全に当て付けでした! もう精神的傷害罪で訴えてやりたいくらいですよ!」
「ま、まあ落ち着け永濱、お前のメンタルはそんなやわじゃないはずだ。それに水族館なんだから、そりゃあカップルくらいいくらでも居るだろ?」
「んにゃ! 私のメンタルはこう見えても『やわやわのやわ』です! お豆腐より脆いです!」
声を張って言うことではないなぁ。
「それにあのカップルは真っ当なカップルではありません! あんな、あんな人の往来がある場所で、何してたと思います!?」
「き、キスとか?」
「はぁ!? キスなんてしてた日には現行犯逮捕ですよ! 無期懲役です! ハグですハグ! といってもただのハグじゃありませんよ! ディープハグです!」
「でぃ、ディープハグ……?」
ハグにディープとかあるんだ……知らなかった。昨日俺も図らずに花乃を抱き締めてしまったけれど、あれは何ハグなんだろうか。
「あんな巨大水槽の前ですることですか! 何をしに来てるんでしょうね、水族館に。水棲生物を見に来てるんでしょうが!」
「お、おお、おっしゃる通り……」
「ですよね!? しっかもしかもしかもですよ!? その女の子がめっちゃくちゃ可愛いかったんです! あんなお人形みたいな子はそりゃあ彼氏も居るんでしょうけど、どれだけ当て付ければ気が済むんでしょうか! あれはもう当て付けじゃないですね、当て逃げですね! 精神的殺人罪です!」
永濱が怒り心頭なのは分かったが、水族館内で車は走ってないだろうから当て逃げではないだろう。そしてちゃんと生きてるだろう。というかちょっと待て、お人形みたいに可愛い女の子って……。
そんなの、俺は1人しか知らないぞ。
まさか、永濱が言ってるカップルって……。
「なあ永濱、ちょっと聞いてもいいか?」
「はい、なんでしょう? 恋人なら居ませんよ」
「俺の質問を予想して答えないでくれ。予想が外れてるから」
「え、だとしたら何ですか? スリーサイズはちょっと恥ずかしいんですけど……ブラのカップ数くらいなら教えてもいいです」
「あーもうそんなに個人情報流出してくれなくていいから! そうじゃなくって、そのディープハグ? してたカップルってどんな感じだった? 服装とか」
「なんだ、そっちですか」
なんでつまらなそうなんだ。
「どんなって、だから女の子はとっても可愛い女の子です。芸能人でもおかしくないくらいの。男の人は顔が見えなかったんですよね。あ、でも先輩と同じくらいの身長だったと思いますよ。服装は、女の子は白いニットワンピかなぁ、あれは。んー、女の子の印象が強くて男の人の服装はあんまり覚えてないですね、すみません」
「ああ、いや。充分だよ、ありがとう」
「にしても、なんでそんなこと聞くんですか? お知り合いが水族館でも行ってたんですか?」
いやそれは知り合いとかじゃない。
それは俺だ。
永濱が見たのは俺と、秋月花乃だ。
あの時俺達は、ディープハグをしていたんだ。
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