第50話 氷の女王

 足音の主は想像していたよりもずっと老人で、僕はその行動の一つ一つを確認していた。右足が不自由なのかずっと引きずったままなのだが、歩くスピードもそれほど遅くなく無駄な動きが無いように見えた。そして、不思議な事に鈴の音は老人の動きとは無関係になっていたのだ。


「あなたがどういう人なのかは噂でしか聞いたことが無かったのですが、こうしてそのお姿を拝見させていただきますと、噂以上の人物のようにも思えて仕方ありませんな。何より、ワシの動きをじっくりと観察なさっているところに恐ろしさを感じてしまいます。こんな老人の何を警戒しているのかわかりませんが、もう少しリラックスなさってもかまいませんよ。ワシは皇帝陛下の代理であなたに会いに来たのですからね」

「皇帝陛下? どうしてそんな方が僕に?」

「まあ、あなたは知らないかもしれませんが、この国には転生者の方が多くいらっしゃっていますが、その戦力は他国に比べると比較にならないほど弱いのです。一人一人の力もさることながら、団結力がまるでありません。誰もが目立とうと我が我がと先を急いでいるせいか、失敗することも多くなっておりまして。そんな中であなたの様な方が現れたのは奇跡に違いありません。我が国は世界最大宗教の総本山となっておりますが、肝心の皇帝陛下が神を信じておりませんので法王猊下のお言葉に耳を傾けないのであります。もしかしたら、それも強い転生者が現れない原因なのではないかと思ったりもしているのですが、それはワシの思い過ごしだと思っております。そこでなのですが、ぜひあなたの力を我が国の為に使っていただけないでしょうか?」

「事情はよく分かりませんが、力を貸すとしてどのような事をすればいいのでしょうか?」

「おお、話ですら聞いてもらえないかと思っておりましたがルシフェル殿はお優しい。それほど難しい話ではありません故ご安心を。詳しい事は我が国に戻ってからお話いたしますので、お連れの方もどうぞこちらへお越しくださいませ」


 その老人が左手に持っていた杖を天高く掲げると、空に小さな魔法陣が浮かび上がり、その魔法陣を頂点とした円柱が僕達の体を包みこんだ。円柱はやがて光を強くしていき目を開ける事すら困難な状況になっていった。そして、光が消えて徐々に目を開けていくと、周りには誰もいなくなっていた。


「サクラもいなくなっているけど、僕だけ仲間外れになってしまった」


 僕の体はある一定以上の力のない魔法は無効化してしまうみたいで老人の使った転送系の魔法も無効化してしまっていた。どうしたものかと悩んでいると、どこからか鈴の音が聞こえてきた。鈴の音は小さくなったり大きくなったり近付いたり離れたりといった行動を不規則に繰り返しているのだった。鈴の音が何を意味するのかわからなかったけれど、不規則になる鈴の音は心地よいものではなかった。


 本格的に途方に暮れていると老人が戻ってきてくれたのだけれど、僕の話をろくに聞かずに魔法を展開して一人で旅立ってしまった。老人になるとせっかちになる人が多いとどこかで聞いたことがあるのだけれど、この老人は正にそのような話を体現しているように思えた。

 その行動を五回ほど繰り返したところで老人が何かに気付いたのか、僕にやっと話しかけてくれた。


「もしかしてなんですが、ワシの魔法を無効化してませんか?」

「なんでかわからないんですけど、僕はどんな魔法でも無効化してしまうみたいです。無効化する条件みたいなのはあるんですけど、それはイマイチわかってなかったりします」

「そうでしたか、それでしたら陸路で向かう事にしましょう。あなたのお連れ様はしっかりとお世話させていただきますのでご安心くださいませ」

「どれくらい離れているのかわからないけど、目的地の方角を教えていただければ一人で勝手に向かいますよ」

「そうですか、それならお言葉に甘えまして場所をお教えいたしますね。あの少し小高い丘の頂上に立ちまして、左右に見える岩山の間の道がそのまま城に繋がっておりますのでよろしくお願いいたします」

「その道はどれくらい続くんですか?」

「正確な距離は測ったことが無いのでわからないのです。何せ、この足ですから長い距離を歩くのも困難でして、移動は主に転送魔法を使っております。一日に何度も使えるわけではないですし、一度も行った事のない場所に飛ぶのは誤差が大きいので自粛しているのですが、ここに最初に飛んだ時は思いっきり目的地と離れてしまっていたのです。そんなわけで、一日もあれば着くと思いますのでお待ちしておりますね」


 目的地がわかれば行動することも出来るし、思っていたよりも近い場所な感じだったので何とかなるだろう。さっそく小高い丘の頂上に登ってみたのだけれど、岩山の間にある道はわかったのだけれど、その道が続いているのは頂上が見えないほど高い山のふもとだった。本当に一日で着くのかと不安になってしまったけれど、行けるだけ行ってみようと僕は重い腰を上げた。一応ではあるけれど、他に道が無いか確認してみたのだけれど、岩山は目の前にある二つだけで道も一本だけだった。

 丘を降りて道なりに進んでいると、少しずつではあるけれど気温が下がっているのを感じた。山の頂上は地上よりも気温が低いとは聞くけれど、今はまだ山の麓にすら到達していない。これから山に入ったらどれくらい寒くなるのか逆に楽しみになってしまった。

 何度か小悪魔に妨害をされながらも山の中腹までくると道の途中にトンネルがあった。一応奥まで通じているようで遠くにうっすら光が見えていた。そのままトンネルを進んでいくと、少しだけマシだった気温が一気に氷点下まで下がっている。その証拠に、持っていた飲みかけの水は凍り始めていた。どうしてこれほど寒くなってしまったのだろうか?

 答えは簡単、トンネルの中央付近に無駄に広がっている空間があって、その中央で氷に包まれた女が嬉しそうにダンスを踊っていた。そのダンスがどんな意味の踊りなのかはわからないけれど、その踊りの最中に強烈な寒波が全方向へと飛んでいた。この踊りが寒さの正体だろう。


「あれ、どうしてこの結界の中に人が入っているんだろう?」

「結界なんてなかったけど?」

「時間で消えるタイプでもないし、普通の人には見ることも感じることも出来ないのにな」

「その結界で魔法で出来てるのかな?」

「そうだけど、魔法で出来ていない結界の方が珍しいんじゃないかな?」

「それはそうとして、ここで何してるわけ?」

「ふふふ、聞いて驚けよ。ここを拠点にしてこの国を寒気で厳しく包み込んで見せましょう」


 この女は僕に向かって殺意の塊のような氷塊をいくつもぶつけてきた。完全に魔法で出来ている氷なら触れることなく終わりそうなのだけれど、本物の氷のようで避ける以外の選択肢は存在しなかった。本当は対抗する手段があるのだけれど、その時の僕は避けることに精一杯でその余裕は生まれていなかった。

 どうしてトンネルにこんな広い空間を作ったのだろうか? 

 今いる場所から少しだけ移動してみると出入り口がしっかりと確認取れるのだけれど、出入り口までの距離は目測でも予想がつかなかった。


「そんなに避けるのが好きなのかね。避けてばっかりじゃ何も出来やしないよ」


 そう笑いながらも僕に際限なく氷塊をぶつけてくるのだけれどそれは一つも当たりはしなかった。攻撃が一段落ついたのか魔力が底をついたのかは知らないが、攻撃が止んだ今のタイミングで何とか反撃を試みてみることにしよう。

 氷の弱点としては安直すぎるかもしれないけれど、僕が使える数少ない炎系の技を試してみることにしよう。


「ぎゃーーーーーーーーーー」


 悪魔の女の足元から炎の柱を発生させると、女の体は少しずつ解けていき、最終的には消し炭となってしまった。


「もう少し手応えがあると思ったんだけど、こんなあっさりした終わり方は良くないんじゃないかな」


 僕は氷を避けていた時間よりも圧倒的に短い攻撃時間に不満を覚えつつあったけれど、トンネルを抜けるとそこは氷に閉ざされた国が春の日差しで元に戻っているような光景が広がっていた。

 トンネルを抜けるとそこは春を告げる雪国だった。


「あの、師匠から言われて探しに来たんですけど、ルシフェルさんでよろしいですか?」


 その師匠が誰なのかはわからないけれど、僕はとりあえず頷いてみた。


「良かった。私は師匠に言われた場所に飛んだんですけど、そこにルシフェルさんがいらっしゃらなくてどうしていいか途方に暮れていたんです。とりあえず丘に登ればなんとかなるだろうと思って登ってみたところ、この山に向かっているルシフェルさんを見つけたんですよね。後を追って必死になってみたんですけど、いきらり地面に野化に消えていったので焦りました。それにしても、ルシフェルさんて綺麗な顔立ちしてますよね」

「あの、それで僕にどうしろというんですか?」

「えっと、氷の悪魔を討伐してもらいたいんですけど、この様子だともう倒されました?」

「氷の悪魔っぽいのは倒したけど、どんな感じなの?」

「申し訳ないんですけど、誰も姿を見たものはいないんですよね。しかし、そんな事はどうでもよくてこの国の様子を見る限り、氷の悪魔を討伐してくださったのですね」


 その後もやたらと褒められまくっていたのだけれど、僕はソレに答えることも出来ずに自然と宮殿へとたどり着いていた。


「それにしても、この辺りでも名の知れた悪魔を三体も倒してしまうなんて恐れ入りました。よかったらその他の悪魔も討伐していきませんか?」

「そんな事よりも先に皇帝陛下に会わせてくださいよ。僕を呼んだ目的が知りたいんですけど」


 僕はこのまま謁見の間へと向かうのだが、どこからか小さな鈴の音が聞こえていた。僕にしか聞こえないらしいその鈴の音は不規則なリズムで音を鳴らしていた。

 何かを告げるような鈴の音は僕の気持ちを少しだけ不安に近付けてしまった。

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