第41話 現場調査②

 市ヶ谷を出発すること、約二時間で俺達は福島県に入った。


「えっと……この映像の場所は……」

「恵美ちゃんが調べてくれた情報によると、南会津町って所だね」

「南会津町ですか……」

「ここからだと山一つ向こうかな」

 

 山一つ向こうって……。


「ふふふ、そんな顔しなさんな。山越えなんてそんなに時間掛からないから、外の風景でも楽しみながら行こう」


 海さんは俺の表情を見て何かを悟ったのか、柔らかい表情を俺に向けてそう励ましてくれる。


「いえ、運転するのは海さんなのに……すみません…。運転変わりましょうか?」


 俺がそう言うと、海さんはいつもの人の良さそうな表情から一変、初めて見る険しい表情を俺に向けた。


「咲太君……。僕はね自分の仕事に誇りを持っているし、男の次に運転が大好きなんだ。だから、このハンドルを誰かに触らせる気はこれぽっちもないんだ。咲太君が僕を思って気を使ってくれるのは分かるけど、僕には僕の仕事、君には君の仕事があるって事を分かって欲しい」

「あ、はい! すみませんでした!」

「ふふふ。次からは気をつけるように!」


 海さんはいつもの柔らかい表情に戻っていた。


「はい。では、引き続き運転お願いします」

「うん、では出発しよう!」


 そして俺達を乗せた車は走り出した。


★☆★☆★


 南会津町にあるとある民家の一室で、布団に横たわっている老婆と隣でその老婆を心配そうに見ている若い男がいた。


「ばあちゃん、寝てろって」

「辰巳、すまないね……。仕事もあるのに……」

「大丈夫だよ。丁度疲れが溜まってて、休みが欲しいと思ってたんだ」

「でも、忙しいんだろう……?」

「大丈夫だって!仕事は一段落つけてきたんだ。ばあちゃんはそんな事気にしないでゆっくり休んで身体を治すこと。俺は裏山に行って山菜でも取ってくるとするよ」

「大丈夫かい? 山なんて長い事入って無いだろうに……」


 確かに、田舎を出て十年……山なんてその間一度も入っていないが、「大丈夫。裏山は庭みたいなもんだから、危ない場所とか道も全部頭に入ってるし」とばあちゃんを安心させる。


「暗くなる前には帰って来るんだよ」

「うん! 行ってきます!」


 俺の名前は星辰巳。


 小学校二年生の時に両親を事故で亡くし、それからは父方の祖父母に育てられた。

 当時、都会暮らしだった俺には、田舎暮らしは辛いものだった。だが、親戚内で誰も引き取ってくれなかった俺を快く引き取ってくれ、そして、愛情を注いでくれた祖父母の為に我慢している内に、いつの間にかこっちの生活が苦痛とは思えないものとなった。


 高校まで今いる福島県の南会津町で育ち、それから元々興味のあったプログラミング関連の専門学校に入るために上京する事にした。


「これは?」

 

 俺が上京する数日前に、祖父は俺に通帳と印鑑を渡してくれた。


「これは、お前の両親が残したものだ。今のお前にとっては大きいお金だ。お前の事だから無駄遣いするとは思わないが……大事に使うんだぞ?」

 俺は、その場で通帳の中身を確認した。

「--!?」


 そこには、恐らく両親の保険金であるだろう、見た事のない金額が刻まれていた。


「なんで……? じいちゃん達が使ってもいいお金じゃないか?」


 そう……祖父達はそのお金に一度たりとも手を付けていなかった。貧しくはないが、決して余裕のある暮らしをしている訳ではない……。


「ばっかもん! どこの世界に自分の子供の金に手を付ける親がいるかッ!」


 久々に聞いた祖父の怒鳴り声で身体が萎縮してしまった。


「でも……。じいちゃん、いつもお金ないって……」


 そう。じいちゃんは口癖の様にいつも金がないって言っていた。


「がはは! 人間はな、少しお金が足りない位が丁度いいんじゃ。だから、一生懸命に働く事ができるし、金を大事にする事ができる」


 二カッと俺に笑いかけてくれる祖父の隣で、今まで静かだった祖母が今度は俺に語りかけてくる。


「辰巳……。大きいお金を持つと、ほとんどの人が人生が変わってしまう。多分、辰巳もそうなるとばあちゃんは思う」

「俺は……いや、ばあちゃんの言う通りだと思う」

「だから、そのお金を使う時は、使う前に考えるんだよ」

「考える?」

「そう、考える。そのお金は辰巳の両親……、琢己と洋子さんの命だって」

「ばあちゃん……そんな事言ったら一生使えそうにないよ!!」

「がはは。ばあさん、それは重すぎるだろう!」


 親の命をそう簡単に使えるかッ!


「ははは、そうだね。好きなだけ使えばいいさ!」

「方向転換し過ぎだから!……だけど、ありがとう……大事に使うよ」


 そして、俺は十年間お世話になった祖父の家から巣立った。

 出発の朝は、祖母の朝ごはんの優しい味がやけに身に染み、じいちゃんのいつもウンザリしていた愚痴がやけに心地良く聞こえてきた。


 電車に乗り込むまで俺は泣かない様に笑顔を作っていた。

 俺が泣くと祖母が悲しむから、俺は十年前から泣きたくなったら笑うようにしたんだ。


「身体には気をつけるんだよ……」


 祖母が俺を優しく抱いてくれる。いつの間にか小さくなってしまったその細い身体を俺は包みこむ様に抱きしめる。

「うん、ばあちゃんもじいちゃんも元気で。休みには会いに来るから」

「今度帰ってくる時は嫁の一つでも連れて来い!」

「犬や猫じゃあるまいし! そんな簡単に言わないでよ!」

 がはははと祖父は、いつもと変わらない豪快な笑いを僕に向ける……が、その表情は少し寂しそうな感じがした。


 胸が締付けられる感じがして苦しくなる。


 電車がやってきた。

 俺は電車に乗り込み、四人掛けの誰も座っていないボックス席の窓を開ける。


「いってきます!」

「ううっ……いって……らっしゃい……。」

「これ、ばあさん! 笑顔じゃ!」

 堪えきれず涙を流す祖母を祖父は元気付けるが、そんな祖父の目にも涙が溢れていた。


 もう限界だ……。

 俺の両目には10年間我慢し続けた涙が溢れ出していた。


「ばあちゃん! じいちゃん! 俺をここまで育ててくれてありがとう! 俺、二人に引き取って貰って嬉しかった! 幸せだった!」

「「たつみ……」」

「絶対恩返しするからッ! だから、俺が沢山恩返しできる様に長生きしてくれよ!」

「あったりめぇだ! お前の子供を抱くまで俺は一生現役だ!」

「俺、頑張るから!」

「頑張れ! 辰巳!」


 車両のドアが閉まり、電車が動き出す。

「今度こそ、いってきます!」

「いってらっしゃい!」「いってこい!」


 俺は二人が見えなくなるまで、腕が取れるくらい手を振った。

 そして、二人の姿が見えなくなった俺は、声を押し殺してしばらく泣いた。


 元々都会に住んでいたからなのか、田舎から十年ぶりに住み移った都会に物怖じする事なくすんなりと馴染む事が出来だ。


 人付き合いの上手い祖父に似たのか、友達もすぐにできた。

 そして、彼女も。


 女性経験のなかった俺は、目に映るのが彼女だけと思えるくらいハマリにハマッた。

 だから彼女に振られた時は、この世の終わりと思える程辛い日々を送った。

 そして、次の恋をして、終わり、次の恋をする。それの繰り返しだった。

 だからと言って学業を疎かにしてはいない、祖父が頑張って用意してくれた入学金と授業料を無下にする事は出来ないからだ。

 そして、あの通帳にも手を出していない。

 何度か誘惑に負けそうになったが……、その度に祖母の顔が浮かんだからだ。


 最初の夏休み以降田舎には帰ってない。

 定期的に電話はしているが、こっちの生活が楽しいのだ……。

 電話をする度に、祖母からは「今度いつ帰ってくるんだい?」と質問されるが俺は答えを先延ばし先延ばしにして、いつの間にか月日が経ってしまった。


 そして、上京九年目の夏。祖父が他界した……。


「ばあちゃん!」

「辰巳……じいさん逝ってしまったよ……」

 久しぶりに見た祖母は、以前よりもかなりヤツれていて、皺がかなり増えていた。

「ごめん! ごめん! じいちゃん!」

 俺は祖父の遺体の前で大声を出して泣いた。

 もっと会いにくれば良かった。何も孝行出来なかったのに!

「たつみ……」

「ごめんなさい!!」

 その日は、人目も気にせず大声を上げて泣いた。


 それから、俺は時間が出来れば祖母に会いにきていた。

 祖父の時のような思いをするのは二度とごめんだ。


 最近になって、祖母は足腰が不自由になり動くのもかなり辛くなっていた。


 老人ホームとかに、とも思っていたが、俺は恩返しも兼ねて自分で面倒を見ることにした。

 仕事を辞めて、田舎に戻ってきた。

 両親の遺産は未だに手付かずのまま、元々そんなにお金を使わない俺は社会人になって、幾らばかりの貯金もある。

 少しの間は、働かなくても大丈夫だろう。


 今は祖母と一緒に過ごす事が一番なのだから。


「お! タラの芽だ! 天ぷらにすると旨いんだよなこれ」


 俺は山の中で絶賛山菜を取っていた。

 籠一杯の山菜を見て、達成感を感じつつそろそろ家に戻ろうと踵を返したその時。


 ぐおおおお!


 獣の断末魔の様なものが聞こえる。


「やっべ! 熊かな……」


 俺は音のする方へと視線を向ける。


「な、なんだあれは……」


 そこには数名の男が、息絶えている巨大な熊を夢中で貪っている光景だった。


「うっぷ……げぇぇぇ」


 俺は耐え切れず胃の中の物をそこら中にぶちまける。


 そんな俺の様子を、熊を貪っていた男の一人が気付き獰猛な表情を浮かべ俺に近づいてくる。


「ぐるるるる」


 人間とは思えない唸り声に、俺の頭の中は真っ白になる。


「ここで死ぬわけにはいかない……ばあちゃんより長生きしないと!」


 俺は後先考えずその場から走り出した。


「ぐるぁ!」


 男は俺を追うような形で追ってくる。


「はぁはぁはぁはぁはぁ!」


 逃げる! 逃げる! 逃げる! 逃げる! 逃げる!


 後、もう少しで森が切れる! そう思って気が抜けたのだろう、俺は足元に伸びていた木の根っこに気づかず足を掛けてしまい、その場でコロコロと転がった。


 その一瞬で男は俺との距離を肉薄にする。


「たす……たすけて……誰か! 助けてください!」


 誰かが助けに来るとは思わないが……それでも俺は声を張り上げた。

 そうしてないと、恐怖に飲み込まれそうだったからだ。


 男の血だらけの手が俺に迫る。

 俺は避ける事も出来ず、ただその場に佇んでいた。


「ばあちゃん……ごめん……」


 その時だった。


「そんな事は、ばあちゃんに直接言ったらどうですか?」


 声がしたと思ったら、俺に迫っていた男の顔が吹き飛ばされ、灰となってきえていく。


 そして、その場には、割り箸を右手に持った青年が立っていた。

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