第3話

 「ジャンパー」をこの目で見る。絶対に。エイジはそう心を決めた。

 「ヨシッ! 」エイジは思わず心の声を漏らしてしまった。

 「何だ? 」と自衛隊員の疑念の声。エイジは焦った。焦りすぎたあまり……。

 「ニャー」

 はっきりとニャーと言ってしまった。絶対に猫の鳴き声ではない。

 「誰かいるのか?! 」案の定ブーツが砂利を踏む音が近寄って来る。エイジは自分を呪った。

 その時だった。

 「ミャアァ……」

 何という幸運だろうか。

 本物の猫の鳴き声が至近距離で聞こえてきた。砂利を踏む音は止まった。そしてパトカーの下からエイジの目の前に茶色の仔猫がそろそろと現れた。

 仔猫は「ミャアァ-。ミャアァ-。 ミャアァ-。 ミャアァ! 」と四回鳴いた。

 少しの静寂を挟んで、ブーツが砂利を踏む音が遠ざかっていく。車の下を覗き込むとブーツはもう見えなかった。

 エイジは仔猫を見た。茶色とも灰色とも言えない毛色。いわゆるトラ猫だ。

 「ありがとな」エイジは小声でそう言うと仔猫の頭を撫でた。仔猫は目を閉じるとゴロゴロと喉を鳴らし始めた。エイジは猫が喉を鳴らす音が好きだった。音そのものも心地良いのだが、感情が自分の意志とは無関係に表に出てしまうころが面白いと感じていた。機嫌が良い事がバレてしまうのだ。

 エイジは仔猫を抱き上げると肩の上に乗せた。仔猫はエイジの首の後ろを通って左右の肩を行ったり来たりして遊んいたが、急に首もとから服の中に飛び込んできて爪で胸をひっかいた。

 「ひゃあ! 」またもや悲鳴。間抜けな自分に自己嫌悪を抱きながらエイジは周囲を観察した。パトカー、トラック、回るパトライト。どこにも人気は無い。先ほど一人だけいた自衛隊員が哨戒らしい。これなら注意深くやれば輸送トラックに近づくのは容易だ。

 エイジはパトカーの影から飛び出した。中腰のまま砂利の上を走った。駐車場を抜けると県道に出た。そのまま一直線に49式大型輸送トラックを目指す。49式大型輸送トラックは最大で八機の「ジャンパー」を積載できるように巨大な箱形の荷台を引いている。エイジは近寄るにつれてその荷台が開いている事に気付いた。片開きの扉が大きく口を開けているのだ。

 エイジは荷台の横に回り込む。暗くて中はよく見えない。「ジャンパー」がいるのか。いないのか。それが問題だ。エイジはよじ登ろうと荷台に取り付いた。

 その時だった。頭上から強烈な光が降り注いできた。

 「離れなさい! そこの少年! 今すぐそのトラックから離れなさい! 」

 野太い男の声がした。エイジは動きを止めた。両手を上に上げながらどうするか考えた。

 これはマイクを通した声だ。明らかに上から聞こえた。今もわずかにモータとプロペラの音が上の方から聞こえてくる。

 ドローンだ。

 自衛隊の戦術ドローンに違いない。あれなら9ミリパラを発射可能だがまさか丸腰の一般人を射殺しまい。エイジはそう高をくくって荷台に手を掛けて一気に体を持ち上げた。

 「止まりなさい!! 」という男の声がエイジの背中に刺さる。

 中は空だった。荷台の中にはジャンパーを輸送時に車体に固定する金具があるだけで肝心の本尊は不在だった。

 

 銃声が鳴り響いた。

 エイジは全身が震えた。


 やり過ぎだ! エイジはニュースサイトのコメント欄にまで妄想が及んだ。曰く

 ――先の戦争で自衛隊は増長している。トラックを覗いた程度の未成年者にまで発砲するようなら国民の命はいくつあっても足りない。


 なにかがおかしい……。本当に9ミリパラだったろうか? 動画投稿サイトで見た9ミリはもっとオモチャのような乾いた音がしていた。さっきの銃声はやけに音が低く地響きのようだ。そう、エイジは震えたのではない。ビリビリとした空気の振動を感じたのだ。

 と、エイジはプロペラ音が大きくなっていることに気付いた。振り向くとニメートル先にドローンが浮かんでいた。ドローンは完全に制御を失っており、機体ごと回転させながら出鱈目に飛んで来る。まるで部屋に迷い込んでガラス戸に何度も衝突する昆虫のようだった。

 「やばッ!! 」エイジは小さく叫ぶとトラックから飛び降りるとアスファルトの路面を蹴った。

 ドン という炸裂音が後ろで聞こえたが、エイジは振り返りもせず走り出した。

 ドローンが輸送トラックの中に墜落したのだ。

 エイジは全力で走った。一刻も早くここを離れる必要があった。

 自衛隊の戦術ドローン通称「ヒトマル式ドローン」には爆薬がセットされており、ドローン本体がプラスチック爆弾として作用するように設計されていたからだ。爆薬は捕獲時の分解防止用という建前だったのだが、「カミカゼドローン」というあだ名と搭載された火薬の量が本音を暴露していた。

 ドーーーーーンッ!!

 打ち上げ花火そっくりの爆発音がエイジの背中を押した。おかげでつんのめって転びそうになったがエイジは何処にも怪我が無いことを確認するとようやく立ち止まって振り返った。 49式大型輸送トラックはそこにはなく、そこかしこに散らばる黒い固まりと炎が辺りを照らしていた。

 ここに至ってようやくエイジは異変に気付いた。

 さっきの銃声はエイジではなくドローンを狙撃したものだ。

 ライトや街路灯が狙撃され暗闇となる。

 地面に倒れている自衛隊員。


 走る。

 次々とドローンが地面に落ちてくる。

 田の中を走る。

 

 前方に大きな黒い影。目は慣れている。何があるかくらいは見えるが前方の黒い影は本当に黒い塗りつぶし。何も見えない。

 影から転落。

 空に流れ星のような線。墜落音。

 ジャンパーが降下してくる。ライトで照らされる巨大な穴。クレーター。

 入れ替わり?

 

 

 銃撃音。腹の中に仔猫の感触。

 何故撃たれた?

 穴の中を飛行中のドローンが墜落していく。どこから誰かが射撃しているのだ。

 

 

 

 


輸送トラックの下へ行こうとする。


ライトが点灯。隕石は

照明弾。黒いドローン。

照明車のライトで照らす。

狙撃。ドローン撃墜。






 何なんだ? ハウンドと仔猫を見間違えた? 

 「大丈夫か?」エイジは仔猫を抱えあげた。仔猫は短く鳴いてエイジを見た。エイジは仔猫の体を撫でた。

 「どこも怪我してねえ」ホッとすると同時に怒りがこみ上げてきた。

 「おい! ネコ轢いたぞ! ネコを! 」

 エイジは仔猫を抱えたまま運転席へ回った。

 警官は二人ともダッシュボード上のモニタを凝視していており、ちらりともエイジを見ない。モニタには近くの大きな公園を示す地図が映っていた。

 「了解。急行します! あれ? 現在位置が狂ってる……おかしいな」若い警官が言った。

 「おい! ネコ! 」エイジは運転席に向かって怒鳴った。

 「学校いくか働け! 」若い警官は運転席の窓を閉めながら怒鳴り返した。

 タイヤが鳴ってパトカーは急バックして方向転換すると闇夜に走り去った。

 エイジと仔猫は呆然と取り残された。

 「なんだ? あれ」

 エイジはしばらくそうしていたが、仔猫をそっとアスファルトに置くと歩きだした。

 振り返ると仔猫はエイジの後を必死でついてきていた。エイジは仔猫に向かってしゃがみ込んだ。追い付いてきた仔猫はエイジの足に体を擦りつけて鳴き声をあげた。

 「しゃーねーな」エイジは仔猫を抱き上げると自分の肩の上に乗せた。仔猫は両肩の上を首の後ろを通って行き来していたが、エイジが腕を組むとその上に座って顔を埋めた。ゴロゴロと喉を鳴らしている。

 「なんで犬と見間違えたんだろーな」

 エイジは一人そう言うと腕を組んだまま夜道を歩きだした。

 街灯に照らされる朽ちかけの小屋。賞味期限切れのジュースが出てきそうな自動販売機。しばらく行くと昼間でも人気の全くガソリンスタンドがあった。詰め所の壁には水着の女優が立て膝でビールジョッキを持っているポスターが貼ってある。エイジ小学生の頃からある。そして、とうの昔に廃業した喫茶店と、どうやって食っているのか不思議なタクシーの営業所が並んでいるところに出た。これがエイジの町の駅前だった。路線は数年前に廃線になっており、駅の入り口には板が打ちつけてあって出入りできないようになっている。

 「世界の終わりみてーだろ? 」エイジは仔猫に向かって言った。

 遠くからエンジン音が聞こえた。

 車とは違う独特の甲高いエンジン音。

 近づいてくるその音にエイジの心はザワついた。

 仔猫はエイジの腕に爪を立ててしがみついてきた。

 キセノン灯のライトがエイジを背後から照らす。

 バイクだ。エイジは仔猫をパーカーの襟元から服の中に押し込んだ。

 やがて下品なエンジン音はエイジの真横で止まった。

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