第28話 親である私は成長してるのかな。。
ふと今まで書いてきたものを読み返してみる。。
なんと、「言葉」という字がたくさんでできているんだろう。。
私が、いかに息子がお話をしてくれるようになることを気にして気にして……期待して期待して……待ち望んでいたんだろうかということが自分自身初めて気がついた。
そうだ。。
あの頃は、とにかく言葉が出てきて欲しいとそればかり気にしていたな。。
周りの同じ年の子が、お母さんと可愛いカタコトでお話をしているのを見て、いつも羨ましくてたまらなかったな。。
早く何かおしゃべりしてくれないかな、ママって言ってくれないかな。
そんなことばかり気にしていたな。
自分のことを自分で分析するのも変だけど……
たぶん、私が望んでいたのは とにかく言葉が出てきてくれること…も含まれはするけれど…
きっと母子手帳にあるような、平均的な発達のグラフから大きくなるにつれて少しずつ ズレがでてきてて、そのズレの幅がだんだん広がっていくのが怖かったんだ。
特に、言葉の面が伸びてなくて。。
母子手帳といつもにらめっこ。
標準とされているグラフの線とにらめっこ。
平均、標準、普通……
そんなことをいちいち気にしていた。
人は人。うちはウチ。
頭でわかっていても心が伴わないという、私自身の中にチグハグなズレがずーっと生じていた。
ありのままを受け入れる…というのは、できているようで実際はなかなか簡単にはできないもの。
自分と子ども、そして家族それぞれのチグハグなズレがたくさん生じていた。
そのズレが少しずつ穏やかになっていくのに、私には少し時間がかかったようだ。
私と、息子、家族だけの奮闘が、いつしか支援してくれる人達との出会いにより、多くの励ましと勇気をもらえるようになっていった。
最初は、なんの手助けも素直に受け入れられない自分がいた。
でも、だんだんと私も図々しくなって、もらえる支援は有難く受けていった。
そうしていくうちに、発達障害を持つ子の親としての、成長をさせてもらえてきた。
家族、地域の福祉、たくさんの周りの温かい支援、支えがあってこその今があるな……と改めて感じている。
そうしていくうちに、拒絶していた何かを受け入れられるようになっていき、最初から頭で分かっていた人は人、うちはウチ。。ということを身体全体で受け止められるようになり、割り切れるようになっていった気がする。
今はもちろん、息子の言葉にはこだわりはない。
あ、、全くないと言えば嘘になるのかな。。
やっぱり、ちゃんと会話はしてみたい。
……でも、言葉はコミュニケーションをとるための手段の1つに過ぎない。
言葉に変わるものは、たくさんある。
子どもとコミュニケーションをとる方法は言葉に限られてはいない。
人によっては手話、筆談、写真、絵カードなど、様々だろう。
そんなふうに、「今さら?」
みたいなことに、頭と心が伴った状態で理解できるようになった。
今から思えば、そこまで言葉にこだわらなくても良かったのに。。なんていう余裕みたいなものも感じられるようになった。
今は、もう今年20歳になるというこの話の主人公とも言える息子が話しているカタコトな感じの言葉が愛おしくてたまらない。
ママも一緒に成長していけたかな。
ちょっと余談でした。
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