第26話 いつかこの魔法少女を。お姫様、王子様にリーザを推す
「リーザロッテ、起きろッ」
当日。例によってプッティに叩き起こされ、渋々早起きしたリーザロッテが寝ぼけ眼のまま家の外に出ると、まるで待っていたかのように「リーザロッテさん、おはようございます!」と、楓が魔法陣に乗って颯爽と現れた。
「楓さん、おはよ……」
「リーザロッテさん、決戦の朝にその顔は何ですか! ハイさっさと顔洗い、歯磨きっ!」
「は、はい」
続いて「リーザロッテ、プッティ、カエデ、おはよう!」とペルティニが。
彼女の抱えた籐籠からは、焼けたパイの香ばしい匂いに混じってサクランボの甘い香りが漂ってくる。
ようやく目の醒めたリーザロッテは匂いを嗅いだだけでもうたまらなくなった。
「うわぁ、凄くいい匂い! ああもう今すぐ食べちゃいたい……」
「だ、駄目よ、まだ食べちゃ!」
ヨダレを垂らすリーザロッテの後頭部をプッティが殴ろうとして「う……」と気が付いた。今日は殴打厳禁。いつもの薪ざっぽは楓に取り上げられていたのだ。
「チッ、リーザロッテめ、命拾いしたな」
「プッティさん、今日ばかりはおいたは駄目ですよ。堪えて下さいまし」
袖を口元に当てて楓は、くふくふと笑う。友達のコイバナを進展させる楽しみで彼女はウキウキしていた。
その為にも、今日は飛び切りのお茶とおめかしで特別な空気を作らなくては! 特にリーザロッテを綺麗にコーディネイトしなくてはならない。
早速、楓は「それでは皆様の装いを誂わせて下さいまし」と、まずはプッティを、次にペルティニを招き寄せた。
口元に扇を当てて呪文を唱え、扇ぐようにして魔法を掛け、ドレスを誂える。
「あたい、この間ドレスをいただいたばかりだけど……」
「いいんですよ、プッティさん。今日は特別ですから」
「私もいいの? 喧嘩したばっかりなのに……」
「それはそれ、これはこれです。貴女もリーザロッテさんの大切なお友達なんですから」
プッティはコバルトブルーのリボンがついた真っ白なドレス姿になった。いつもは凶悪な魔法人形も、今日ばかりは深窓の令嬢が愛顧する高級人形のようになった。
ペルティニには上質な天鵞絨で仕立てられたドレスが着せられた。胸元には小さな真珠の首飾り。お淑やかで気品ある小さな令嬢が出来上がった。
「さぁ、リーザロッテさん」
最後に手招きされ、呼びつけられたリーザロッテの周囲を楓は何度も廻って入念にチェックする。そうして魔法で作ったドレスを何度も試着させては作り直した。
「私、別に今着ているのでいいのに……」
「駄目です。今日はレディル様もいらっしゃるの。リーザロッテさんは特に、私の選んだドレスを着ていただかないといけません。いいですね」
「今日は楓さんが主賓なんだし、私の服なんてどうでも……」
「黙って言うことを聞いてくださいまし!」
「は、はい」
散々試着させられ、お着換え人形と化したリーザロッテは、最終的にベージュの地色に黄色や赤の花柄が美しいバッスル風花柄のドレス姿になった。
耳には瞳の色と同じパライバトルマリンのイヤリング。いつも付けている七色の星石は上品な銀のチェーンネックレスに付け直される。
ボサボサに癖のついた髪も今日ばかりは丁寧に梳かされ、甘い花の香りのするびんつけ油で整えられた。さらに、サイドをカスミソウのような小さな花で飾る。控えめにアイメイクも施し、リップバームのような軟膏を唇に塗り……
とうとうリーザロッテは、宮廷舞踏会に現れてもおかしくないほどの美姫になった。
おどおどした小心そうな表情さえなければ別人に思えるほどでの変貌振り。いつもの容姿に見慣れていたプッティとペルティニは唖然となって「マジかよ……」「リーザロッテ、綺麗……」と見つめている。
「ほら、この手鏡をご覧下さいまし」
「これ、魔法の鏡? なんかすごく美化補正かかってるけど……」
「ただの鏡です!」
「アッハイ」
自分が手がけた魔法少女の変身振りを見て満足した楓は、仕上げとばかりに彼女の前髪に口を寄せ、魔法でも掛けるようにささやいた。
「いつかここに、レストリア王家のティアラが飾られますように……」
顔を真っ赤にしたリーザロッテに微笑みかけると楓は「さあ、皆さん。レディル様をお迎えする準備をいたしましょう」と、身を翻した。
リーザロッテ・ハウスの前の空き地を小さな庭園に見立て、既に木陰にはテラスが設けられている。
リーザロッテ達はいつもと違う雰囲気にぎこちない様子でテーブルを置き、クロスを掛けた。昨日のうちに摘んだ花を活けた花瓶も置いた。ティーカップや茶菓を乗せる銘々皿もお行儀よく並べた。
さらに楓は小さな巾着袋を取り出し、庭園の周囲に穀物の粉をサラサラと撒いた。しばらくすると小さな鳥達が飛んできてついばみ始めた。
こうして鳥のさえずる声も趣向に加え、すべての準備が整った頃に軽やかな馬の足音が近づいてきた。
「すみません、遅くなりました」
銀縁の真っ白な礼装で現れたレディルは、着飾った少女達と上品に設えられた茶会席を見て目を丸くした。
中でも飛び切りの美少女になったリーザロッテには思わず刮目し「リーザロッテさん……?」と絶句。楓は「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべた。
「お待ちしておりましわ。レーベンスディルファー・フォル・レストリア殿下。本日は私の歓迎の席にお越しいただき、恐縮に存じます」
主賓のはずの楓は主催者のように「さ、こちらへ」と案内する。馬を近くの木に繋いで飼葉を与えたレディルは、手袋を外すと楓から順に一人づつ手を取り、唇に当てて挨拶した。主賓の楓には王宮の庭師に作ってもらった花束を別に贈る。
「王子様。ゴメンな、この前は……」
プッティが気まずそうに謝りかけるとレディルは「もういいよ、そんなこと」とばかりに手を振って片目をつむった。
「今日はこんな素敵なご令嬢達の集まる席に招いていただき、光栄です」
「恐れ入りますわ。さ、お茶を入れましょう」
主賓のように扱われながらもおとなしく席に着いたレディルは、向かいの席から自分を見つめているリーザロッテにおずおずと声を掛けた。
「リーザロッテさん。今日ははその、別人みたいだね。魔法少女っていうか……お姫様みたいだ」
「あ、ありがとうございます……」
リーザロッテは真っ赤になってモジモジした。レディルも修辞学にさほど長けてはいる訳ではなく、二人とも恥ずかし気に俯きあっている。
(ふふふ……お互いちゃんと意識しあってる。これは良い幸先ですわ)
横目でその光景を楽しみながら楓は皆のティーカップに琥珀色のお茶を注いで回り、「では改めまして」と席に着いた。
「本日は私の為にお集まりいただき、ありがとうございます。このように温かく歓迎いただきましたこと、楓は嬉しく思います」
実際は自分で自分の歓迎会を開いたようなもので目的も別にあるのだが、素知らぬ顔でイケシャアシャアと楓は礼を述べ、すました顔で摘まむようにカップを持ち上げた。
「ああ、いい香り……皇御の皇室ご用達のお茶です。でも作法など気になさらず皆さんも楽しまれて」
それでもせっかくの雰囲気を壊したくないリーザロッテとペルティニは、楓の真似をしてそろそろとカップを摘まみ、同じように香りを嗅いでから少しずつお茶を飲んだ。お茶が飲めない人形のプッティも香りを楽しむことなら出来た。
「本当だ。美味しい!」
「あまり量がないので少しずつですが、後でお土産に茶葉をお分けいたしますわね」
「これ、おばあちゃんにも飲ませてあげよう。きっと喜ぶわ……」
ペルティニの呟きを聞き留めた楓は、彼女には茶葉を多めに持たせようと密かに決めた。
「さ、ペルティニのお母様から飛び切りのパイをいただきました。こちらを茶菓に……」
藤籠が開けられ、魔法の力で焼き立ての状態を保ったサクランボのパイが大皿の上に置かれる。
リーザロッテはもう「た、食べたい! 早く、早く!」と言いたげだったが、それを必死に抑え込み、大人しく待った。
お預けを喰らっている犬みたいな彼女にクスリと笑った楓は、顔を寄せ「リーザさんは一番大きいのにしてあげますからね」と耳打ちした。
「か、楓さん……!」
心の友よ! と歓喜するリーザロッテへお茶目に片目をつぶった楓は、すました顔でパイにナイフを入れ始めた。
目の前には大好物のサクランボのパイ。顔を上げれば想い人の微笑み。
この世にこんな幸せがあるだろうか。いや、ない。
リーザロッテはレディルと歓談する前にもう昇天しそうになってしまった。
いつもなら「おーまーえーはー!」と正気に戻そうとするプッティも手許に薪ざっぽがないので激発のしようがなく「しょうがねぇなぁ」とため息ばかり。ペルティニが小声で宥めている。
せっかく綺麗に着飾ったというのに肝心のリーザロッテがこんな有様なので、苦笑した楓がレディルへ「レディル殿下はここのところ、ずっとお忙しい様子ですのね」と、話し掛ける。
レディルはハッと我に返った様子で頷いた。
「ええ。国境の陣地構築の他にも色々あって身体がひとつじゃ足りません。楓さん、魔法で増やすことは出来ませんか?」
「ふふふ、さすがに無理ですわね」
今は、国境線に大軍を並べた隣国の野望がレストリアにとって最大の国難だった。諸外国へ仲介を求めたり、兵器を買い入れて軍備の増強を図ったり……穏やかに笑う裏に隠された少年の辛苦を皇御の姫は察したが、彼女は何も言わなかった。ただ、労わりの微笑みを浮かべて優しく頷いた。
心地よい、爽やかな風が庭園にそよいでゆく。楓は緊迫している国際問題は敢えて避け、レストリアの生活習慣や文化とは異なる皇御の国のことを色々話し、その珍しさにリーザロッテやプッティは思わず聞き入った。
「でも滞在して実感いたしました。私は皇御の国をいつも誇りに思っていますが、レストリアも本当に素敵な国ですわね。リーザロッテさんが何故この国を気に入られたのかが分かりました。ちょっぴり妬ましく思えてしまいます」
「私が好きになったくらいでそんなご大層に思わなくたっていいのに……」
リーザロッテがへへへと笑うと、楓は「本当ですわ。皇御の国も少しは贔屓にして下さいまし」とクスクス笑った。煽てられたレディルも苦笑してつぶやく。
「いや、レストリアは貧乏だし、自慢出来るようなものはないけど……」
「殿下、レストリアは貧しいだけの国ではございませんわ。それは貴方が一番ご存じでしょう?」
レディルは黙ってうなずいた。レストリアは諸外国からの経済援助も得られず、貧しい国民からの税収だけが頼りだった。それでも様々な経済振興策を打ち出し、少しでも国を豊かにしようとしている。人々も貧しいからといって決して卑屈になってはいない。
だが、国の存亡が掛かっている今、このままではそんな努力も全て水泡に帰してしまうかもしれない。そんな危惧を振り払うようにレディルも懸命に働いていた。
村祭りに招待されて踊ったり、こうしてお茶を楽しむくらいが、今の彼には僅かな安らぎのひとときだった。
「楓さんはこちらでの生活に少しは慣れましたか?」
「はい、毎日が勉強です。何でも一人でしなくてはいけません。皇御の国に居た時の自分が如何に恵まれていたのか実感いたしました。なにより、生きる為に必要なお金を稼ぐのがどんなに大変か……皇居での生活、箱庭のような留学先ではきっと知らないままでいたことを、このレストリアで学ばせていただいております」
しかし、大変だけど楽しくもありますと皇御の国の皇姫は朗らかに笑う。
「リーザロッテさんはこのレストリアに辿り着くまで様々な喜びや悲しみを知ってこられた。私も少しでも同じように知らねばと思います」
「わざわざ私の真似なんかしなくたって……」
楓は黙って首を横に振る。一見小心なだけのこの魔法少女がその小さな胸に宿したものが、今の楓を不思議にとらえて離さない。
それは、ひそやかな陽だまりに咲いた小さな花のようで、彼女には何か切ない気持ちがするのだった。
どうして、こんなにも悲しい予感がするのだろう……
「……楓さんのその気持ち、僕も分かります」
離れた場所から、鳥の美しくさえずる声が聞こえた。
レディルは静かに微笑むとティーカップの中の琥珀色に目を落とす。楓の瞳がきらりと光った。この気持ちを彼も理解しているということは……
「殿下は、このレストリアの将来についてどんな展望をお持ちですか?」
「将来ですか……まだ考えていません。陛下がきっと良い未来図を描いてくれると思うので、それに尾いて行こうとだけ」
明日のことは分からない。ただ今日を生きるだけで精いっぱい。そんな余裕はないし……と、レディルは笑って流そうとする。
楓は気がついた。顔が青白く、どこか虚ろな瞳が何か寂しさを湛えている。
(この方は今、何か重いものを心に抱えていらっしゃる)
それが何か分からないけど、きっとこの楽しいひとときに今は影を差したくないと気遣って。
楓の心に不吉な予感が兆したが、彼女は強いてそれを彼に問いただそうとは思わなかった。
「殿下、明日のことなど考えていられないなんてよくありませんわ。王族にいる者が、それぞれに未来を指し示してこそ人々は希望を持つのです」
「……」
「リーザロッテさんはどう思います?」
楓から話を急に振られ目を白黒させた彼女は「いや、その、自分の将来なんて……」とモゴモゴ言ったが、ふと、真顔になった。
「そうですね。レディル様の仰るとおりです。明日のことなんて誰も分からない。魔法を使っても」
でも、とリーザロッテは続ける。
「私、辛いことがあるたび思ってました。昨日より今日、今日より明日、きっと素敵な何かが待ってる……って」
「……」
「レストリアに来てから、ここに住んでから思いました。やっぱりそうだった、信じてよかったって」
「……」
「だから、レディル様も思って下さい。明日には何かいいことが待ってるって」
レディルは思わず微笑んだ。
明日。自分はいつも、戦火が開かれるかもと「明日」に怯えてばかり。
だけど、この魔法少女は「明日」にいつも希望を持ち、目を輝かせているのだ。
それを見た楓は、己のコブシをグッと握った。
「ところでレディル様は、ご結婚は考えていらっしゃらないの?」
「結……!」
唐突な質問にレディルは「楓さん、突然何を……」と口をパクパクした。リーザロッテといえば「結婚」と聞いて泡を吹き気絶している。
「ぼ、僕そんなことまだ考えてません! だって兄ちゃ……じゃなかった、陛下だってまだお妃を迎えていらっしゃらないし。第一、今はそれどころじゃ……」
「そうね、今はそれどころじゃないけれど。でもいずれ国情が落ち着かれたら考えなくては」
疲れているとき寄り添ってくれる誰かがいるだけで、人はどんなに慰めになるだろう。
「今日を精一杯生きるだけじゃさみしすぎます。人はいつか恋をして、愛する人と結ばれる。家族も、社会も、国家もそうやって人と人を繋ぐことで続いてゆきます……」
思わず目を泳がせるレディルへ、楓は静かに説く。
「貴方もそうでなくては。レストリア人はきっと希望を持つはずです。レディル様と結ばれる方の姿を見て、自分たちもあんな風に幸せになろうって。家族が居る方はより家族を大切にされるでしょう。まだ独りでいらっしゃる方は、いつか誰かと巡り合ったときに……」
「……」
楓はまっすぐにレディルを見つめている。彼の目の前でだらしなく気を失っている魔法少女を見ろとその目は訴えていた。小心者だけど、困った人がいれば誰にでも手を差し伸べる不器用で優しい心の持ち主を見てと。
――まだ花開いていないつぼみだけど、心に優しさが一杯に溢れているこの少女こそ、貴方に相応しいのではなくて?
しかし、レディルの瞳は戸惑ったように揺れ、下を向く。楓はため息をついた。
(レディル様はまだ恋をしたことがないのだわ)
「まぁ、今は無理でもいつか時が来たら。レストリアの国民に見せてあげて下さいね」
「う、うん……」
いつかこの少女の恋に応えてあげて、と問いかける視線にレディルがためらいながらも頷いたので、楓はようやくホッとしたように息を吐いた。
「お茶のおかわりを淹れましょうか」と立ち上がる。
「あらあらリーザロッテさん、起きて下さいまし。御安心なさいませ、レディル様は今はまだご結婚はなさらないようですよ」
「ソ、ソウデスカ……」
「気のせいかしら、レディル様に相応しい方は目の前にいらっしゃる気がしますのに。ねぇ、リーザロッテさん」
せっかく美少女にコーディネイトされたというのに、リーザロッテは再び口から魂を飛ばして倒れてしまった。
小悪魔のような楓がクスクス笑いながらお茶を注ぐまでの間、プッティとペルティニが懸命に「おい、起きろリーザロッテ!」「リーザロッテ、しっかりして!」と介抱する。
色々と波乱含みの歓迎会ではあった……
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