第九章 双翠の果実 編
第327話 酒場の奇人
第九章
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ドラゴニア王国のある町の賑やかな普通の酒場。
大人たちがほろ酔い気分で酒を飲んでいる。
叫ぶように声を出さないと周囲の雑音にかき消されて相手に伝わらない。酒も入っている影響でドンドン声が大きくなる。
食事音。注文をする声。店員の掛け声。厨房の料理音。笑い声。多くの足音。時折、食器が割れる音や喧嘩の怒声と殴り合いの音まで聞こえる。
あらゆる音が入り乱れるその酒場で、あるテーブルだけが静かだった。
薄汚れた旅装束を纏った女性がテーブルに突っ伏している。彼女が握っているのは、半分飲み干された巨大なジョッキ。中身はこの酒場で一番安いビールである。
服から覗くのは翡翠のような美しい緑色の髪、美しく整った顔立ち、尖った耳――エルフだ。
「うぅ~……」
王国では珍しい種族なので人目を引く……はずなのだが、現在は誰もが目を逸らしている。
原因は、彼女の身体から放たれる可視化しそうなほど陰鬱な負のオーラ。据わった
見るからに怪しく落ち込む彼女に近づく者は誰もいない。
「うあ゛ぁ~……」
偶に、彼女の美貌を目当てに下賤な笑いを浮かべた男たちが近づこうとするが、数歩進んだところで彼らの本能が察する。
――このエルフはヤバい、絶対にに関わってはいけない、と。
そういうわけで、彼女は安全に一人酒をしていた。
騒めく酒場である話が聞こえてきたのは、エルフのジョッキが更に半分無くなった頃だった。
「なあお前、王都の親龍祭に行ったんだろ? 詳しく話を聞かせろ!」
「いいぜ! 今年はすごかった。いや、今年初めて行ったんだけどよ、さすが王都って感じだったぜ。賑やかで、人が多くて、建物が密集してて、綺麗な女は沢山いて……ナンパしても無視されたけどな! あはは……はぁ……」
「お、おぅ……酒飲んで忘れろ」
「そうする」
「女の話は暗い気分になりそうだから置いといて、んで、神龍様は見れたのかっ!? 毎年降臨されることで有名だろ? 俺も一目でいいから見てみたいもんだ!」
「あぁー、お前、この国出身だもんな。神龍信仰か」
「早く教えろ!」
「お、おう。見たぜ! それも二回も! 初日と九日目だっけ? 開幕の宣言と共に空に現れ、二回目は《
「くそっ! いいなぁ。俺も行けばよかった」
血の涙を流しそうなほど悔しがる男。話し手の男は自慢げだ。
彼らの喋り声は周囲にも伝わっていた。親龍祭で《
食べるのも飲むのも止めて盗み聞きする者、堂々と椅子を近づけて聞きに徹する者。酒場の興味関心はこの親龍祭に行った男に向けられている。
急に注目が集まったことに男は戸惑いと恥ずかしさを覚える。が、酔った勢いで意気揚々と饒舌に語り出した。
「――ということがあったのよ」
男は話が二転三転、聴衆たちからの質問や野次に答えながらも、親龍祭で起きた出来事を大方話し終えた。聴衆たちは大盛り上がり。話の対価として貨幣が飛び交う。
「神龍様……尊い……!」
「あーはいはい。来年行けよ」
祈りを捧げる友人に呆れながら男は酒を飲み干す。
「龍もすごかったが、俺はあの大樹のほうが印象的だったね」
その時、どこかのテーブルに突っ伏していた誰かの尖った耳がピクリと動いた。
「全長数十メートルの生命力の息吹を感じる神秘的で立派な木。マジで感動した……」
「お前、精霊種、いや妖精族だもんな。自然には敏感か」
「ああ。あれほどの大樹は見たことが無い。雄大な自然そのものが木になったというか、心が安らぐというか、大いなる母に抱かれているような安心感……俺たち妖精族もエルフたちも全員同じ気分になったんじゃないかな。跪いて祈って号泣してた」
ガバっと起き上がったエルフの女性の首がグリンッと彼らのほうを向いた。耳がビクビクッと激しく動いている。
「この大樹、治癒の力もがっただけでも驚きなんだが、一瞬にして生えたんだ。何もないところから。樹齢数百年から数千年もあろうかという木が。そんで、一日も経たずに消えちまった」
「夢だったのか? それとも、集団催眠?」
「いんや違う。証拠がここにある。その奇跡の大樹の葉っぱだ! 落ちた奴を記念に拾ったんだ」
そう言って、男は懐から瑞々しい生命力を宿す新緑の葉を取り出す。
その瞬間、翠色の閃光が駆け抜けた。
「――これをどこで手に入れたでござるかっ!?」
女性の驚愕の叫び声が酒場のざわめきを切り裂いた。
一瞬にして移動したエルフの女性が、葉を取り出した男の腕を握りしめている。あまりの握力に男の腕の骨がミシミシと悲鳴を上げる。
「っつ!?」
「これを一体どこで手に入れたでござるかっ!? 早く答えよ!」
血走った瞳をカァッと見開き、フーフーと鼻息が荒いエルフの美女。
突然の出来事と、腕の痛みと、ガクガクと激しく揺さぶられることと、得も言われぬ恐怖によって、男は何も言葉を発することが出来ない。
「この香しく瑞々しい濃厚な生命力! 爽やかな春風を彷彿とさせる新緑の香り! 濃縮した雄大な自然の魔力! おほぉーっ! 感じる! 感じるでござるぅ~っ! この御力はユグドラシル様のものぉ~っ!」
自分の身体を抱きしめ、奇声をあげながら背筋を反らすエルフの美女。まるで危ない薬に手を出して絶頂しているかのよう。
誰もが思う。このエルフはヤバい奴だ、と。
即座に距離を取る客たち。しかし、ただ一人だけは逃げることが出来なかった。葉を持つ男だ。
「どこで! どこでこれをっ! どこでござるかぁ~っ!?」
「こ、この国だ」
盛大にのけ反りながら男は答えた。ガクガクと恐怖に震える。冷や汗が止まらない。
「この国のど・こ・でっ!?」
ズイッと近づく顔。近い近い近い。血走った瞳が怖い。鼻息が気持ち悪い。
男は泣きながら、
「お、おお王都でございますぅ!」
「そうか! 王都でござるな! 情報提供感謝するでござる!」
バッと離れたエルフは礼儀正しくお礼を言うと、ゴキュゴキュとビールを飲み干し、お金をテーブルに叩きつけるように置く。次の瞬間には荷物を手にし、酒場の扉を開け放っていた。
「店主殿! ごちそうさま! 釣りはいらぬ! 美味しかったでござるよ!」
風が巻き起こるほどのスピードで店の外へと出たエルフは、夜の街を全力疾走で駆け抜ける――奇声を放ちながら。
「おほぉぉおおおおおおっ! お待ちくだされ、ユグドラシル様ぁぁあああああああああ! 拙者が会いに行きまするぅぅうううううううううう!」
ドップラー効果を伴った奇声が消えていく。
酒場の店内では、全員が呆気に取られて言葉を失くしていた。のちに店主曰く、開店時にここまで静寂したのは初めてだった、とのこと。
目をパチクリと瞬かせた店主は、キュキュッとガラスのコップを磨きながら呟いた。
「……王都は逆方向だぞ」
その指摘は遅すぎる。彼女は消え去った後だ。
エルフの彼女は超絶な方向音痴であった。
次第に驚きから解放された店内に騒めきが大きくなり、いつもの喧騒が戻ってくる。
可哀想なことに絡まれてしまった男は完全に酔いが醒め、二度と自慢するものか、と固く心に誓って後に家宝となる葉を懐に大切にしまい込むのだった。
――ありふれた酒場で起きた何気ないこの一幕は、ドラゴニア王国の親龍祭から10日後のことである。
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