第307話 感情
ゆらりと部屋に入ってきた少女は、目覚めている囚われの姫二人に気づいて、僅かに首をかしげた。
無感情な透明な瞳には動揺の色はない。
困惑というよりも、二人が起きているという場合の命令を聞いていないため、どう行動したらいいのかわからないといった様子だ。
感情のない造られた人形は、粛々とプログラムに従うのみ。主人の命令には絶対順守。
しかし、逆に言えば、命令されたこと以外は何もできないということである。自分で判断することも出来ない。
故に、彼女が取った行動は待機。
「…………」
表情筋を動かすことなく、じーっとその場に立ち尽くす。
困惑したのは縛られた二人のほうだ。
『えーっと、どういうことですか?』
『私に聞かれても困りますぅ~』
『ですよねー』
何かされると思いきや、何もされない。監視かもしれないが、どこか様子がおかしい。
少し観察して何もしないことがわかると、歪な少女の目の前でヒースとセレンは念話で堂々と会話する。
『彼女、何もしない……?』
『みたいですねぇ~。ヒースちゃん、彼女の心を読めますかぁ~?』
『……いいえ。彼女も、私たちを攫った人たちからも、何も感じないんです。まるで心が無いみたいに……』
『それは厄介ですねぇ~。あっ、また誰か来ますぅ~』
歌姫の鋭敏な聴覚が足音を捉える。結界を素通りしてきたのは、またもや女性だった。
均整の取れたプロポーション。完全なる左右対称の身体。人から外れた無機質で人工的な美貌。
パッと見た感じは完全なる人間である。肌も、動きも、人そのもの。呼吸さえしている。だが、その凪いだ瞳には生気がない。
やはり、彼女からも心の声が聞こえなかった。
「私は
淡々と無表情でスラスラと述べる女性。イントネーションやアクセントもない機械じみた声である。唇がほとんど動かさないのが怖い。
人間の温かさというものが感じられない。
冷淡で冷酷。彼女はどんな命令にでも従うだろう。表情を動かさず、遂行する。
その為に造られたのだから―――
「
唐突に、女性は歪な少女を殴りつけた。ドゴォンと鳴ってはいけない音が少女の腹から鳴る。
吹き飛ばされた少女は壁に叩きつけられて、ボロ雑巾のように床に転がった。
「立ちなさい」
「…………」
女性の命令に少女は従う。長さの違う手足に力を入れ、立ち上がる。無理やり立たされたような不気味な起き上がり方だ。まるで操り人形のよう。
彼女の顔には苦痛の色はない。痛みは理解しても苦痛という感情は存在しないのだ。
どんなに殴られ、蹴られ、痛めつけられても少女の顔に感情が浮かぶことはない。ただの人形なのだから。
「理由を述べなさい、”出来損ない”」
「…………」
「なるほど。素材が寝ていないから、ですか」
女性と少女の間で何やらやり取りが行われたらしい。
歪な少女は『寝ている素材』の様子を確認し、報告するよう命じられていた。しかし、二人は起きていた。起きていた場合の命令を少女は受けていない。
だから、少女はこの場で待機していたのだ。正しい命令をされるまで―――
無表情の女性は感情を感じさせない声で告げた。
「
懐から取り出した注射器。怪しげな黄色い液体で並々と満たされている。
少しピストンを押して中身を噴出させて、中の空気を完全に抜いた。
『あぁ~これはちょっとまずいかもぉ~』
『えっ!?』
女性は身動きが取れないセレンの頭を掴むと、挿しやすいように傾けた。
『ヒースちゃん~、シラン君に伝言をお願いしますねぇ~。『魔力を追ってぇ~』と伝えてくださいねぇ~』
『セレン様!?』
ジタバタとヒースは暴れるが、ギチギチに巻かれた縄が肌に喰い込むだけ。
フーフー、と息を荒げ、止まれ止まれ止まれ、と念じる。
しかし、感情のない人形相手に精神魔法は効果がない。
銀色に光る細い注射針を、女性はためらいもなくセレンの頸動脈に突き立てた。
ズブリ!
「うぐぅっ!?」
痛みにセレンは目を見開き、くぐもった悲鳴を上げる。
注射器のピストンが押され、ゆっくりと液体がセレンの体内に注入されていく。
『お願い……し……ま……したぁ……』
スゥ、と瞼が落ちて、だらりと首が垂れる。身体が弛緩する。
それっきりセレンからの反応はない。心の声も聞こえない。意識が途絶えたのだ。
味方はいなくなった。敵は目の前に二人いる。
「”出来損ない”、もう一人は任せました」
「…………」
出来損ないと呼ばれた少女は無言でコクリと頷いた。
後からやって来た方の女性は踵を返して結界をすり抜け、部屋の外に出ていく。
残されたのはヒースと透明な少女だけ。
ヒタヒタと響く裸足の歩み寄る足音。ゆらりゆらりと揺れながら歪な少女が近づいてくる。
手足の長さが違うため、歩くたびに少女の重心が大きく傾く。
いつの間にか手に握られているのは、黄色い液体で満たされた注射器。
「ひぐぅっ!?」
予想以上に力強い手で頭を掴まれ、抵抗虚しく無理やり首が露わにさせられる。
涙が浮かぶ
(……嫌)
注射針がゆっくりと迫る。
透明な瞳は瞬きすらしない。
(……嫌だ)
冷たく鋭い切っ先が柔らかな肌に触れた。
(嫌ぁぁああああああああああああああああ!)
ヒースは感情を爆発させた。
心の中で叫び、今まで抑え込んでいたもの全てを解放する。
なりふり構わず、全力で、限界を超えて、後先考えず、あらゆる感情をぶつける。
捕らえられたことへの恐怖と絶望。
何故自分がこんな目に遭わなければならないのか、という世界への恨み、憎しみ、怒り。
今まで溜め込んできた負の感情。
セレンが気を失った今、自分が何とかしなければ、という小さく芽生えた正義感と使命感。
父、母、兄、姉……家族への無限の愛。
エリカへの愛と感謝と共に、完璧で美しい彼女への嫉妬。
そして何より、シランへの甘酸っぱい恋の気持ち。
ヒース・フェアリアという少女の感情が、記憶が、魂の全てが、濁流となって目の前の人形へと流れ込む。
「ァア……アアアアアアアアアアアァァァァ!」
今まで無言で無表情だった歪な少女が苦しみに絶叫する。
注射器を落とし、悶絶しながら床に倒れる。
頭を押さえて暴れまわり、立ち上がったかと思うと壁にぶつかって頭をぶつけ出す。
突然の奇行にヒースは呆然と固まっていた。彼女の昂った感情の波はもう鎮まっている。
「アァ……アアアァァ……」
歪な少女は頭を抱え、壁にぶつかりながら扉に近づき、扉を押し倒すようにフラフラと部屋から出て行った。
部屋には囚われの姫二人だけが残される。
(えーっと……うん、よくわからないけどラッキー!)
口枷で呼吸をしづらいが、ほっと安心安堵の息を吐く。
焦る気持ちを何とか抑え、冷静になるために何度か深く深呼吸。
落ち着いたヒースは、脱力して反応がない歌姫セレンに目を向ける。
(待っててね、セレン様。私、頑張るから!)
敵がいない今のうちに連絡を取らなければ。
シランへの伝言を思い出しながら、ヒースは虹色に輝く
ヒースの意識がゆっくりと夢の世界へと入り込む。
(行くよ! 《夢渡り》!)
夢魔の力を解放。意識が更に深層へと潜っていく。
そして、彼女は自分の心に存在する夢の扉を開け放つ。
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