第302話 陽動
昨日、予約投稿を間違えていました……
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金属がぶつかり合う戦闘音。
ジャスミンとリリアーネを護衛していた近衛騎士たちが暗殺者を迎撃している。
「一人じゃないっ!?」
襲撃者は彼女たちの目の前にいる小柄な相手だけではなかった。
近衛騎士と戦っているのは少なくとも五人。他にも潜んでいる敵がいるかもしれない。
深くフードを被っているため、相手の顔は見えない。戦闘に不向きな服装だが、それを感じさせない戦闘技術だ。
執拗に狡猾に無慈悲に正確に、人体の急所を攻める。
近衛騎士たちが苦戦しているのは敵の強さだけではない。
刃から飛び散る液体は禍々しい緑色。明らかに触ってはいけない液体。毒だ。
離れているにもかかわらず、鼻にツンとした刺激臭が突き刺さり、服に飛び散った毒が繊維を溶かす。
肌に触れたらひとたまりもない。
「逃げるのは……無理そうね」
「来ます!」
牽制の風の魔法を切り裂いて、小柄な暗殺者の身体が陽炎のように揺れる。
目の焦点がズレた。眩暈のような不快感が一瞬襲い、気づいたときにはジャスミンにナイフが迫っている。
人を殺すことに特化した鋭利なナイフを受け止めたのはリリアーネだった。
「っ!?」
暗殺術が得意なリリアーネは、相手がどこをどのように攻撃してくるのか、ある程度分かった。
リリアーネは人を殺したことはない。だが、暗殺者としての技術は学んでいる。
最初の襲撃を防いだのも鍛え上げられた暗殺者としての直感が働いたためだ。
本人は暗殺技術ではなく、護身術だと思っているが。
「くっ!」
ナイフを受け止めたのは良いものの力が強い。小柄な身体からは想像できないほどの力。腕が痺れる。
怪力に逆らわず、受け流すようにして弾き飛ばし、リリアーネは蹴りを放つ。
服装はロングスカート。いざという時のために動きやすいよう施した深いスリット。
露わになった美脚が空気を切り裂く。
「…………」
無言の襲撃者は身体を反らすことでリリアーネの蹴りを回避した。
「《風弾》!」
すかさず、体勢を崩した敵に向かってジャスミンが攻撃。相手はバク転で躱す。
放たれた魔法は虚しく地面を穿った。
ジャスミンは咄嗟に魔法を操作し敵に誘導。しかし、ことごとく切り裂かれる。
「こんなことなら剣を持っておくんだった!」
今のジャスミンには護身用のナイフしかない。愛剣はシランに預けている。
親龍祭期間中は近衛騎士ではなく公爵令嬢として過ごしていた。
今日もプライベート。近衛騎士が護衛している。デートに剣は必要ないと思ったのだ。
危機意識が足りない、と自分への怒りに思わず舌打ち。
反省は後でいくらでも出来る。取り敢えず、この場を何とか切り抜けなければ。
「《風牙突》!」
護身用のナイフで空間を一突き。暴風の突きが暗殺者に突き進む。
暗殺者は避ける動作もしない。風の刺突が小柄な体を穿つ―――その直前、魔力を宿した拳で下から抉るように風を殴りつけた。
魔力と魔力がぶつかる不快な音が轟く。
「嘘っ!?」
風とは言え、魔力を宿した風の魔法だ。別の角度からの攻撃によって進行方向がズラされたジャスミンの魔法は、相手にぶつかることなく斜め上の上空に向かって飛んで行った。
力技による回避。敵の予想外の行動に、彼女は一瞬の動揺した。
暗殺者の姿が揺れる。再び眩暈のような違和感。
ジャスミンの僅かな隙を敵は見逃さない。
「させません!」
リリアーネが軽やかに舞った。ジャスミンの前に躍り出るとともに、相手の攻撃を見切ってカウンター。
「えっ……?」
完全に見切った。間合いは完璧だった。
にもかかわらず、リリアーネの美しい髪がハラリと数本舞い落ちる。
咄嗟に首をかしげなければ、頬を切り裂かれていただろう。危ないところだった。
まるで、敵の腕が伸びたような光景だった。限界以上に腕が伸びて髪が切り裂かれた。
心臓が激しく脈動する。経験不足なリリアーネは動揺を隠せない。
何とか心を落ち着けて、距離を取った暗殺者を観察。
その時、リリアーネは気付いた。
「左右の腕の長さが違う?」
裾から伸びた左右の手は、手のひら一つ分ほど長さが違った。よく見れば肌の色や形も違う。
右手はごつごつしているのに、左手はほっそりしている。左右で別人の腕みたいだ。
左右の長さが違ったため、間合いが狂ったのだ。
「っ!?」
身体強化によって強化された鋭敏な聴覚が小さな音を察知する。
背後から迫る空気を切り裂く微かな音。
「ジャスミンさん!」
「《風よ》!」
ジャスミンも気づいて行動を移していた。周囲に風が吹き荒れる。
身を守る風によって弾き飛ばされたのは極小の針。戦闘のどさくさに紛れて他の襲撃者が吹き矢を放ったのだ。
二人の意識が吹き矢に誘われた隙に、風を切り裂いて小柄な暗殺者は攻撃。
首、目、眉間、心臓、鳩尾、など、フェイントを駆使しながら人体の急所を執拗に狙う。
致死の一撃を何とかしのぐリリアーネ。
感情が伝わってこないあまりに無慈悲で正確な攻撃に、プログラムされた殺人人形と戦っている気分。ネアの糸人形を相手にしているようだ。
「…………」
無言の暗殺者は静かに疾駆する。長さの違う腕で鋭利なナイフを振り下ろした。
「!?」
ハッと何かに気づいた暗殺者は、弾かれたようにリリアーネたちから離れる。
一瞬遅れて、暗殺者の首があった空間をリリアーネの強烈な回し蹴りが薙ぎ払う。
ビリッと布を切り裂く音がした。
爪先から伸びる魔力で紡がれた刃が、暗殺者のフードを切り裂いたのだ。
蹴りによる風によってフードが外れる。
現れたのは、継ぎ接ぎだらけの無表情な顔。
「……女の子?」
透明な髪。透明な瞳。どこか人工的な印象を受ける無機質な幼さを残した美貌。
フードと一緒に薄く切り裂かれた首から一筋の血流れ落ちる。
瞳や表情からは何も感じない感情に、リリアーネとジャスミンは思わず動きを止める。
操られているような虚ろな感じではない。彼女の感情が無いのだ。
顔を見られた少女は、バックステップで距離を取りながら、いつの間にか手に持っていた魔道具を起動。姿が揺らいで消失する。
潔い撤退だ。
「転移の魔道具!? ちっ! 逃げられた」
少女の逃走がきっかけとなり、他の襲撃者も魔道具を使用して次々に戦闘から離脱する。
二人の背後で行われていた近衛騎士たちの戦闘も終了した。
殺気だった近衛騎士たちに囲まれる。シランの下へ誘導しようとする騎士たちに抵抗。
「待って! まだヒースたちが!」
お手洗いに向かった三人が戻って来ていない。シランのことも心配だが、ヒースたちのほうが心配だ。
シランにはランタナがいる。別々に戻るよりも一度集まって戻った方が安心だ。
「無事だといいけど」
「きっと大丈夫です」
急いで女子トイレに向かいながら、リリアーネに問いかける。
「リリアーネの最後の蹴りの前、暗殺者はどうして距離を取ったの?」
暗殺者の行動に疑問を感じたらしい。
あの時、暗殺者はリリアーネの蹴りを察知する前に急に攻撃をやめたのだ。
「あれはですね、私たちの周囲にこっそりと極細の糸を張り巡らせていたんです」
そう言って、リリアーネは手のひらに魔力で紡がれた硬質な糸を生成する。
「あのままナイフを振り下ろしていたら手が切断できたんですけど……私もまだまだですね」
「うわぁ……えげつない」
「命のやり取りに卑怯とかありませんよ! しかし、少しおかしいですね」
「どこが?」
「普通、暗殺者は一度失敗したらすぐに逃げるはずなんです。正々堂々と戦うことはしません」
「ということは、陽動!? 急ぐわよ!」
「はい!」
嫌な予感がする。陽動ということは、狙いはシランか、もしくは―――
トイレにたどり着く前に、エリカを見つけた。
いつもクールで冷静な彼女が、髪を振り乱し慌てている。
近寄るジャスミンとリリアーネに向けてエリカが金切り声で叫ぶ。
「ヒースとセレン様がいなくなりました!」
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