第91話 緊急事態
少女は暗闇の中で苦しんでいた。
身体の内側から湧き上がる殺意と破壊の衝動。荒れ狂う禍々しい魔力。この身体では感じるはずのない全身の痛み。
死ぬことができない少女は、ただひたすら耐え続ける。
「う゛……うぐっ………グァ……グッ…」
全身を襲う痛みは波がある。痛くない時もあれば、身を引き裂かれるような痛みの時もある。
自分が作り出した時間がわからない空間で、自分の内に封じた厄災を自分ごと封印する。
「大丈夫…大丈夫ダカラ」
少女はひたすら自分に言い聞かせる。
もうどのくらい自分が封印を続けているのかわからない。自分がどこの誰なのかもわからない。
記憶が摩耗し、ほとんど全て消え去っている。
ただわかることは、自分の身体に封印している力が世に放たれたら、大災害が引き起こされるということだけだ。
だから少女は独りで抑え続ける。
しかし、少女は封印に罅が入り、綻んでいることに気づかない。
少女の身体から、禍々しい力が漏れ出している。
『…我ヲ解放シロ…』
心の奥底から甘い囁き声が脳裏に響き渡る。
「嫌ダ!」
『楽ニナレルゾ? 痛ミト苦シミカラ解放シテヤル』
何度聞いたかわからない囁き。何度心を揺さぶられたかわからない甘い誘惑。
少女は心を強くして、誘惑を振り払う。
「嫌ダ!」
『何故貴様ハ我々ヲ抑エ続ケル? 何故他ノ誰カデハナク、貴様ナノダ?』
心の内側から湧き上がる声に、少女の心が揺らぐ。
何故自分は苦しんでいるのだろう? 何故他の誰かではなく、自分なのだろう?
答えはわからない。記憶がない。
何度も何度もこの虚無の世界で自分に問いかけ続けた。
何故こんなに苦しまないといけないの? 何故? ナゼ?
少女を嘲笑うように、笑い声が響き渡る。
疑心暗鬼に陥らせた心の声は、満足そうに消えていった。
少女は動揺しながら、暴れる力を抑え続ける。
絶え間なく襲っていた激痛が、少しだけ和らいだ。
滅多にないホッと息を吐ける時間。少しだけ休める貴重な時間だ。
心に迷いが生じたことで、封印が緩んでいることに少女は気づかない。
わざと力を抑えて少女を油断させ、作り出した絶好のチャンスを厄災は見逃さない。
「っ!? ア゛ァァァアアアアアアアアアアアアアアア!」
少女の絶叫が暗闇の世界に響き渡る。
痛い。痛い痛い痛い痛い。全身が猛烈に痛い。
体中が引き裂かれて、バラバラになって、灼熱の炎で燃やされるような激痛が襲ってくる。
少女は身体をのけ反らせ、かつてない痛みに叫び声を上げるしかない。
封印がゆっくりと内側からこじ開けられる。
少女の身体の首の下から股下まで、斬り裂かれたように黒い線が走る。そして、線がゆっくりと横に開いていく。
暗黒の世界よりも更に黒い闇が広がり、中で何かが揺れて蠢いていた。その何かがゆっくりと這い出してくる。
真っ白な骨の手が闇を突き破って少女の胸から飛び出し、封印の綻びの穴を広げてこじ開ける。
「イヤァァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!」
少女は絶叫しながらも、身体の中の封印から這い出す力を封じ込めようとする。
しかし、もう遅かった。
封印していた化け物の一部が、ドロッと闇から零れ落ちた。
自分が封印する厄災の三分の一程がごっそりと抜け落ちるのを感じた。
厄災の一部が零れ落ちた。封印から解き放たれてしまった。
解放された存在が、歓喜の雄たけびを上げて現実世界へと堕ちていく。
その力に引きずられるように、少女は虚無の世界から現実世界に弾き出される。封印の世界が破壊された。
世界の闇が晴れ、どこかの山の中に放り出された。
現実世界は夜らしい。夜の暗闇ですら眩しく感じる。
解き放たれた厄災の一部が、本能に従い活動を始める。
―――全ては殺戮と破壊と死をもたらすために。
まだ封印されている厄災も、外に飛び出そうと少女の中で激しく暴れまわる。
少女の絶叫と内から響く笑い声が世界を揺るがす。
世界に厄災が現出した。
▼▼▼
「何なの…この魔力…それにあの魔法陣は一体…」
ジャスミンが唐突に出現した膨大な魔力の方角を見つめて、呆然と呟いた。
ローザの街の外側。どこかの山の中から放たれる禍々しくて冷たい荒々しい魔力。それと共に、濃密な死の気配が漂ってくる。
夜空を塗りつぶす、巨大な漆黒の魔法陣。
明らかにただ事ではない。何かが起きている。
俺たちの周囲に、尾行して護衛していた私服姿の近衛騎士たちが即座に集結した。
いつでも武器を抜けるようにして、俺たちを囲み、警戒している。
「殿下」
ランタナが普段は優しい橙色の瞳を鋭くさせている。冷たい雰囲気を感じる。
「失礼したします」
「うおっ!?」
突然、ランタナが俺を抱きかかえてお姫様抱っこしてきた。
女性にお姫様抱っこをされるのは何度目だろう。
そのまま誰一人言葉を発することなく、俺を抱えたランタナも近衛騎士たちも地面を蹴って飛び上がった。ジャスミンもついてきている。
近衛騎士たちは、俺を守るように周囲を囲み、隊列を組んで、屋根から屋根へと飛び移っていく。
目指すは俺が滞在している王家の屋敷だ。屋敷に向かって最短距離をまっすぐに駆け抜ける。
全員が鋭くて冷たいピリピリとした緊張感を放っている。
俺はランタナの腕の中でちょっとした屈辱感を感じる。運動もできない無能王子って認識されているし、この方が速く避難できるから理解は出来るけど、女性にお姫様抱っこされるのはちょっと心に来る。
でも、丁度いいか。移動はランタナに任せて、俺は周囲を探ろう。
俺は目を瞑って意識を広げ、魔力の発生源を探る。
頭の中に、いくつかの巨大な魔力の塊と、街に向かってゆっくりと進む大軍勢を捉えた。
魔物だ。魔物の軍勢が次々に出現しては軍勢の行進に加わる。
数はもう既に一万を超えている。まだまだ増え続けている。
「《
「なるほど。《
俺の呟きが聞こえたランタナが冷静に言った。
俺も同意見だ。あれほど次々に魔物が出現するのは召喚系の魔物しか存在しない。空の魔法陣は召喚系の魔法陣だ。
普通の魔物とは違い、召喚系の魔物は短時間で
「だが、この冷たい魔力…」
「それと濃密な死の気配。《
至近距離のランタナの顔が険しい。
《
そう言えば、ローザの街の周辺に
ちっ! 気づけなかった。
まだ夜になったばかり。夜は
今夜は長い夜になりそうだ。
屋根の上を駆け抜けていた俺たちは、屋敷に到着した。
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