第三十三話 狭山くんそれは駄目……ですわっ!

 通知表を受け取った後の休み時間。担任に呼び出された俺は職員室のドアの前まで来ていた。そして両隣には四谷と志賀郷がいる。


 別に俺達は悪いことをして招集された訳ではない。学費免除の有無や手続きを教室で堂々とするのは良くないという担任の配慮により、こうして個別に呼び出されているのだ。


「咲月ちゃん、為せば成るって言葉もあるし元気出していこうよ!」

「そう、ですわね……」


 既に落ち込んでいる志賀郷の顔は青ざめていた。ここは四谷の言う通り、前向きに臨んだ方が精神衛生上良いと思う。貧乏人の後ろは常に崖。先に進むしか俺達に選択肢は残されていないのだ。


「じゃあ行くぞ」

「はい……!」


 一呼吸置いてから、引き戸の取っ手に指をかけた。



 ◆



「状況はこちらも把握済みなので安心していい。あと結果も君たちが考えている通りの内容だろうから、そこも安心していいぞ」


 教員用の回転椅子に腰掛ける担任が薄ら笑いを浮かべながら答えた。


「そうなると安心どころか不安で仕方なくなりますね」

「やはり、ですか……」


 志賀郷はまるでこの世の終わりでも見たような顔をしていた。以前、例え悪い結果になっても後悔しないと言っていたが、この調子だと寧ろ後悔だけが残りそうだ。志賀郷が今まで通り学校に通えるように、俺にできることを考えなくては……。


「おいおい、そんな難しい顔をされると職員室の空気が重くなってしまうよ。……とりあえず四谷さんは先に書類を渡しておくね。いつも通り記入して明日提出してくれれば問題ないから」


 てきぱきと手を動かしながら担任は一冊のクリアファイルを四谷に手渡した。これは学費免除の申請用紙だ。俺も後で受け取る事になるだろう。


「四谷さんはもう戻って大丈夫だよ。……これから極秘会談を始めるからね」


 そう言って笑い飛ばす担任だが、ハスキーなボイスのせいで悪役感が満載である。童顔で小柄な人なのに絶大な貫禄がある不思議な教師だ。


 四谷が職員室を後にすると、担任は咳払いを一つしてから続けた。


「どうだね。志賀郷さんが隣に引っ越してからの毎日は」

「いや、どうと言われても……」

「青少年の健全育成に背く行為はしてはならないからな」

「超健全なので大丈夫です!」


 部屋に入れる事があっても飯を食う時だけだし、満員電車で密着するのは不可抗力だし……。きっと問題無い……はずだ。


「それなら良かった。知ってると思うが、志賀郷さんの御両親は難しい問題を抱えているから、今は狭山君が細かいサポートをしてくれると助かる」

「はい……」

「本来なら引っ越す前に伝えておくべきだし、狭山君の意思も尊重したかったのだが……。なんせ急に御両親から連絡が来て「安い物件は無いか」と相談されたからなぁ」

「……はい!?」


 さらりと言ったが、なんか凄い発言をしたぞこの担任。志賀郷が隣に引っ越した経緯はまさかこの人にあるのか……?

 一方、志賀郷も初耳のようで口をぽっかりと開けていた。


「あれ、住処を斡旋あっせんしたのは私だと知らなかったのかい?」

「初めて聞きましたよ……」

「狭山くんと同じく、ですわ」

「そっかそっか。まあ大したことでは無いから気にしないでくれ」


 軽快に笑う担任だが、かなり重要な事実だと思うのは俺だけだろうか。


「ともかく、今後も引き続き頼む。見たところ二人は仲良さそうだし、私の目に狂いはなかったようだな」


 つまり……。志賀郷が隣人になったことは偶然ではなく事情を聞いた担任による策略だったという訳か。いきなり隣に引っ越してくるなんておかしいと思ったんだよな……。


「それで、先生。志賀郷の学費免除はやっぱり駄目でしたか?」

「ああ。先日の職員会議で、狭山君は継続が決まったが、志賀郷さんは残念な結果になった」


 真剣な顔に戻した担任が答える。分かりきった事だが、いざ決まると先が思いやられるな。


「……承知しました。私一人では学費を全部払えませんし、親はきっとお金なんて振り込んでくれませんわ。ですので――」


 志賀郷は苦しそうな表情をしていた。それでも何かを決心したのか、数秒の間を置いてから彼女は……。


「先生。今学期が終わったら…………私は……退学させていただきます」


 誰にも抗うこと無く、自ら辞退する決断をした。

 だが心残りはあるのだろう。言いたくない……でも現実には逆らえないから言うしかない……。そんな、苦渋に苦渋を重ねた末の言葉に思えた。


 親の身勝手で捨てられた挙句、楽しい学園生活まで諦めなくてはならない志賀郷。そんな彼女を俺は隣からただ見つめるだけ――――にはいかなかった。


「……諦めるなよ。辞めたくないのに学校辞めるとかおかしいだろ」

「ですが……。必要なお金を払えないなら辞めるしかないじゃないですか!」

「まだ払えないと決まった訳じゃねぇだろ! 俺が協力するから。バイトでもなんでも詰め込んで稼いでやる。限界まで挑戦してそれでも駄目だった時に初めて諦めるんだよ」


 何故俺がここまで必死になっているのか、自分でもよく分からなかった。志賀郷を助けたところで俺が受けるメリットはほぼ無いというのに。自分の利益にならない仕事は一切しないスタンスの俺だが、志賀郷が相手だとその考えが狂ってしまう。


 ただ……。一つ言えるのは志賀郷の悲しむ顔を見たくない。元気に飯を食ってる姿を見ていたい、という事だった。


「狭山君。うちの学校の授業料がいくらなのか忘れたのか?」

「知ってます。だから限界まで働いて稼ぐと言ってるんです」

「アルバイトも良いが、働き詰めて体を壊したら元も子もないぞ。それに、臓器でも売らない限り、高校生の君たちに学費全部は稼げないだろうよ」


 担任は呆れているのか、苦笑いを浮かべながら答えた。絶望的な状況だと分かっているが……俺は少々苛立った。


「なら腎臓でも売って金の足しにしますよ」

「狭山くん! それは駄目ですわ!」

「落ち着け落ち着け。まずは私の話を聞いてくれ」


 ゴホンと咳払いをした担任が宥める。いけない、ヒートアップし過ぎたな……。


「教師は生徒を守る立場だ。困っている生徒がいたら全力で救ってやるのが私の仕事なんだよ」


 椅子の背もたれに仰け反って得意気な顔をする担任。平坦な上半身が綺麗な曲線を帯びており、起伏のある志賀郷の体型と相反する形だが口は挟まないでおく。


「ただ、学費はこの学校が定めた規則だ。当然だがこれも守らねばならん。志賀郷さんの家庭事情がどうであろうと例外は認められない」

「……何が言いたいんですか」

「まあそんな殺気立つなって。要するに、規則を守りつつ君たちの学校生活も守るために……私が一肌脱ぐわけだよ」


 言いながら担任は机上にある鞄に手を突っ込む。そこから取り出したのはピンク色の派手な長財布だった。ワニ皮の高級品と思われるが……センスが一昔前のギャルっぽい。


「先生の財布……ですの?」

「ああそうとも。私が志賀郷さんの学費を肩代わりするのさ。それなら校則違反ではないし万事解決だろう」

「ですが……お金はお持ちなのですか?」

「はは、名家の志賀郷さんに言われると皮肉だな。でも大丈夫だ。私は独り身だから多少の金はあるんだよ」


 自嘲気味に笑う担任。誰でもいいから旦那が欲しいと普段からよく嘆いているが……。そういえば身近にもう一人似たような境遇の独身男性コンビニ店長がいたな。


「……だけど、私は君の親じゃないから無償の愛を授けるつもりはない」

「もちろん、お金は絶対に返します!」

「いや、金で返さなくてもいいぞ。私は志賀郷さんにをするんだ。その分だけ回収できれば文句は無い」

「……横から失礼しますが、先生。時間は有限ですし結論を早く仰ってくれませんかね」


 俺は何事も手早く効率的に済ませたいタチだ。長話は好きじゃないのでやんわりと指摘してみたのだが、担任は「あら怖い怖い」と苦笑いしながら続ける。


「では志賀郷さん。私のポケットマネーを借りたいのなら、まずは勉学に励み卒業することが条件だ。それは守ってほしい」

「……もちろんですわ!」

「あと卒業後に君が満足できる生き方をしているか。それを私の独断と偏見で決めて、問題無さそうなら金は返さなくていい。まあとにかく……今は頑張りたまえ」

「は、はい! その……ありがとうございます!」


 まるでしおれた花が光を浴びて咲き開くかのように志賀郷の表情が明るくなる。まさか担任自ら手を貸してくれるなんて……。どんだけ良い人なんだよ。


「ほら、次の授業に間に合わなくから早く行きなさい」

「はい! 先生……本当にありがとうございます!」


 綺麗なお辞儀をする志賀郷をよそに担任は慌ただしく席を立ってその場から離れようとする。失礼な物言いになるが、感謝される事に慣れていないのだろうか。かなり動揺しているように見えた。


「あ、狭山君。最後に一つ言っておこう」


 立ち止まったと思ったら若干上擦った声。先生、やっぱり動揺してるな。


「……なんでしょうか」

「君は何でも一人で問題を抱えようとする癖があるようだが……。たまには周りの大人を頼ってもいいんだぞ。子供は子供らしく振る舞うがいいのさ」


 それから担任は悪役のようにニヤリと口を広げると、踵を返して部屋の奥へ行ってしまった。


「子供らしく……か」


 苦学生の俺を理解している担任なりの励ましだったのだろう。


 考えてみれば俺の周りには沢山の大人がいる。両親をはじめ、銭湯の芳子さんや常連の木場さん。バイト先の店長も俺を見てくれている。幸いな事にその人達は皆優しくて俺は感謝しているのだ。だからこそ迷惑を掛けずに自力で頑張ろうとしていたけれど、少しぐらいなら甘えても良いのだろうか。大人の偉大さに頼っても良いのだろうか……。


「狭山くん。ダッシュしないと間に合いませんわっ!」

「あぁ……」


 はにかむ志賀郷の笑顔が眩しく見える。やっぱりこいつは笑ってないとらしくないな。


 途端に安心感に満たされた俺は口元が緩み、志賀郷が小さく頷く。


 このとんでもなく可憐で食欲旺盛で……不憫なお嬢様を守ろう。学園を卒業して両親顔負けのエリートにさせて幸せだと言わせたい。同じ貧乏人として仲間を応援するのは当たり前の事だ。例え他の力を借りてでも……志賀郷をこれ以上悲しませたくはない。



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いつも拙作をお読みくださる方に感謝申し上げます。

2章はこれにて終了となり、次回から夏休み編である3章に移ります。

実家で過ごすことで二人の関係性が徐々に変わる……のか!?

是非お楽しみくださいませ。

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