第33話 真人vs綾香

 真人は綾香をかかえたまま、さっき瀬良が逃げた通路に飛び込む。

 そこには瀬良がメモを掲げて立っていた。

 メモの端や髪が少し焦げているのは、綾香の放った攻撃の余波だろうか。


「真人、ここを真っすぐ! 突き当たりの窓の向こう!」


「え? あのメモなっ……」


「すぐ分かるよ!」


「……にいいぃぃぃーーーっ?!」


 綾香を抱えたまま、真人は壁を蹴ってそのまま走りだした。綾香の叫び声だけが置いて行かれる。

 真人が最初に周囲を見渡して頷いたのは、瀬良が掲げたメモに対してだったらしい。

 メモに書かれた内容は……


「――あっ?

 真人くん、ちょっとタイム!」


「駄目」


 通路にあった標識を見た綾香が、真人から逃れようとジタバタと手足を振る。

 真人はその動きをディスアクセラレーターで却下して走り続ける。

 通路は少し先で回廊に突き当たっている。回廊には淡く青に光るタイル状の窓が並んでいた。

 真人は綾香を抱えたまま、その窓に飛び込んだ。

 抱えられた綾香が何かするには時間もなく態勢も悪い。揚げ句に真人が望まない方向への機動は打ち消される。

 分厚いガラスごと二人が飛び込んだ先には、巨大な空間があった。

 高い天井、タイル張りの壁、そして床はすべて……水だ。


「地下プール!」


「そう、熱線やレーザーは使わせない!」


 派手な水しぶきと共に、真人と綾香がプールへダイブした。

 プールは全面が古風なタイルで覆われており、照明は水中にあった。

 そのせいで水の中がよく見える。

 真人は綾香から離れると、立ち泳ぎで水面に顔を出した。

 綾香も顔を出そうとするが手足のエアロパーツの抵抗が大きすぎて上手く泳げない。

 諦めて盾や手足のパーツを全部外すと、ノロノロと浮かび上がる。

 パーツの類を外した状態では意外に露出が多く、綾香がちょっと気にして腕を胸の前で組んだ。


「むう、大量の水でレーザー対策とは……こう来ましたか。

 でも真人くんにはちょっと深くないかな?」


 水位はかなり深く、長身の綾香でも足が届かない。

 綾香よりも遥かに背が低い真人も、当然立ち泳ぎしないと顔を出せない。

 二人はそのままパワーキャスターを展開させて睨み合う。


「水から上がればいいだけだよ」


「ふふん、水は空気よりずっと重いよ。

 下手にアクセラレーター使ったら手足がもげちゃうかもね?」


「残念でした」


 そういうと真人が両手を大きく振りかぶり、身体を思い切り浮かばせた。

 つられて綾香の視線が可愛い脇とおへそに吸い寄せられる。

 ――瞬間、真人の前の水面が爆発した。

 弾丸のような水しぶきが大量にかかり、綾香がほんの一瞬だけ顔を背けてしまう。

 軽く目をこすってから顔を上げると真人はすでにプールサイドにいた。


「いたたた……あれ?」


「素ならともかく、加速していれば平気だよ」


 真人が何でも無さそうに答える。

 どうやら水面を連続で叩くことで高速で移動したらしい。

 水中翼船などの原理に近いか。

 加速・反加速能力を持つ真人なら造作もない。


「む、色仕掛けで逃げるなんて卑怯だぞ!」


「いっ、色仕掛け?」


「うん、おへそもいいけど脇のラインも可愛いねー。

 肋骨がちょっと浮き出るのが、またいーんだ」


 綾香がオヤジっぽく笑う。

 真人は無言で両手を胸の前で組み、体をちょっとひねった。

 顔が少し赤い。しかもジト目だ。

 ちょうどのタイミングで瀬良が壁に空いた大穴から顔を出した。


「――真人、大丈夫か?

 それと気をつけてくれ、上のホテルには一般客が大勢いる」


「大丈夫です、何もされてません。

 ホテルは……はい、分かりました」


「何も……って、そんなことするかーっ!

 あっ、いや、何かはするけど、しないよ、そんなの!」


 綾香が叫ぶと同時に、片足を思い切り高く蹴り上げた。

 上げた足先に青い粒子が集まり、そこからパワースラストが放射された。

 綾香はバレエのような格好で水中から飛び出す。

 そのまま空中で体を回転させて両足を揃え、踵を打ち鳴らした。

 綾香の全身が変形を始めた。

 四肢に光るスリットが走ったかと思うと、瞬く間に身体が黒い外装に覆われる。

 人の肌だった質感は金属ともプラスチックとも取れない極薄のボディスーツで覆われ、動きの少ない部分はプロテクター風のアクセサリーに変化した。

 両足の先が鳥のクチバシのように鋭く尖り、二本の足が一本に合わさってノーズ部分になる。

 胸から下の体もそれに合わせ、継ぎ目も見えない流線型のフォルムへと変形した。髪はご丁重にもアップにまとめられている。

 上半身は下半身ほど大きくは変形しない。フルフェイスのヘルメットに覆われた頭部の形状もそのままだ。

 両肩と両の肩甲骨あたりを覆っていた四つのエンジンが動いて推進方向が揃う。

 ほぼ仰向けでカヌーに乗っているような姿勢と言えばいいか。

 半分飛行機、半分人間の形態とも言える。

 全部のエアロパーツがあれば完全な飛行機形態になれたのかもしれない。


「ふっふん、どーだ!

 直線なら真人くんより早いよ。まあ……早すぎてどっかいっちゃうけどね。

 さて、再開!

 ――突撃形態、フォーム・チャージボルト」


 綾香は空中で鋭く旋回して真人を真正面に据え、そのままの姿勢で突っ込んでくる。

 体当たりというより、キックが近いかもしれない。

 言ったとおり直線の移動は綾香が圧倒的に早い。

 綾香はアクセラレーターも使って短距離を一気に超音速まで加速すると、両足の先に集中させたパワーキャスターで真人めがけて襲いかかる。


「足先のは、パワーキャスターを利用した力場兵器、フィールド衝角だよ。

 アクセラレーターと組み合わせれば戦車でもぶち抜けるからね!」


 加速中の綾香からの高速通信。

 真人はそれに答えず、一度壁まで下がると最大加速で壁を駆け上がった。そのまま床、壁、天井を蹴って垂直に、ジグザグな移動を始める。

 綾香には真人が壁の上で分裂したように見えた。


「うわっ、どうしろってのよコレ!」


 綾香がそのまま壁に突っ込む。

 ギリギリまで狙いを定めたつもりだったが、真人にはカスリもしない。

 コンクリートの破片や鉄筋、タイル、ガラスなどを盛大に撒き散らしつつ、綾香が壁の中に突っ込んだ。

 隣の部屋はロッカー室だったようだ。

 綾香は変型を解き、身体を回転させつつ両足のフィールド衝角でブレーキをかける。

 そのまま幾つものロッカーを潰し、シャワー室まで突っ込み、壁に大穴まで開けて、やっと止まった。

 熱湯と水とが大量に吹き出し、周囲を水蒸気で覆い尽くす。


「あちー」


 その辺にあったバスタオルを勝手に拝借した綾香が、顔をゴシゴシと拭いながら壁の穴からはい出してきた。


「うう、凄い湯気。

 お湯自体は平気だけど、加速してると空気のちょっとした状態が影響するなぁ。

 さっきの水滴も凄く痛かったし……ん?」


 綾香がふと何かを考え込んだまま、立ち止まった。

 周囲の床や壁はフィールド衝角によって大きく削られ、コンクリートが剥き出しになっている。

 その惨状を見た真人と瀬良が息を飲んだ。


「凄いな、この威力……。

 人が大勢いるところで使われたら大惨事になるぞ」


「はい……」


「あ、真人くんちょっとタイムいい?

 うー、髪が……ねえ、さっきの髪をまとめる機能もう一回お願い。

 なんてったっけ……きゅうり……キュリオスさん?」


『サブシステムより機能開放の要請、受理。

 自由に使ってくれ』


 綾香が一人でキュリオスと会話を始める。

 急に話しかけられたせいか、キュリオスはちょっと不機嫌そうだ。


「あ、ほんとう? ならアップにまとめておいて。

 戦闘中に邪魔なんだもん」


「綾香さん……」


「真人くんも髪を梳かしてあげよっか?

 あと服もいるよね。

 着替えるなら……」


「綾香さん!」


 真人の語尾が鋭くあがる。

 怒られた綾香がキョトンという顔をした。

 真人が怒る理由が分からなかったようだ。


『――ふむ? 彼は戦闘中に遊ぶなと、そう言っているのではないのかね。

 我も同意する。

 ソートナイン活性の条件として本気という状態は好ましいのだろう。

 少々ゲームの条件を見直すが、よいか?』


「うん、いいよ。

 真人くん、真面目だなぁ……うー、美形に怒られると凄い怖いや」


 綾香が慌ててタオルをその辺に戻す。

 髪をかき上ると、首の後ろから伸びてきたリボン状のアクセサリーにより、望みどおり髪がアップサイドにまとめられた。

 最後にセンサーアンテナを兼ねたヘアアクセが生成される。


「便利だな、これ。さすがゲームのセカイ」


 綾香の独り言は真人の耳にも届いた。

 真人の顔が小さく歪む。

 その肩を瀬良が叩いた。どうやら瀬良にも聞こえたらしい。


「落ち着くんだ、真人くん。

 彼女は現実を正確に認識できてないという可能性はないか?

 例えば、騙されているとか……

 それなら正気に戻すことは可能だと思うんだが、どうだろう」


 瀬良の指摘に真人が息を飲む。

 真人と瀬良が頷き合う。


「――ありえます、瀬良さん。

 サロゲート体は機械だから薬などは使われてませんし、人格データの書き換えはデュミナスが厳重に封じてた筈です。

 ごまかしが小手先のものなら正気に返すことも可能かも……」


「えっと……真人くん、もういい?

 始めちゃいますよー

 瀬良さんも離れてくださいね」


 綾香が遠慮がちに声をかける。

 だが瀬良が綾香の問いかけを片手で制する。ちょっと待てのサインだ。

 綾香が律儀に待つ。

 バンクやデモ中は襲わない程度のマナーは心得てる悪役です……という顔をしていた。


「真人、まずい……人だ。増えてきている」


 瀬良が脇の階段を指す。

 そこには警備員や、作業着姿の人間が何人かいて、こちらの様子を伺っていた。


「――僕はロビーに行くよ。

 他の人が巻き込まれないように警告をあげてくる。

 ここの支配人は古いカード仲間でね、なんとか説得してみせる……」


「お願いします」


 真人が瀬良の目を見つめた。二人が頷きあう。

 瀬良は真人の肩を軽くポンと叩くと、一階へ続く階段へと走っていった。

 ついでに集まり初めていた野次馬を無理矢理引っ張っていく。

 瀬良の安全を確認した真人はパワーキャスターを全開で展開させ、綾香と真正面から対峙する。


「んじゃ、気を取り直し――フォーム・チャージボルト!」


 掛け声と共に空中に浮かび、半飛行機形態に変形した綾香が一気に真人に突っ込んでくる。

 真人は綾香を正面から迎え撃った。


「はにゃ?」


 きっと避けると思ってあまり本気を出してなかった綾香が戸惑いの声をあげる。

 だがいまさらどうにもならない。そのまま正面からぶつかり合った。

 真人はディスアクセラレーターで綾香のスピードを打ち消しにかかる。

 完全に勢いを殺されるには至らないが、それでもスピードがガクンと落ちた。


「さっきのロック技? なら!」


 綾香が一挙動で変型を解く。

 レーザーショットの弾幕と同時に、真人の正面ど真ん中へ蹴りを放った。

 彼女の両足にあるフィールド衝角は強化型の推進システムも兼ねるため、放たれる蹴りは飛び道具に等しい。

 だが真人は綾香の身体を支えに使い、至近距離からのレーザーも、蹴りもすべて避けきった。

 さらにディスアクセラレーターを再度綾香に作用させ、その身体を完全に失速させる。

 だが、それは綾香も予想していたことだ。

 そのまま両足で真人の首を挟むと、フィールド衝角を駆使して下へ――プールへ飛び込んだ。

 水面への落下は綾香の方が先だった。綾香は盛大な水しぶきと共に水中に没する。

 真人は着水寸前に体をひねって綾香の拘束を逃れると、さっきのように水面を走ってプールサイドへ逃げた。

 真人の走った衝撃で、進む方向とは反対側の水面に爆発のような水柱が幾つも立った。

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