17・或るいきものの記憶
メビウスが詠唱の代わりに紡いだ言葉に、
――先ニ干渉シテキタノハ、貴様ラデアロウ。
「……これは」
「話せんのかよッ!」
突如として脳内に響いた言葉に、ウィルとスフィルが同時に声をあげる。その場にいる全員に、声は届いたようだ。
――意味ハワカルガ、ソチラノ言葉ヲ発声スルコトカナワズ。ダガ、外ヘ近ヅイタコトニヨリ、念ヲ飛バセルヨウニナッタ。
「ああ。こっから、還れるぜ。身体を、魂を削ってまでこっちにいる理由があんのか? お前を喚んだやつに、いったいなにを聞かされた?」
しばしの空白。
――思イ、ダセナイ。
待ったあとに送り込まれた言葉は、あまりにも簡潔なものだ。
――私ハ、俺ハ、僕、ハ……己ハ、誰、ダ?
――アア……。アア、ソウダ、ソウダ。
うわ言のように繰り返し、赤い揺れが激しくなる。
――……己ハ、世界ヲ……否、
ぶつぶつと呟いているが、言葉は細切れでまるで要領を得ない。思考が外にダダ漏れていることに、気がついていない。メビウスは、怪訝そうに眉をひそめて
――……ソウダ。遠い、遠イ昔ニ……愛シタ人ガイタ。
ふと、しっかりとした口調になった。眼窩で幽かに揺れていた灯火が、見上げる太陽の瞳と真正面からぶつかる。
「――ッ!?」
途端。
世界から、色が――音が、消えた。
なにもかもが消えた白い世界の中で、とてつもない量の思考が、記憶が、メビウスの頭の中にどっと流れ込んでくる。思考は感情的で記憶は断片的で、ただただ、濁流のごとく押し寄せて暴れまわる。叩き込まれた情報量に耐え切れず、頭がかすむ。燃え上がる灯火から目を逸らしたいのに、繋ぎ留められたかのように視線を外せない。
激情が、弾けた。
『引き離された。罰を受ける。こんな事で――こんな事でッ! 生き永らえてしまった。どうせなら、地獄の業火の中にでも飛ばされれば良かったのに。夢なのか? 本当は、死んでいるのかもしれない。そうだ、きっと死んでいるのだ。死に逝くものが見る、悪趣味な夢なのだ。そうに違いな――ああ、あああ、違う、違うッ! 何故、生きているッ。何故、何故、何故――ッ!!』
脳内を殴りつけるかのような、想いの激流。自身の記憶ではないのに、まぶたの裏で見たこともない映像が次々と弾ける。
……いや。
見覚えのある人物が、いる。覚えはあるがまるで見たことのない、弾けるような笑顔を向けている。嘘偽りのない真っ直ぐな、心からの美しい笑み。そんな彼女は、
『彼女を愛した。皆はそれを罪だと言う。何故だ? 何故愛することが罪なのだ? 種族が違えど、気持ちはこんなにも通じ合えるというのに。わかりあえるというのに。それなら、はじめから――』
――意思など、通じなければ良かった。
ちからない呟きは、世界への不条理と慟哭と――ほんの少しの怨嗟がこもっていた。
確かに、とメビウスも思う。
どうせわかりあってはいけないのなら、なぜ言葉が通じるのだろう。姿形も、似かよっているのだろう。なにもわからず、あまりにも違う容姿をしていれば、そもそも関わろうと思うものも少なかっただろうに。ヒトは、理解が及ばないものに近づこうとはしない。少ない例外がいるかもしれないが、大概はそういうものだ。同族同士ですら、そうだろう。
この世界は、ひどく歪だ。
深く関わり合うことを禁忌としながら、魔界のように隔絶されれば、そこにはどうやら不備がわき、ただ生きることすら困難になるようだ。共通の敵がいなくなれば、ヒトは些細なことで簡単に殺し合う。少しずつ、世界が死に向かっているように感じる。
創造神は、なぜこんな世界を創ったのだろう。まるで、そこに住むいきものの心を試すような、悪趣味な仕組み。わかり合うのを禁忌としたのは、神ではなくその時代に生きていたものたちだとしても、それで壊れてしまう程度の世界ならやはり悪趣味だ、とメビウスは思う。
――コレハ、己ニ課セラレタ罰……。
少年が思案しているあいだにもボソボソと聞こえていた意味を成さない言葉が、唐突に途絶える。とたん、世界にふわりと色が戻り、雑多な音が耳を刺激した。
「……いまの、は」
思わず、目をしばたたかせる。そんな少年を見、スフィルが不思議そうに首をかしげる。どうやらいまのは、メビウスだけが体験したようだ。頭を押さえて辺りをゆるりと見回し、皆の様子を見て確信する。無意識のうちに、左手でブリュンヒルデの柄を触っていた。
ちから強く羽ばたく翼に引きずられ、一緒に上空へと舞い上がる華奢な身体。それを目にしてメビウスは、大声で叫んだ。
「ソラちゃん、早く離せッ!」
「……ッ!」
――シュンッ。
呆気ない音を残して、外のいきものの巨体とともに扉が消える。一瞬、複雑に顔を歪めたメビウスだったが、すぐに気を取り直してソラへと駆けた。
「……おっさん」
顛末を見届けぬまま、場を離れようと踵を返していた背中に、険のある言葉がかかる。男は足を止めるかどうか刹那で迷い、ゆっくりと立ち止まった。
「……なぜ、こちらにきた」
静かな、しかし圧のある声音。だが、魔族の少女はそんなことで物怖じするような性格ではない。むしろ、いらっと眉を跳ね上げて食ってかかった。
「なぜ? そんなもん、魔界がヤバいからに決まってんだろーが。おっさんが出てってから、あっちはもっとひでーことになってんだよ」
ジェネラルにも負けぬ、強い気持ちのこもった声だった。言い切った口を真一文字に引き結び、睨みあげている。しばらく彼女の視線を真っ向から受け止め、ジェネラルはほんの少し瞳を細めた。
「そうか。私のせいだな」
「そーゆーわけでもねーけど。まあ、あんまりにもおせーから、適当なことほざいてる連中は増えてんだよ。胸糞悪ィ」
前にも増して、バラバラだ、とスフィルは大袈裟に肩をすくめてみせる。
「だからよ。届けモンと、言伝を預かってきた」
声と同時、二人の様子を静かに見守っていた黒狼が大きく口を開けた。
声に代わり、彼の喉の奥に魔法陣が表れる。男は躊躇なく、魔法陣に手を突っ込んだ。引き戻した右手には、一振の剣が握られている。左手で飾り気のない鞘を持ち、すらりと抜き放つ。抜いた瞬間、濃厚な瘴気が衝撃波のように広がった。
ジェネラルが手にしていたのは、黒く光る片刃の剣だ。片刃というのはこの世界ではあまり見られない上、刃を形取る金属は鈍い光沢を持った黒色。何でできているかはわからないが、男に似合いすぎているのは確かである。
「得物があったほうが、楽だろ?」
ためつすがめつしている様子を見、スフィルはにっと笑みを浮かべる。ショートパンツの尻ポケットからくしゃくしゃになった手紙を取りだすと、にやにやと笑みを大きくして差し出した。
「こっちが伝言。数すくねー激烈な応援だぜ? 超うれしーやつだろ?」
なにが楽しいのか、下品な笑顔で見上げるスフィルを無表情で見おろし、片刃の剣を鞘に収めると静かに手紙を受け取る。裏の封印を確認すると、ジェネラルはほんの少しだけ眉根を寄せたが、意外と丁寧に封を切って中身を取りだした。
が。
なぜかスフィルが食いつきそうな勢いで見上げているので、少しだけ移動する。その背から視線を外さずにかがみこんだ赤毛の少女は、地面に伏せっている黒狼を両手で抱え込んだ。
「な、あれ、ラブレターだと思うか?」
「……ある意味では」
ろくでもない質問に、ファルコンはため息をつきつつ気だるげな声で答えたのだった。
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