空色の告死天使<アズライール>

柊らみ子

第一章・空色の少女と太陽の少年

プロローグ

「はッ!」


 鋭い気合いと共にきらめく銀閃が宙を薙ぐ。それは狙いたがわず目標を切り裂いた。

 だが首を切られてなお、獣の猛攻は止まらない。ごきん、と骨まで届いた一撃は確実に致命傷だろうに、血をまき散らし足をもつれさせそうになりながら巨大な獣は猪突猛進、一直線に突き進む。


 手負いの獣が進む先にあるのは豊かな緑がたわわに実った依頼主の畑だ。いくら首が取れそうになっているといっても、少なく見積もって通常の三倍以上はある体躯に少年の腰程もある太い牙をかねそなえている。そんなものが畑に突進、侵入すればどうなるかはよく考えなくてもわかる。

 剣を振るった小柄な少年の表情が焦りに変わった。


「いやいやお前、食い意地張り過ぎでしょーよ!」

「……どいてください」


 少年の少しズレた叫びに被せるように聞こえたため息混じりの声に従い、彼はとんっと一歩後ろへ下がる。瞬間、少年が立っていた場所を滑るように飛んでいった小枝が獣の前足にからんだ。たったそれだけのことで、獣は簡単に足をもつれさせ、ずしん……と地響きを立てて倒れる。

 倒れた獣は白目を剥き、すでに絶命していた。


「わぁお」

「メビウス坊ちゃん。以前から申し上げているでしょう。大型の獣はすぐには止まれないんです。きちんと距離を考えて倒してください」


 致命傷を受けても、急ブレーキがかかるわけではないんです、と小枝を投げた青年はズレた眼鏡を直しながら言葉を続ける。

 眼鏡のおかげで表情は読み取れないが、こいつが名前をつけて呼ぶときは話が長くなるんだよなと胸中でぼやき、メビウスと呼ばれた金髪の少年ははいはいと軽く受け流した。こういうときはさっさと話題を変えるのが得策である。身体ごと獣に向き直り、倒れた巨体をぐるりと眺めた。


「それにしてもでっかいなー。こんなのが畑荒らしてりゃ魔獣と見間違うのもしょうがないか」

「……本当に魔獣ではないのでしょうか。だとすれば記録級の大きさですね」

「ああ。魔獣化はしてねぇと思う」


 言いながら朱の瞳をすがめ、巨体の後方でしゃがみ込む。


「どうしました?」

「……こいつ。食うには固そうだな」


 思わせぶりに一拍おき。

 真面目な顔で、メビウスは言った。






 ぞっとするほど美しい満月が、煌々と夜空を照らしていた。

 夜の帳が降りてからかなり経つ。明るい満月の光も、生い茂った木々に邪魔されて森の中にはほんの少ししか届かない。


 そんな中で、一か所だけ開けた場所がある。高い崖を背にしたその場所は、白い月の光を独占していた。上から落ちてきたのだろうか。真ん中に、ひときわ広い石舞台が鎮座している。

 岩がたくさん転がっている場所を避け、先ほどの二人組が火を囲んでいた。火の周りには串に刺さった瑞々しい野菜や干し肉が良い香りをあげている。


「結局、魔獣ではありませんでしたから報酬も情報もなしですねぇ。ああ、ルシオラさんになんと言ったら」

「なんだよウィル。報酬ならたんまりもらったじゃねぇか。産地直送とれたて野菜!」


 にまっといたずらっ子のような笑みを浮かべ、メビウスは青年の脇に置かれた荷物を指差した。焼かれているもの以外におかわりも入っているのだろう。膨れた荷物を一瞥し、ウィルは無言でじとっと少年の笑顔を見つめる。


「……ルシオラさんが野菜嫌いなのは知っているでしょうに」

「オレたちが食べるからいいの。まぁ……ルシオラ向けのお土産もないことはないぜ」


 言うと、懐から取り出した小石大のなにかをピンと指ではじいた。それがきらりと空中で月の光を反射したのを見、ウィルの表情が自然厳しくなる。


「まさか、……?」

「ああ。後ろ足の蹄に挟まってたんだ。あんだけ育ってたのは、コイツが原因だな」


 小指の先っぽ程度のサイズしかない、小さな銀色のつぶて。

 ――魔獣のかけら。

 それはその言葉どおり、魔獣の身体から剥がれたり欠けたりした破片だ。

 魔獣とは、この人間界に元々存在しているものではない。本来は魔族が住むといわれる魔界に存在するいきものだ。だが、魔族ほど強いちからを持たない魔獣たちはときおり、人間界と魔界のあいだに生じる小さな隙間をすり抜けてこちら側へ迷い出てくることがあるのだ。

 そういう純粋な魔獣や世界の隙間には瘴気があふれている。瘴気は単純にいえばこちら側の生物にとっては毒だ。触れれば死んでしまうものもいれば、気にあてられて魔獣化してしまうものもいる。


「どうしてすぐ言ってくれなかったんです? 教えてくれていれば、村人たちからなにか情報が聞けたかもしれないでしょう」


 二人は、魔獣を倒したり情報を得たりすることを生業としている。自然に詰め寄るかたちになってしまうのは当然だろう。ウィルは自身を落ち着かせるため小さく息を吸うと、ゆっくりと言葉を吐き出す。


「そんなものがあるということは。他にもいる可能性が」


 いねーだろ、とかぶせ気味にメビウスは言う。


「他に見つかってりゃすでに騒ぎになってるさ。魔獣が一匹出たって情報しかなかった時点で他には見かけられてないってことだよ」

「…………」

「下手に脅かすこともねぇだろ。ボアは魔獣になり切っていなかった。これにはもう瘴気は残ってねぇし、元々あの猪を魔獣化させるには小さすぎたんだ。この辺りは魔獣が少ないってことで知られてる。こんなものを見せたところで、なにもでないさ」

「少ない地方に魔獣が出たと聞いたから、最優先で来たんでしょう。ああもう僕としたことが」

「はいはい、過ぎたことでくよくよしない。あんまり悩むとすぐハゲるぞー」

「誰のせいですか、誰の」

「あっ、焦げる!」


 わざとらしく(実際わざとだろうが)大きな声をあげて串を取るとはふはふとかぶりつく。ウィルは全く納得していなかったが、一度大きくため息をつくと目の前で美味しそうに焼けているカラフルなパプリカを手に取った。






「……野宿? これから? いま、ここで?」

「ん? 他にする場所がある?」


 きょとん、とした顔をしてメビウスが問う。背負っていた剣をベルトごと外して身近な岩に立てかけ、ころんと草の上に転がった。夜の冷たい空気と小さな虫たちの声が彼の身体を包み込むのを感じ、少年は楽しそうに目を閉じる。

 それを見て。


「そういう問題じゃありません!」


 思わず、怒鳴ってしまった。出してしまった声はなかったことにはできないのだから、ついでに飲み込んでいた疑問もすっきりぶつけてしまうことにする。


「ええ、ええ。変だとは思っていましたよ。いつもなら歩くのが面倒だとか言ってすぐ転移陣を使うのに、今日に限って夜の森を歩いてみたいだなんて」


 聞いているのかいないのか、メビウスは目をつぶったままだ。といって、この距離で聞こえていないということはあるまい。


「もしかして、最初から?」


 まさかという気持ちで少年をにらむ。視線を感じたのか、メビウスはゆっくりと目を開く。その大きな朱い瞳は夜空を映したままウィルを見ることはなかったが、意外にも笑みは浮かべていなかった。

 しばしの静寂が通り過ぎ。


「……うーん、半分正解で半分外れ。オレだってかけらは気になったからさぁ、森の中に手掛かりでも転がってないかなって思ったんだ。そう都合よく見つかるモンじゃねーからすぐ諦めた。あとはルシオラに任せるとして、半分はお前の言うとおりだよ。ま、たまにはいいじゃん? 大自然の中で寝るっていうのも」


 空気はきれいだし、お月様も真ん丸だし。


 そう続けてメビウスは悪びれずに笑った。その笑顔を見下ろし、ウィルはまた盛大にため息をつくと右手で顔を覆って肩を落とす。少年が考えを変える気がないとわかったからだ。


「確かに、空気は美味しいですが。坊ちゃんになにかあったらルシオラさんに怒られるのは僕なんですよ……」

「なにもないって。それに、もしなにかあったとして、ルシオラと二人きりになれるんだぜ? それはそれでアリじゃねぇの?」

「坊ちゃん!」


 からかわれていると知りながら、思わず語気を強める。そんな青年の様子をメビウスはにまにましながらしばらく見つめていたが、突然真顔に戻るとがばっと上体を起こした。長い三つ編みがひらりと揺れる。


「……なぁ、アレ」


 呟いた少年の視線はすでにウィルからそれている。つられてウィルもメビウスの朱い瞳の先を追い、空を見上げた。

 白い満月の中に、ふぅわりと影が揺れる。


 ――あれ、は。


「女の子だ!」


 バネ仕掛けのように一瞬で跳ね起きるとメビウスは駆け出した。彼の剣と自分の荷物を持ち、ウィルも後を追う。ほら、もうなにかが起こりかけてるじゃないですか、と呟きを噛み殺しながら。

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