コール・オブ・スカイ
ひゐ(宵々屋)
プロローグ 空と海の青の間にて
プロローグ(01) 二番目ねぇ
手を動かすように。足を動かすように。
背中の翼を、大きく羽ばたかせる。
形こそは鳥のもののようだが、光り輝くガラスのような翼。直接背から生えているわけではない。背負った本のような箱から生えている。
それでもこの翼は、身体の一部のように動かせ、大空を飛べるのだ。
海は遙か下で輝いている。雲は目の前にあって、あたかも巨大な山のよう。どこまでも続く空を見渡せば、宙に浮かんだ数々の島が見えた。
まさに自由といった感覚に、十五歳の少年アークは微笑んだ。無意識に大きく羽ばたき、更に高度を上げる。冷たい空気が気持ちいい。青いジャケットが翻る。
この翼があれば、どこまでも行けるのだ。この青く澄んだ大空を、どこまでも羽ばたいて行ける。そう、この、海よりも青く、どこか底知れない空の、どこまでも――。
そこで我に返って瞬きをする。
――ここから先は、確か緑ランク以下飛行禁止空域だ。
だからアークはその場に留まった。
もう少し先に行った空には、島が一つ、浮いていた。
――この翼があれば、きっと、どこまでもいけるだろう。
しかしいまはまだ「どこまでも」とは限らない。
……そして翼を得たから何でもできる、というわけでもないのだ。
「――おいおい、飛びすぎだって!」
声をかけられ振り返れば、同じジャケットを身に纏い、同じ翼を背に持って飛んでくる人影が一つあった。四つ年上の兄、カノフだ。後頭部の高い位置で一つに結った髪が風に揺れている。カノフは隣まで飛んで来ると、苦笑いをした。
「そこから先、お前はまだ行けないだろ? 事前調査の済んでない島も多い空域のはずだぞ」
「あの島に行ってみたかったんだ」
と、アークは先にあるその空に浮いた島を指さす。小さな池と木立が見える、綺麗な島だった。美しさを求めて作った模型のようだった。
その気になれば、飛んでいけるのだが、
「……ランクが上がれば、行けるようになるさ」
カノフはアークの肩を軽く叩いた。
――決まりがあるのだ、身を守るための。
遠くから見るには、とても美しい島。しかし木立に恐ろしい怪物が潜んでいるかもしれない。池は毒に満ちているかもしれない。もしそうだったにもかかわらず、力のない者が降り立ってしまえば。
「俺のランクが上がる頃には、もう流れてるよ」
アークは風に吹かれながらその島を見据えた――この空に浮かんでいる数々の島は、常にゆっくりと動いている。空を流れている。『旅島』とは、そういうものだ。
「でも、その時には、もっと気になる島が流れてきてるかもしれないぞ?」
カノフは笑った。と、はっとしたように懐中時計を取り出して、
「……そろそろ時間だ、本部へ戻らないと」
もうそんな時間なのか、とアークもカノフの時計を覗き込めば、確かにその時は迫ってきていた。
今日は、ランク昇格の日だ。
「ランクが上がったんだ、新しい武器がもらえるはずだぞ! 飛行権限も、探索権限も!」
カノフはふわりと舞い上がったかと思えば、大きく翼を広げ、そのまま青空と海の間を滑空する。翼がきらりと輝いた。アークも兄に続いて滑空する。
ランクが上がる。そう、ランクがやっと上がるのだ。カノフの言う通り、新しい武器が貰える。飛行権限や探索権限が広がる。
『探求者』として、また一つ、成長するのだ。
昨晩まではやっとか、と思うばかりで、アークは嬉しさを全く実感できなかった。が、いよいよランク昇格を認められるのだと思うと、大きく羽ばたいた。翼は風を切る。すると先を行っていたカノフを追い越す。驚く兄を置いて、アークはどんどん先へと飛んでいく。
「待てって、お前、自分が速いって自覚あるのか――」
後ろからそう声がしても、アークは振り返らなかった。
空を飛ぶのは好きだった。こうして速く飛ぶことが何よりも好きで、心地がよかった。子供の頃から、こうして空を飛びたいと思っていたのだ。翼を持ち、未知の島々を探索する『探求者』になりたいと思っていたのだ。
冷えた空気を切り裂くようにアークは飛んでいく。まさに大きな鳥が飛んでいるかのようで、しかし気分は鳥になったようなもの、と言うには言葉が足りない――新しい世界にいるような気分だった。それこそ、自分が進化したような。どこへでも行けるかのような気分。
と、前方に小さな点が見えてきて、先へ飛ぶにつれどんどん大きくなっていく。飛行船だ、あれは、海に唯一ある島『錨の島』から来た飛行船だろう。丸々とした船体は鯨のようで、空を泳いでいるかのように見える。
アークはその飛行船に近付いて、寄り添うようにして進んだ。船の窓からは船内の様子が見える。子供達が何人もいて、外を見ていた。アークに気付いて、彼らは手を振る。
「見てみてー! 『探求者』さんだ!」「すごーい! 飛んでるー!」「翼が生えてるー!」
子供達は目を輝かせてこちらを見ている。だからアークも手を振り返す。すると、
「あの人知ってるー!」「この前の大会で二番目だった人だー! すっごく速かったんだよ!」
――二番目。
憧れた様子の無邪気な言葉が刺さったものの、アークは苦笑いで誤魔化した。
「――二番目ねぇ……」
忘れていたわけではなかったけれども。
わずかに失速する。すると後から飛んできたカノフが追いつき、隣に並んで、
「それでも速いことには変わりないだろ?」
――しかし、二番目なのだ。
アークは苦笑いを浮かべたまま。
一番になれると思ったのに。
と、子供の一人が、船の進む先へ視線を移し、指さす。
「見て! 島が見えてきたよ!」
先の空には小さな点が浮かんでいた。徐々に大きくなっていくそれは、確かに巨大な島だった。その島は丸ごと街になっていて、一つの都市が空に浮かんでいた。そして島はいくつもの鎖に繋がれていて、鎖の先は遙か下、海へと伸びている。
あれが『第三の島』。人類が手に入れた、三つ目の空飛ぶ島。
そして『探求者』の島であり、文明と技術の発展の一番先を行く島だ。
【プロローグ 空と海の青の間にて 終】
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