噂の家

島倉大大主

 『噂の家』は、駅から歩いて十五分。普通の平屋とアパートに挟まれ、二車線の道路沿いにひっそりと建っていた。

 外観は二階建ての普通の民家だが、壁は白い塗装がくすみ、庭には雑草が生い茂っている。周囲は石塀に囲まれているが、大量の鳥の糞で汚れ、鉄の門は錆が浮いており、やはり錆の浮いた鎖でぐるぐる巻きにされ閉じられていた。

 実に判り易い空き家である。

 とはいえ、隣の平屋とアパート、道路の反対側にある家、いや駅からこっち、なんとなくだが町自体に活気が無く、ひっそりとしていて空き家のような雰囲気が漂っているのだ。


「ちょっと、あんた! その家に入る気なんじゃないだろうね」

 女性の声だった。

 私は内心かなり驚いたが、それを表に出さないように笑顔を浮かべ声の方を向いた。

 『噂の家』に面した平屋の窓から、老婆が顔を出している。

「……か、勝手に入るんじゃないわよ」

 老婆は私の顔を見て、一瞬だけ口ごもった。

 無理もない。

 私は太っている。身長は二メートルに近い。剥き出しの腕には髑髏と炎が絡み合ったタトゥーが入れてあるし、耳や下唇にはプラチナのピアスが付いている。

 私は汗でずれた眼鏡を人差し指で上げると、無理に笑顔を作った。

「いえ、そんな……入りませんよ、中には」

「じゃあ、なんでそんなとこに突っ立てるんだ?」

 私は嘘をついても仕方がないと思い、石塀に寄り掛かった。みしりという音がする。

「実はネットでこの家の噂を読んだんです。それで興味があって――」

「どっから来たんだい」

 私は、自分の家のある県の名前を述べた。老婆は心底呆れたという顔をした。

「何やってんだか……最近の若いのは頭がおかしいやつばっかりだ……」

「やっぱり、その――来る人が多いんですか?」

 そう質問した私の顔を、老婆は睨みつけた。


  私が小学生だった時に、両親が死に、莫大な遺産が入ることになった。親族は死に絶え、それを両親が相続し、そして私の物になったわけである。

 一生何もせずとも生きていけるだけの金がある。だが、何を成し遂げても、誰も心の底から褒めてくれる人がいない。


 ある日私は、何をやっても満たされないことに気がついた。



 食べても、学んでも、動いても、何をしても私は一杯に満たされない。逆に体に入れれば入れるほど、どんどん飢えが募っていく。

 終わりが見え、最後に辿りついてしまうと最悪だ。夜中に布団の中で突然体を跳ねるように動かしたくなる衝動に襲われる。

 風俗、有名なイタリア料理店、ベストセラー小説、最強を自負する格闘家――何もかもが、私にとって毒薬にしかならなかった。

 頭を抱え、悶え、疲れ果て、眠れぬ夜にスマホをひたすらいじる。

 そんなネットサーフィン中にふっと見かけた記事。

 馬鹿げた、ネットのまとめ記事。


 『謎! 謎! 謎の『噂の家』! 得体の知れない影が蠢く、その二階!』。


 半笑いで馬鹿にしながら読み始めた私は、数分後に同じ噂を取り上げた記事をむさぼるように読み漁ることになり、そして今やここで石壁にもたれているというわけだ。


 噂の家の二階で白骨死体が見つかったのは数年前、とのことだ。

 所謂孤独死だった、殺人だ、自殺だと様々な憶測がネットに流れているが、どれが真実かは判らない。そもそも、白骨死体があった事も真実かどうか疑わしい。


 その二階に何かが出る、らしい。


 探検に入った中学生が、二階で何かの影を目撃した。

 肝試しに入った大学生が行方不明になった。

 通りを歩いていた人が、得体の知れない物音や叫び声を聞いた。

 どうも途中から噂が独り歩きしている感じではあるが、今やこの『噂の家』はネットで最も有名な心霊スポットなのである。


 そそられた。

 幽霊なんてまったく信じていない。こういった事は間違いなく全てがインチキだ。


 だが、それがいい。


 終わりが見えない。

 食っても食っても、底が見えない。どこにも辿りつかない。

 それこそが、私が求めるモノなのだ。



「写真を撮ったらとっとと帰りな。それで満足なんだろ? 『いいね』とかしてもらうんだろう?」

 老婆は半笑いでそう言った。

 そんなもので満足なぞするわけがなかろうが、と私は笑いを浮かべ、スマホを出すと家の外観を二枚撮った。

「二階に――白骨死体があったそうですね」

 私の質問に老婆は窓を閉めかけた手を止めた。

「なんだい、そりゃ? ネットでそんな話が流れてるのかい?」

 ええ、まあと言葉を濁す私に、老婆はまたも半笑いになる。

「それでぇ? 今でも骨が転がってると? それとも幽霊がいると?」

 私は耳まで裂けたような作り笑いを浮かべた。

「いたら面白いな、と思ってここまで来たんですよ」

 老婆は一瞬身を引いたが、果敢にも私を睨みつけ毒を吐き続けた。

「な、成程ねえ。で、頭のおかしいお前さんは暗くなったら裏から入る気なんだろう?」

 私はぎくりと体を強張らせる。

 老婆は鼻を鳴らすと、窓の枠に手をかけた。

「あるのは鳥籠とりかごだけさ。それと、馬鹿が一人!」

 ぴしゃりと窓が閉まった。


 雲が出て月を隠すと、辺りはとっぷりと闇に包まれた。一応は関東圏だというのに、灯りのついた家は一件もない。おまけに街灯も無いから、農道はかろうじて判るのだが、畑はダメだ。

『噂の家』の侵入経路は畑を突っ切った所にある石壁の透間である。

 昼に下見した時ですら何も植えてない畑は真っ黒でだだっ広く、何か異様な雰囲気が漂っていた。それが夜の闇の中となれば、まるで沼のようだ。足を踏み出せばずぶりと沈む。

 驚いて、しゃがんでみるが、土は乾いているようだ。

 今、ちゃんとした方向に向かっているのか――やむを得ず、私は一度だけスマホを点けた。さっと足元を照らすと、黒い土には動物の足跡が点々と付いている。

 犬か? 猫――いや、これは鳥、か? それにしては大きくないか?

 私は自分の足元を見た。

 そうか、土がゆるくて体重をかけると、足跡が拡がってしまうのかもしれない。

 私は土に指を入れ掻き回す。さらさらとした土で、多分推測は間違っては――


 指に何か固い物が当たった。なんだこれは、と引き抜いてみると、それは十五センチくらいの細長い物だった。

 木? いや――骨?

 畑に犬か何かが埋めたのか? それとも、肥料の類か? いや、そんな話は聞いたことも無い――

 びゅいっと鋭い鳴き声が聞こえた。

 はっとして闇を見つめる。

 ばさばさと大きな羽音が聞こえた。


 やはり、鳥か。


 しかし、ここに鳥の足跡があるということは、畑に種が撒いてあるのかもしれない。

 まずいな、と私は思った。

 これは迷惑行為、いや軽犯罪として通報されるかもしれない。あの老婆と会話したのは悪手だったか。

 だが――スマホを翳すと、ほんの一メートル先に石壁の切れ目が見えた。

 何にせよ、入らずに帰るという選択肢はない。


 敷地に入ると、私はまず姿勢を低くして耳を澄ました。

 ひっそりと静まり返っている。

 あの老婆は寝たのだろうか。隣のアパートから誰か見てないだろうか。通報などされて、せっかくの機会が潰されるのはよろしくない。すぐに家に入りたい衝動に耐えながら、一分二分と時間が過ぎる。

 がーっと前の道を車が通る。じゃりじゃりと小石が跳ねあげられる音。それに被さって、小さな鳥の鳴き声が聞こえた。

 風が吹き、さわさわと何処かで木の葉が擦れる様な音がする。

 続けてさざ波のように、大量の鳥の小さな鳴き声が上から降ってきた。どうやら、敷地の中に木があるらしく、そこに鳥が巣を作っているらしい。

 だから、石塀が鳥の糞で汚れていたのか。

 そういえば、あの老婆はこの家の中にあるのは鳥籠だけだと言っていた。

 私は木があると思われる場所を見上げた。

 まさか――この家で飼っていた鳥があそこに巣を作っているのだろうか?


 情報通り、裏口は開いていた。

 誰も管理していないのかと驚いたが、ノブの感触を確かめると、どうやら壊れているようだった。滑り込むと台所で、何やら酷い臭いが漂っている。

 黴――埃――いや、これは――動物? 

 さっと前の通りを車が通り、ライトが家の中を一瞬僅かに照らす。


 ああ、鳥の糞か……。


 台所は酷い有様だった。

 埃と鳥の糞、そした土の足跡がぐちゃぐちゃに入り混じっている。どうやら私と同じように畑を通ってきた人が――いや人達がいて、土を落とさず歩き回ったらしい。

 まあ、私自身も土足なのだけれども。


 さて、と私は腕を組んだ。

 思い出として内部の写真を一枚ぐらいは欲しいところだが、フラッシュを焚くのは流石に目立つ。ならば、内部を探索してから最後に撮影をして素早く切り上げる――これが最善だろうか。


 まずは一階だ。

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