23 必殺・退魔逆流剣

 VRバーチャルリアリティ感覚――本作ではファントムセンスと呼んでいる――は実在する。


 こんにちのVRソーシャルにおいて、一般的に体験できるのは視覚と聴覚に限られる。

 しかし、一部のプレイヤーはVR空間では存在しないはずの触覚、さらには味覚や嗅覚をも経験する。

 自分のアバターを撫でられたときに相手の手の温もりを感じ、アイスキャンディを口に入れると冷たさと甘さを味わう、といった具合だ。

(*感覚の鋭さや種類には個人差がある)


 特筆すべきは、VR感覚が長じたプレイヤーによっては、獣人アバターの尻尾や耳などといったにも感覚を宿しうることだ。

 果てはに――バーチャル空間において、という意味だ――触れられていなくとも触覚を感じるケースも界隈のコミュニティでは報告されている。


 そしてこれらは訓練によって後天的に獲得できるものであり、感覚の度合いや有無そのものさえある程度コントロールすることができるようになるという。

 訓練方法は自己暗示や催眠術に近い技術が用いられるようだ。



 なお、VR感覚は"当事者"たるVRソーシャルの住人プレイヤーたちには世界をより快く楽しむためのものとして能動的に求められ、肯定的に受け入れられていることを重要な事実として付記しておきたい。



 ***



 右前方へ踏み込んで、右手の青龍刀を内側から斜めに斬り上げる。

 後退して回避運動をとるアヴィークが反撃に転じようとする。


 そこへ、剣を振り抜いて広がったセントラルおれの胸からビームが発射され敵を牽制。

 続いてミサイルで弾幕を張り、後方から攻め込んできたもう一体のアヴィークを足止めした。


 俺の動きに生じる隙、俺の視点からは死角になる方向は、セイバー夫人が完璧にフォローしてくれる。


「ルミナさん、ぶっつけ本番で悪いけれど、今からセントラルの機動力を上げるわ」

「リミッター解除ってヤツですか。本当にいきなりですね」

「ここまで立ち回れるほどお上手になったからよ。今のルミナさんなら、セントラルのフルパワーを使いこなせるわ」

「期待には応えてみせます。やってください!」


 一拍おいて視界の端に緑色の燐光がちらつき始める。


「全身の加速器ブースターをアクティブにしたわ。レバー操作がすごく繊細になっていると思うから慎重になさいね」


「了解――うおっ!?」


 左手の親指でそっとレバーを傾けた瞬間、すごい速さで視界が真横に流れて数歩離れた場所に移動した。

 ほとんど瞬間移動じみた速度だ。

 レバーによる移動だけでなく、自分歩く動きも使い分けることが重要と見た。


 もう1つのポイントは、機体の感度が上がった分だけ俺自身もセンシティブを上げていくことだ。


「ファントムセンス、感度5倍だ!」


 レバーを倒せば頬にびゅんと圧のある風を感じる。


 二体のアヴィークは相変わらずの超反応で捕捉してくる。


「せいぜい頑張ってついてこいッ!」


 俺は何度もコントローラをのレバーを倒し、敵を翻弄するように周囲を旋回。

 このプレイを見ている動画視聴者には、セントラルの姿が昔のLSIゲームのキャラクターのように点滅しては別の場所に現れているように見えるだろう。


 そうして手元でアバターを移動させながら、後ろに後ずさる。

 カカトが自室の壁に触れたところでセントラルは片方のアヴィークの眼前に“出現”、右の剣で突きを繰り出した。


「ルミナさん。正面、ナパームよ。旋回中にチャージを終えているから、こちらの突きにくるわ」


 目の前に橙色の熱い光が拡がった!


 既にセントラルおれは動いているし、向こうも動いている。



「だから、ッ!」


 俺は床を蹴り、身を屈めながら斜め前方へ一気に

 壁にぶつかるギリギリのところまで生身リアルの体をもっていけば、アバターの身体は一瞬にして体勢を変える。


 アヴィークの火球と正面衝突するはずだったセントラルおれは急角度で軌道を変え、ナパームとすれ違って敵の胴に密着した。



「これが秘技、バーチャル縮地しゅくちだッッッ!」



 胸オーブ下方の胸郭を貫いた青龍刀を引き抜き、こときれたアヴィークを蹴り倒す。


 同時に、左肩に熱く鋭い痛みを感じる。

 見ればセントラルの左腕は肩関節フレームに至る大きなダメージを受けていた。


「腕一本引き換えに一体、か」

「一応、といったところね。左腕はもう使い物にならなくてよ」

「腕はもう一本ありますから」


 夫人が「そうね」と応えてすぐ、最後のアヴィークが大鎌を振りかざし。


 ビームとミサイルの牽制をかわすことなく、黒い悪魔は正面から斬り込んでくる。



「感度10倍!」


 袈裟懸けの一撃に対しレバーを後ろ方向へごくわずかに入力、短距離の瞬間ブリンク移動でかわす。


 続いて踏み込んでの斬り上げが来る。

 白刃が風を裂くのを全身で感じながら上体をひねり足を斜めに捌いて回り込む。


 大鎌の軌道が低くなる。文字通り足を刈る攻撃だ。

 垂直に跳躍したセントラルおれを即死威力の火球が狙う。

 俺はコントローラのレバーを小刻みに入力し、空中でUFOめいた動きをとり回避――同時にアヴィークの背後に着地した。


 右の剣を担ぐ。

 セントラルのパワーとスピードを乗せた打ち込みは、クリーンヒットすればアヴィークといえども一撃で叩き斬ることができる。


が来るわ、ルミナさん」

「え――!」


 セイバー夫人の警告通り、振り向いたアヴィークの胸部が橙色の熱い光を湛えている。

 拡散する方の火球は威力が落ちる代わりにチャージが早い。


 目の前で放たれた灼熱の飛沫を、敵に叩きつけるはずだった青龍刀を横薙ぎにして振り払う。


「装甲オブジェクトが損傷。本体フレームへのダメージは無くてよ」


 視界の下端を見れば、脚部装甲がスの入った豆腐みたいな細かい穴をいくつも開けられていた。


「やぁぁぁぁーッ!」


 報復の一撃を上段から打ち下ろす。


 だが、先の防御は手痛いタイムロスだ。

 渾身の青龍刀は横に構えた長杖で受け止められ、震え続けるコントローラの振動が力の拮抗を伝えてくる。


 そして、黒い甲殻の中心がまたも煌々と輝き――俺にはそれが、奴の勝利を確信したに見えた。


「いちど後退しましょう。レーザーで牽制を――」

「レーザーは駄目です! パワーが落ちる!」

「どうするのかしら?」



「こうするッッッ!」



 俺の答えは――左腕!


 自分の腕を斜め下からえぐり込むように突き出し、アヴィークの光る胸へセントラルの左手に握らせた刃を滑り込ませる。


 切っ先が敵の胸オーブに触れた瞬間、視界に赤色の警告メッセージが明滅し、左手のコントローラが断続的な振動を始めた。


 HMDゴーグル越しの視界には、火花を散らして軋むセントラルルビを入力…(おれ)の左腕が見える。

 “自分”の腕が肩からもげ落ちそうなことを認識し、左の肩口から手首にかけてがカーッと熱くなって疼くような痛みを感じ始める。



っ……てぇ!」

「ルミナさん! 左腕部パワーダウンよ。これ以上はおよしなさい!」


 俺が苦悶する声を聞いたからなのか、セイバー夫人が慌てた感じで警告してくる。


 どこか冷静な頭の片隅で、夫人らしくないよ、と突っ込む自分がいた。



 だけど、今ここに立つは、腕の痛みに耐えている――!



「そうだ! こんなに痛いなら! ハズだ!」

「何を言ってるのルミナさん?」



セントラルおれよ! セントラルおれが傷ついて痛いのなら、俺がよなぁ! 動け! 動けよ、セントラルおれの腕――――!!」



 もう、自分でも何を言っているのかよくわからなかった。


 それでも俺は念じた。


 本当に全身全霊で、この世界げんじつに没入したんだ。




「ファントムセンス・! 感度3000倍だぁぁぁぁぁッ!」



 そして。



 俺のアバターからだは、きっとこころに応えてくれた。




 ***



「結局、アレはなんだったんでしょうね」


「おそらくネットワーク上の同期ズレだと思いまぁす。激しい動きを続けていましたし、ラグでおかしな結果になったりするものですからね!」


「物理演算の妙かもしれないよ。ほら、オブジェクト同士が引っ掛かってとんでもない方向へ飛んでいくことがあるだろう? あの時セントラルの腕は本体から外れかけていた。だから単なるオブジェクトとしてプレイヤーの制御をはずれてしまったのではないかな」



「実のところを説明すれば、かもしれないわね。けれど、わたくしたちがしたのはもっとだと思うべきよ」


「そう……ですね。そうですよ。ボクもそうだと思います」




「ええ。そうですとも。あの時、ルミナさんは確かに――想いの力をつるぎに乗せて勝利を掴んだのよ」





 ――――44分00秒。



 俺たちが叩き出したクリアタイムは、イベント期間終了までついに破られることはなかった。

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