第六話 紅人の千里眼
獄家で宴が行われていたのは昼前の事。代継ぎの儀式、千の舞が執り行われるのは月が真上に上る頃だった。始まってすぐに皆が酒に夢中になるのは分かっていた。日が暮れ始めたのに気付いた桜花はすぐに抜け道から外界へ逃げた。息苦しくて、泉が見たくなった。般若と一緒に行ったあそこに。般若が棲んでいた古い屋敷の井戸の蓋を開け、底に下りた。肌を刺す様な冷気がなんだか気分をすっきりさせた。底に下りて真っ直ぐ進んだ所に外界からの光が差していた。間も無く日は沈み、辺りが暗くなっきた。木々に囲まれた緑の中、笛の音が聞こえてきたのだ。こうして桜花と紅人が出会った理由だが、紅人が気を失っている間に桜花は獄家に戻ってしまっ。代継ぎの千の舞があるからだ。桜花が居なくなったのに気付いた夜千代は真っ先に泉に向かった。得意の迅速で。桜花は夜千代に見つからない様に真っ直ぐ獄家へは戻らず、寄り道をした。般若の墓へ、桜の折れていた枝に少しばかり花が咲いているのを供えた。
「般若。今宵、桜花は千鬼姫を継ぎます。あなたに見て欲しかった。」
そう言いながら月の位置を確認した。
「はぁ、そろそろ戻るか。」
渋々重い足取りで獄家への道に戻った。そのすぐ後に夜千代がそこへ辿り着いた。
「やはり、ここへ。」
桜の枝を見て呟いた。そして、急がずに桜花の跡を追った。
獄家へ戻った桜花はもはや幼き女鬼の顔ではなかった。美しい衣へ袖を通し、母から貰った扇子を手にした。もう、自由に生きる事は許されない。そう自分に言い聞かせる様に、目を閉じて腹を括った。そして、舞台へ上がっていった。舞台には綺麗な飾りがしてあった。しかし、それに劣らない千鬼姫がそこにはいた。桜の花が散る中、姫は踊り狂った。紅人にそれは視えていた。眼を閉じて千鬼姫を想った。美しく舞う姫に心を奪われた。鬼や妖であろうとも、関係ない。なんて凛々しく艶やかに…。瞳を閉じて溜息を吐く紅人に
「また覗き見?」
と、朱花が言った。気味が悪そうに紅人を見て不思議そうに首を傾げた。
「前から思ってたんだけど、紅人、人なの?」
紅人はそれ処ではなかった。美しい舞がいつ終わってしまうものか、目を開けられずにいた。ただ、ただ、千鬼姫を想った。やがて扇子を使った舞から剣の舞へ変わり、勇ましく剣を捌く姫に、心底激しい感情を抱いた。
なんだろう、この心臓を鷲掴みされる様な息苦しさは。紅人は姫が剣を鞘に納め、舞台を降りて行くのを寂しく見つめた。千里よりも程遠い、外界から。左眼に眼帯をしていたのは見えないからではなかった。見え過ぎるからだった。姫と出会ったあの時、痛む左眼を抑えながら眼帯を外していた。紅人は左眼に写した人や物を想うとどれほど離れていてもそれが見えた。気付いたのは三つになったばかりの頃だった。母に逢いたくて想った。そうすると仄暗い洞窟の様な場所に母の血塗れになった姿が浮かんだ。訳も分からず左眼を両手で覆ったが、母を想っていたせいでその残酷な映像はずっと映し続けていた。父が気付いた時には紅人の左眼に血の涙が流れていた。人が流すはずのない血の涙を、父は誰にも見られたくは無かった。
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