第二十九話 狂える月

 ≪月≫へと変身した恭子さんは、右手を頭上に掲げた。


「君に頼みがある。、アリスとかなえくんを守ってくれ」


 恭子さんから、ふたりを守る……?



「≪人狼インサニティ・コード≫」



 その瞬間、≪月≫のスーツ全体が紅く発光した。

 

 ≪月≫が、一瞬肩を震わす。

 身体が……痙攣している?


「恭子……さん?」


 と、そこで。

 痺れを切らした進藤憲一が声を上げた。


「俺も悠長に待っているつもりはない。何をするつもりか知らないが、先手を打たせてもらう」


 そう言って≪死≫が手を振るうと、三名の≪契約死者≫たちが一斉に≪月≫へと襲い掛かる。


『はじめましてっスけど……いただくっスよ!』


 まず先陣を切ったのは、≪皇帝≫だった。

 ≪月≫へと向けて、巨大な両手剣が振り下ろされた。


 しかし、それは目標を捉えることなく地面に叩きつけられた。


『な……!』


 その攻撃を、横へ跳ぶでも、後ろへ引くでもなく。

 ≪月≫は前へと避けたのだ。

 棒立ちの状態から、予備動作もない不自然な突撃。


 一歩間違えば直撃。

 しかし、獣のような素早さで≪月≫は≪皇帝≫に肉薄した。


 いつの間にか、その手には白銀の刀身をもつ日本刀が握られている。ただ、その刀身は白銀色であるはずなのに、光照り返すと血のような紅色に見えた。

 ≪月刀ブレイド・コード≫。先ほど偽物の≪月≫も使っていた武器だろう。

 しかし今、≪月≫はスキルの呼び出しを行わずにその刀を召喚していた。


 無意識に、スキルを使っている……?


『ぐ、あ……!』


 そのまま、下段からの斬り上げによって≪皇帝≫の胸が裂かれる。

 ≪正義≫の≪裁きの天秤≫や、≪太陽≫の≪灼熱刀≫のように音もなく切り裂くのではない。

 傷口から泥を血しぶきのように撒き散らしながら、力任せに刀身を押し込む斬撃。


 思わず、目を背けたくなる。


『く、そ……』


 すると、≪皇帝≫の全身が泥へと変化し、崩れる。

 ここでようやく、僕はアレが造り物の少年だったことを思い出した。


『な、なんなんだあなたは……!』


 次に≪月≫へ詰め寄ったのは、≪節制≫。おじさんだった。


『う、≪天使の両翼ウィング・コード≫……!』


 翼によって加速する≪節制≫。

 ≪月≫の背後を取ろうとするが――。


 ≪月≫もまたの≪アルカナ≫。

 再び、スキルの宣言もなく先ほど偽物の≪月≫が使用していたのと同じ≪月輪ウィング・コード≫を呼び出す。

 それは翼というよりも、背中に後光のように展開する輪だった。


『な……は、速い!?』


 一瞬にして≪節制≫は四肢を切り落とされる。

 ≪月≫はそのまま、宙に浮く形となった≪節制≫の胴を、刀で串刺しにした。

 形が崩れ、泥となる。


 もはや確信することができた。

 恭子さんは、おかしい。

 平静ではないことはもちろん、異常な残虐性を発揮している。

 ≪人狼インサニティ・コード≫というスキルが原因で間違いない。


「インサニティ……狂気の力というわけか。だが彼女は、殺せないだろう」


 紅く光る≪月≫の前に立ちはだかるのは、造り物の≪月≫。

 だが恭子さんにとっては、かつての仲間だった相手。


 同じ刀を持ったふたりが、同じ翼で詰め寄る。


『恭子さん……わたしのこと、斬ったりしないですよね?』


 造り物の≪月≫は、か細い声で言った。

 しかし――。


『あ』


 一切の躊躇なく、紅い≪月≫は、恭子さんは、かつての仲間の首を撥ねた。


「≪死の足音リープ・コード≫」


 それでも、わずかでも、隙が生まれるはず。

 僕ですらそう思った。


 ≪死≫を纏った進藤憲一は、≪月≫に狂う恭子さんの背後へと瞬間移動した。

 

「……か、は」


 

 進藤の胸は、瞬間移動したその時にはすでに≪月刀≫で一突きにされていた。


「お前も大概、化物だ。鑑恭子……」


 恭子さんは、何も答えない。


「すまないな、洋子ようこ……。君を生き返らせることは……」


 最後まで言葉を成すことも適わず、進藤憲一は黒い粒子となって霧散した。


 そして、ゆっくりと、紅い≪月≫がこちらを振り返る。


 紅く照り返すバイザーによって顔は見えないはずなのに、何故だろうか。

 僕には彼女が笑っているように思えた。




、アリスとかなえくんを守ってくれ』


 その言葉を、思い出した。

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