第84話 戦略的撤退。

「それじゃ、社労士さんに連絡とっていろいろ手続きするからね。あとは任せて。」


 はい?なぜここに社労士が出てくるの?


「あの税理士さん、なぜ社労士さんが必要なんですか?」


「は?何を言っているの?さっき全部説明して、あたるくんは『そういうことで良い?』という私の問いに『はい』って返事したでしょう。」


 再度確認してみると・・・税理士さんは僕の会社に就職することになっていた。そうすれば社会保険も年金も健保も半分会社負担で付くからだそうで、知り合いの社労士さんにもうメッセージは入れたという・・・。さらに、会社というか僕の家のドミトリー部屋をひと部屋改装して住むんだそうだ。給料はこれから応相談だと。


「他のクライアント探さなくていい上に、社会保障と住まいまでゲットとかもう、なんて天国?4年前に会社立ち上げの相談受けて良かったわぁ。この4年間売り上げ推移見てて、こりゃ化けるなと思ったのよ。それがもう来年には年商億単位確定だもの。税理士事務所で税理士業務やっているより、断然面白そうだわ。私の人件費なんてあたるくんの会社にとってはゴミ程度のものよ。これで海外の会社のほうもこっちの会社の方もバランス良くかつ税務署に目を付けられないようにうまくやるわ。むしろさらに売上を上げて・・・・」


 ひとりは従業員欲しかったから、良いかなとは思う。思いはするが何か違う気もする。僕が欲しかったのは、生活には一切干渉しない従業員で、できればお姉さんとはいっても、年下が良かった。え・・・?なんかまた恐ろしい視線が突き刺さっている気がするんだが。


 海外法人設立の最終サインのためにこの事務所にやってきて、まだ1時間程度でなんなのこの天地動乱な状況・・・。異世界の場合単なる逃避で逃げることができる可能性があるけれど、こちらは突然姿消せば、翌日には親せきや家族に話が伝わってる可能性があるから、透明化と転移で逃げることもできないよね。


「それではとにかく今後の打ち合わせ再開ね。海外法人の件は終わりだから、あとは国内法人の方との関係性。一応向こうを本社にして、こちらは支社扱いにするわ。連結決算させるために、資本金の出資者割合を海外法人とあたるくん個人で持つ感じかな。あたるくん個人の持ち株を新会社の増資に割り当てる方向でも考えてみるわ。そのあたりの登記や税務関連は任せて。大学の同期の弁護士にも相談するわね。確か国際法律事務所に入った同期がいるのよね。来週には向こうの登記が完了するから、実際の動きはそれからね。登記完了に合わせて向こうに行きましょう。銀行口座開設を待っているより行って作った方が方が早いわ。パスポートと登記書類があればできるはずだし。私の仕事の引継ぎが終わるのと同時に行けばいいかしらね。」


 もうすっかり主導権を奪われている。僕の会社のことなんだけどな。まあ面倒事はお任せでいいか。裏切るとかそういう心配だけはこの人に限っては無い。なにげにこの人のことはずっと信用している。何故なのかな。


 とにかく全体の話をもう一度まとめてもらって、書類にしてもらうことにした。もう僕の能力の範疇を越えすぎていて頭が付いて行かない。税理士さんも事務所の所長に相談することがあると言っているし、何事も早急に決める必要はないと思うんだよね。しかしなんでこうなった・・・。


 税理士さんにこのあとの予定を聞かれ、特にないことを答えると、午後から時間空けて、昼食を一緒に摂るという約束をさせられた。まあ駅前だからブティックとかあるし、エレナの服はこの辺りで買えるからいいかな。


 ごめんなさい。スエットの下とTシャツ姿、かつ紙袋持ってブティックとかおしゃれなお店に入る根性なかったです。しかもまだ開店早々だもの。店を覗いても客がいない。急ぎ格安系の服屋さんに移動して、まずは自分の衣服からそろえることにする。


 自分の服選びは簡単なんだよなぁ。コットンパンツに適当なカットソー。Tシャツよりはちょいオシャレなやつね。ポロシャツみたいに襟のついているものはあまり好きじゃい。とにかく今のパジャマっぽい姿でなければいい。


 お店の人に声をかけられないうちに、速攻で選びレジで精算。一応裾上げだけはお願いしなければならない・・・いや、もしかしたらサイズ合わせって魔法でどうにかなるんじゃないか・・・。もう一度試着させてもらう旨をお伝えしてから試着室へ。裾の長さを合わせるイメージで気合を入れる。呪文はまだない。


 うむ。問題なく裾上げされた。数ミリ単位でも伸縮自在だ。店員さんに声をかけて、このまま着て帰る旨をお伝えして、着替えた服は、お店の袋に入れた。よし、これでパジャマ状態ではなくなったからOKだね。他の店にも入れる。おそらく。


 でもこの裾上げというか魔法でのサイズ合わせって、縮める場合は繊維密度が上がるんだろうか?じゃあ大きくすれば繊維密度が下がる?もしくはデュプリケートみたいに一部複製とか・・・でも縮める場合は切ってるわけでもないかならぁ。これも今後実験検証が必要な魔法のひとつだな。さて、次はエレナの服でも買いに行くか。


 ごめんなさい。自分の服を着替えた程度で、女の子用の服がメインで売ってるブティックとかおしゃれなお店に入る根性なかったです。というか、お客さんも店員さんも女性ばかりだし、店に入ったら『いらっしゃいませ。』とか言って近づいてくるんだよね。さらに『何かお探しですか?』とか聞かれた日には静かに店を去るしかない。


 22歳の男が『高校生くらいの女の子が着る服を探しています。』とか普通言えないよね?周りの注目は一気に集まり、『何あの人』とかいう幻聴まで聞こえ始める。とりあえず僕は戦略的に再び撤退を選択した。


「お待たせ、なぜまたこのお店でコーヒー飲んでるのよ。」


「いや、税理士さん、これにはいろいろ深い事情がありまして・・・。」


「服まで着替えて、私を待っていてくれたの?社長さん。」


「いや、そういうわけでは・・・。」


「あたるくん、社交辞令はこういう時に使うものよ・・・。もう本当に浮世離れしているというか、相変わらずよね。あと、もう『税理士さん』はやめてくれないかな。さっきの私の『社長さん』も一応は皮肉なのよ。」


「あ、はい・・・。でもなんてお呼びすれば・・・。」


 もう何年も『税理士さん』もしくは『税理士の先生』と呼んでいたから、何て呼んでいいのか・・・。


「そうね、小学生の頃のように『おねえちゃん』でもいいけど、さすがに20歳過ぎた青年にそう呼ばれたくはないから、普通に『茜さん』とかで良いじゃない?」


 うむ、その普通の呼び方がハードル高いんだよね。しかも自分で『さん』付けるとか、才女っぽくないわ。というか、小学生の時に接点なんてあった?


「だいたいあたるくんが今何を考えているかはわかるけど、きみはそれくらい言わないと人の名前さえ呼べないでしょう。」


 くそっ、いろいろ見透かされている。この方はサシャさんよりも手ごわいよな。


「あと、今日は午後休もらったからね。引継ぎ後は有給消化もあるし、正式にあたるくんと一緒に働くのはだいたい1か月後かな。でも心配しないで。有給中もお手伝いするから。こどもの頃のように、こちらからいろいろ質問してあたるくんが答えるのではなくて、どんどんそっちから質問とか必要事項は話すようにしてね。」


 あれ・・・小学生の頃にそういえば時々僕に話しかけてくれてたお姉さんが居たよね。あれって税理士さんだったの?高校生の頃の彼女は覚えてるんだけど・・・。僕が中学生になって少し経った頃、学校でいじめにあってメソメソ泣いているときに声をかけてくれたんだよね。あの時は不登校になりかけて、親にも姉にも相談できなくて、帰り道の公園でひとりうずくまってた・・・。『どうしたの?あたるくん。』とか言ってたもんな。僕の事その前から知ってたってことだよな・・・。


 あのときいろいろ質問されて、その僕の悩みにいろいろ答えてくれて・・・。自分の趣味に没頭する選択ができるようになったんだよね。その趣味の延長、今の【エルフ村】があるのも、税理士さんのおかげなんだよなぁ。だからそれ以降はなんでも相談したし・・・。いや相談というよりは、こちらが黙っていてもいろいろ質問を投げかけてくれて、悩みを引き出してくれたという感じか。僕の絶望した瞳をある程度普通に引き戻してくれた恩人だ。


「とりあえず、何食べる?相変わらずろくなもの食べてないでしょう?お昼から豪勢に回らない寿司でも行っちゃう?もちろん社長の奢りで。」


「あ、はい。税理士さんの好きなところでいいです。僕は好き嫌い無いですから。」


「わかったわ。普段接待にしか使わない高い店にしちゃうからね。」


 うむ、確かの彼女に恩はあると思うけど、この遠慮のなさは何なんだろうか・・・。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る