石屋の佐藤さん
「おう、どんどん積み込んでいけ! 昼までにあの区画を終わらすぞ!」
今日も朝から親方の掛け声が響く。
ここ、石佛工務店では、土木建築に使う石材を中心に扱っている。扱うのが重い石材だからか、職人には大柄で力の強い男ばかりだ。少しの例外はいるけれど。
「おう、高田! おめえも気を抜くんじゃねーぞ! 怪我するからな!」
親方の声に「へい」とだけ返して、石畳を荷車に積み込み続ける。
雨が降っても、道が
街の中は日々、馬車も荷車も行き交っているし、その交通量は随分と多い。金持ちが移動に使う馬車だけでなく、市場の品物を運んでくる荷車だって相当な数だ。
だが、いくら丈夫な石材を使っても、年月が経てば壊れる。
壊れるのは、決まって馬車の通りが多い道ばかりだ。
割れた石畳が増えてくると、その通りの石畳はまるごと交換になる。
今日の現場もその
明け方から通りを封鎖して、石畳を剥がしている。剥がした石畳はもう少ししたらこの工務店に運び込まれるだろう。入れ替わりに新しい石畳を運び込んで敷き詰める。
晴れてる間に終わらせないとならないし、いつまでも道を封鎖してたら苦情が来る。
石畳の張替えはとても忙しい。
見習いの自分も含めて、力自慢の男達が汗だくになって働いている。
見習いとは言え、オーガの自分は力が強いから、石畳の積み込みなら十分に働ける。
それでも親方は、自分にだけ細々とした注意をしてくる。
まだまだ見習いを抜けるのは遠そうだ。
作業が終わって、工務店に帰って来れたのは、昼の鐘が鳴った後だった。
現場での作業自体は昼の鐘よりも前に終わったのだから、間に合ったと思いたい。
急いで荷車を片付ける。
工務店の休憩スペースに入った時には、別の作業をしていた職人達はもう昼食を済ませたらしく、のんびりと雑談をしていた。
現場に出ていなかったのは、細工を担当している職人達だ。
石畳に滑り止めの溝を掘ったり、門柱に模様を刻み込んだりと、細かな手仕事を担当している。
細かな手仕事と言ったところで、相手は石だ。現場に出ている職人達にも劣らない力自慢が揃っている。多少の例外もいるが。
「どうぞ」
コトリと音がして目の前に冷えたお茶が置かれる。
「あ、すんません」
置いてくれたのは、細工担当の職員の一人で、佐藤さんだ。
大きく厚い眼鏡がトレードマークの職人だ。
工務店には自由に飲めるようにお茶が用意されている。
汗をかく仕事が多いからだ。
普段は飲み物は自分で持ってくるが、たまに外の現場からの帰りが遅いと、飲み物を配ってくれることがある。
細工担当の職人達は、仕事中は皆、目を保護するための眼鏡を掛けている。削った石が飛び散るからだ。
だが、佐藤さんだけは、仕事じゃない時もずっと眼鏡を掛けたままだ。
自分より一回りも二回りも体の小さい佐藤さんは、うちの工務店では数少ない女性の職人だ。周りが力自慢の男ばかりだからか、余計に小さく見える。
親方曰く、うち一番の細工師だそうだ。
だが、どうも自分は、佐藤さんが苦手だ。
それは自分が男所帯の中で育ったせいなのか、分厚い眼鏡に遮られて表情が読めないからなのかは、よく分からない。
冷たいお茶をぐびりと飲んでから、弁当を広げる。
早く食べないと昼休みが終わってしまう。
「おう、高田! おめえは今日は細工の手伝いだ」
ある日、親方にそう言われて作業場に入った。
自分は細工をしたことがないし、力には自信があるから現場に出ることが多い。だが、まだ見習いだからか、たまに親方は細工の手伝いに回してくる。
手伝いとは言っても、細工が出来ない自分に出来ることは少ない。
重い石を運ぶのを手伝ったり、細工で出たゴミを片付けたり、そんな所だ。
「高田くん、この石をあそこの台に置いてくれない?」
「へい」
佐藤さんに声を掛けられて、石を運ぶ。
彫刻に使う石は大きさの割に重い。みっしりしているというか、中身が詰まってる感じがする。
高さは1mもない角材を、腰を入れてもちあげる。
置く時も丁寧に。それは工務店に来て直ぐに教え込まれた。うちで扱う石材は商品だ、商品を粗雑に扱うやつはすぐに追い出すからな、と。
「ありがと」
「へい」
石を置いて、すぐに台から離れる。
作業用のエプロンを身に着けた佐藤さんが、ノミと槌を手に石材と向かい合う。
あたりの一つも入れずに、ノミを振るう佐藤さんの手に迷いはない。
「おう、高田! 見惚れるのはいいが、邪魔はすんなよ」
いつの間にか近くに親方がいる。
「あ、いや、べつに」
少し言葉に詰まるが、ついでだとばかりに口を開く。
「佐藤さんって、図面とか見ないんすか」
「あー?」と言いながら佐藤さんの作業している姿を眺めて、親方は言う。
「またあいつは。まあ、今回のは慣れてるからな。おめえはマネすんなよ」
マネも何も、細工をしたことすらないと思いながら、とりあえず「へい」とだけ返した。
「高田はいるか」
親方の呼びかけに「へい」と声を返して立ち上がる。
「佐藤の仕上げを見せてやる。作業場に来い」
再び「へい」と答えて、親方の後を追って作業場に入る。
言われるままに移動はするものの、仕上げを見せるの意味が分からない。仕上げといえば、研磨して滑らかにするくらいしか思いつかない。何か特別なことをするんだろうか。
そして、どやどやと、その場に居合わせた職人達が続いて作業場に入ってくる。
親方もちらりと職人達を見るものの、何も言わない。
だが、見られる方の佐藤さんはそうでもないようだ。
「親方、高田くんだけって言ってませんでした?」
相変わらずの大きく厚い眼鏡で表情は分からない。
「いいじゃねーか。ついでだ、ついで。おう、おめーらも邪魔すんじゃねーぞ」
それだけ言って、親方は佐藤さんに作業を促す。
佐藤さんは諦めたのか、軽く溜息をついてから、後ろで束ねていた髪を解く。
「よく見とけよ高田。メデューサの魔眼なんて、そうそう見られるもんじゃねえからな」
とりあえず「へい」と答えたものの、頭の中は追いついて来ない。
メデューサ? 魔眼? 彫刻の仕上げじゃないのか?
髪を解き終わった佐藤さんは、数日前から掘り続けていた彫像の前に立つ。
前に、自分が頼まれて台に乗せた石は、角材だった過去などなかったかのように神の像へと変身を遂げていた。
灰色ながらも光沢のある神の像は、どこかの礼拝所に納めると聞いている。
佐藤さんが眼鏡を外す。
ツリ目気味の金色の眼。
眼鏡の奥に隠されていた、鋭い瞳。
「始めます」
佐藤さんの言葉と共に、彼女の髪の毛がざわざわと波打つ。
それはいくつかの房に分かれて、鎌首をもたげるように持ちあがる。
髪の周囲には、魔力の光。
この光は知っている。自分のようなオーガも使う魔法の光。体に魔力を巡らせて、力を強くする強化魔法の光だ。
だが、髪に魔力を纏わせるのは知らない。髪を強化しても使いようがないからだ。
佐藤さんの髪に宿った魔力は、脈動するように、その光の強さを変える。
そして光の脈動に合わせて、佐藤さんの瞳に光が宿る。
一呼吸毎に強くなる光、それが宿った瞳に目が釘付けになる。
それは金色の宝石のようで。
魔力の光を宿した宝石は、ただ真っ直ぐに前を見つめている。
「終わりました」
その言葉で我に返る。
髪に宿っていた魔力の光は既になく、瞳にも僅かに残滓のような光だけが残っている。
佐藤さんが眼鏡を掛け直す。その瞳が隠れてしまうのを酷く惜しいと思っている自分がいる。
「どうだ。すげえだろ」
親方の言葉に反射的に「へい」とだけ返す。
ふと見ると、神の像が真っ白に染まっていた。
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