第10話 「絶対、行くから」
バスケを始めたのは、あたしが小さかったから。
もっと、大きくなれたら。
もっと、高く跳べたなら。
「はいっ!」
あたしは手を上げながら仲間の前を斜めに駆け抜けた。その少し先に向けて鋭くボールが弾き出される。
ギリギリ。でも、届く。届かなくちゃいけない。
掴んだ。右足を軸にピボット。一瞬だけ周りを見て行動を決める。
突っ込む。
少し行ったところでセンターにパスして、そのままセンターの右を駆け抜ける。
目の前にボールが来る。それを掴む。
「ふっ!」
ディフェンスの手を掻い潜り、レイアップ。
パサ、とネットが揺れた。
「よし」
小さくガッツポーズ。周りからもナイシュー、と声がかけられる。
そう、今は部活中。練習試合も近いから、皆熱が入ってる。
あたしだってそうだ。
スタメンは無理でもベンチ、交代要員として参加したい。試合に出たい。だから、こうして自分の力を示すんだ。
あたしの背は低い。だから、あたしに出来るポジションはポイントガードやスモールフォワードといった、スピードや技術を要求されるポジション。特に、ボールコントロールとか、保持力がないと話にならない。
で、性格的にスモールフォワードのほうが向いてるんだよね。実際、掻い潜ってのレイアップやフック、バックは得意だし、外からのシュートだってそこそこ入る方。逆に、少し視野が狭いからポイントガードには向いてないんだよね。情けないけど。
バスケって、実力もそうだけど、ある程度は経験と場慣れが物を言う競技でもある。いや、多分どんなスポーツも一緒か。あたしがバスケしか知らないからこんな言い方になっちゃうだけで。
身体能力、連携。それは重要だけど、練習でやってきたことを実戦でやってのける能力と度胸だってないとどうにもならない。
強かったチームが突然転落するのはこれが原因だったりする。上が強くて、その上の世代の力だけで勝ってたチームは、次の代で一気に落ちる。それは、経験もなければ場慣れもしてないから。
よく、強いチームが明らかに勝てる展開になった頃にベンチのメンバーを投入し始めることがある。
それは、経験を積ませるため。そうすることで試合に使える選手を育てていくんだ。
そして、今のチームの中で、あたしはそういうポジションになるのか、それとも準レギュラーぐらいにはなれるのか。そういう微妙なラインの上にいる。
出来れば、準レギュラーどころか、スタメンレギュラーがいいけど、そうもいかないよね。
練習後の部室で、あたしはキャプテンと二人だけで話をしてた。
「内海は、多分今度の試合で使ってもらえるよ。戦力として」
嬉しかった。
それはあたしの実力が認められたということだから。
「どう、嬉しい?」
「はい」
そうかそうか、とキャプテンは妖しい笑顔を見せた。
怖いですよ、キャプテン。
「じゃあ…… 彼氏は応援に来るんだ?」
「ええっ!?」
「何であんたがそこで驚くのよ。普通そんなもんでしょ?」
普通を知らないんです。
ていうか、秀平を連れてくると色々厄介なことになりそうな気がして。それも怖い。
でも、見て欲しいっていうのはある。あたしをもっと知って欲しい思いもある。
うぅ。連れて行きたいけど、来て欲しくもないこのジレンマ。どうしよう。
「独占してたいかな、やっぱり」
「そういう…… わけでも、ないです」
うん。独り占めとは少し違う。
「ただ、怖いんですよ。どんなにあたしの欲しい言葉をくれても、もっと可愛い子がいたら離れていってしまうかもって不安がずっと付き纏ってて」
私が秀平を信じ切れてないんだ。信じていればこんな不安もなかったはずなのに。
「そんなもんじゃないの?」
でも、キャプテンはあたしの不安をばっさりと斬って捨てた。
や、それもそれでどうかと思うんだけど。
「不安は誰だってあるよ。でも、それだけじゃない。自分で抱えてるのは不安だけじゃない。不安しかなかったらゴール下、2-3のゾーンの真っ只中にレイアップじゃ持ってけないからね」
それはバスケの話、とは言い切れなかったし、先輩も高校になってから久しぶりに目の当たりにしたゾーンにやられた口なんだろうな。
コーチとかの世代だとミニバスの頃からゾーンでやってきたみたいだけど、あたし達の場合は途中で禁止になったからね。
話が逸れてる。
あたしの不安はゴール下で密集した2-3のゾーンディフェンスみたいなものだ。あたしはただ、そこに踏み込むのが怖くてずっとボールキープしたまま立ち止まってるんだ。
入ってみれば、行けるのかもしれない。
「ありがとうございます。やっぱり、応援に来てもらいます。見てもらいたいのも事実ですから」
「そ。じゃあ、後で皆に紹介すること」
「う」
いや、それも怖いんですけどね。
次の日。
迎えに来た秀平にあたしは練習試合のことを切り出すことにした。
「今度の週末にね、部活の」
「あぁ、練習試合だろ? 知ってるよ。今、それでバスケ部頑張ってるしな」
知ってたんだ。
「うん。それでね、暇なら、本当に、どうしようもないくらいに暇で、他にすることもないんなら来て欲しいんだけど」
「そういう言い方をしなくても、行くよ」
「よかった。秀平が見ててくれたら凄く頑張れると思うから」
安心して、あたしは秀平に感謝の言葉を告げる。
「…… だから、どうしてそれを素面で言えるんだよ」
でも、秀平は顔を背けてた。
あたし、何か拙いことしたのかな?
「あぁ…… 愛が何かしたわけじゃない。ただ、ちょっと照れてるだけだ」
そっか。それなら良かった。あたしが何かしたわけじゃないんだから。でも、あたし何か秀平が照れるようなこと言ったっけ?
当たり前のことを伝えただけなのに。そこに何か照れる要素があったようには思えないんだよね。
「愛は、まっすぐだよな」
「それ、単純ってこと?」
「違うよ。褒めてるんだ」
言った秀平の顔は穏やかだった。
「自分の心にあることを当たり前に伝えられる。それって、俺にはあまり出来ないことなんだよ。愛に好きだっていうのは、頑張って伝えてきたのは、トシから愛が鈍いって聞いてたからだし」
トシ…… あんた秀平に一体何を吹き込んでんの。
「俺には出来ない生き方だよ。不器用でもあるけど、それは人を惹きつける生き方だよ。俺も、宮路やトシだってそうだったんじゃないのかな」
最後に、小さな声で「羨ましい」と言ってたのが聞こえた。
あたしは、ただ人に伝えたいことはすぐに伝えてきただけ。後になればその言葉は力を失うかもしれないから。
それをあたしが理解したのは、いつのことだったか。でも、何があったのかはよく覚えてる。あたしを取り囲む状況を初めて知った日だから。知らないわけがない。
「練習試合な」
唐突にあたしは思考の底から呼び戻された。
「うん」
「絶対、行くから」
それから、あたしは部活で準レギュラーとして使ってもらえることになった。
出番は、第3クウォーター。ハーフタイムを挟んでコート入れ替えで仕切りなおすから、そこで新しい流れを作りたいみたい。
バスケに限らず、スポーツにはある程度の制約がある。
当然だけど、ボールを持ったまま移動できるのは2歩まで。それ以上歩こうものならトラベリングという反則になる。ドリブルは一回やめてからは出来ない。ボールを保持したまま5秒経過してはならない。24秒以内にシュートしてボードにボールを当てなくてはならない。
5人はレギュラー。チームの主力。あたしを含む残りの5人は主力を支えるメンバー。最も、それは5人に限った話じゃない。ただ、その5人に残ることが出来れば、主力に何かあったときにレギュラーとして試合にでことが出来る。それだけの実力も要求されているんだ。
その中に、あたしはいる。1年生でたった1人。
負けたくない。負けてほしくない。その思いは、チームの皆が一緒だった。だから、試合は何も怖くない。
秀平もいてくれると思うから。
怖くなんてない。
怖くなかった、はずだった。
試合前最後の練習が終わった。
他の1年生部員と一緒に雑用をこなして、皆で着替えて、練習が一番ハードだったあたしは1人残ってストレッチをやり直してた。
明日には試合だから、念入りにしておかないと。疲れが溜まって試合で力が出ませんじゃ話にならないからね。
そんな時、部室のドアが乱暴に開かれた。誰かが忘れ物をしたのかな、と顔を上げた。
「調子に乗ってるみたいね」
そこに、あの日、あたしを取り囲んだ秀平のシンパがいた。
「佐間君よりも部活を取るんだ? だったら部活と付き合えばいいじゃない」
そうじゃない。
「大体、お情けで付き合ってもらってるみたいなものでしょ? 捨てられないうちに一緒にいたらいいじゃない」
違う。
あたしたちは、そんな安っぽい関係じゃない。
部活を取る? お情け?
「笑わせないで」
気付けば、あたしは相手を睨んでいた。
「部活を取る? お情け? 笑わせないでよ。馬鹿みたいにずっと一緒にいろっていうの? それこそ馬鹿よ。確かにあたしと秀平は付き合ってる。でも、それ以前にあたしはあたしで秀平は秀平でしかないの。今までに築き上げた関係であたしは秀平を好きになった。秀平も今までのあたしを見てきた。
そこに、あたしの部活はあった。情けなんてなかった。ただ本当にあたしたちは時間と心を共有できる関係でいたいだけ。心無く過ごす1日と、心通わせて過ごす一瞬なら、あたしたちは絶対に一瞬を選ぶ。
あたしたちは、そうやって歩いていくって決めたから」
あたしは負けないし、逃げない。
目の前に立ちふさがる困難と闘うと決めたから。どうにもならないことだってある。でも、それでも、その先へと進んでいく術はきっとあるから。
「あたしは、負けない」
こんな奴らに。
ただ妬むことしか出来ないような奴らになんか、絶対に負けない。
「そうだね。あなたは負けない」
声が聞こえた。
「かっこ悪いね。こんな集団で、やることは気に入らない人を追い詰めること?」
「何よ、横から出てきて」
「横からだけど、あなた達ほどかっこ悪くはないと思うけど?」
紗奈香先輩の声だった。
「この人、あの堤先輩をバックにつけてた人じゃん」
「あぁ。でも、今更関係ないんじゃない?」
この人たち、紗奈香先輩の昔を知ってるの?
でも、それが何になるのかなんてわからない。
「そうだね。今更関係ないよね…私も、いつまでも昔のままじゃない。自分の力で戦うことを覚えたからね」
この人も、あたしと一緒だったのかな?
どうにもならないと思い込んでた状況に負けて、流されていたのかな?
「さっき、愛ちゃんが自分の力で、自分の言葉で抗ったのを見てた。私も、自分の力で、言葉で抗う」
「それで何が出来るの、苛められてたくせに」
「出来るよ。言葉で抗うことぐらいならね」
ぐらいって言ってるけど、それがどれだけ難しいことかこの人はわかってるんだ。そうじゃなきゃ、あの言葉から自信は感じられないから。
「言うだけなら誰でも出来るって」
「そうだね。でも、暴力や脅かすだけなら猿でも出来るよね」
「っ!」
言われて、あたしを囲んでる人たちは一瞬で顔を真っ赤にした。
「手、使う? 暴力だけど」
「誰が猿だって!?」
「じゃあ、あなた達は違うの? 気に入らない相手を集団で脅かして、何がしたいの? 何を得たいの? 佐間から何を得たいの?」
完全に、紗奈香先輩の勝ちだった。挑発から正論。先の挑発で暴力を封じた。
「こんなのが佐間君の彼女だなんて納得できないじゃない!」
「納得するのは、本人だけでいいんじゃない?」
「いいわけないでしょ!」
「どうして? 付き合ってるのは愛ちゃんと佐間だよ。あなた達は何なの? 佐間は、あなた達をどう思ってるのかな?」
そう、ずっと聞きたかったことでもある。鬱陶しそうにしてた記憶はあるけど、明確に答えを聞いてこなかった。意図的にそこを避けていたというのもあるけれど。
「紗奈香、見つけてきた」
別の人の声だった。男子の声だけど、紗奈香先輩と仲がよさそうだった。
「喜嶋さん、何の集まりすか」
秀平?
「この人たちは、あなたと愛ちゃんを引き裂こうとして、愛ちゃんが1人になるのを待ってた集まり。愛ちゃんのためにもここで答えを出してあげたほうがいいと思うよ」
「そっか。ありがとうございます。中々尻尾見せないんで、どうしたもんかと思ってたんすよ」
あたしの前じゃ尻尾が何本もあったけどね。
「お前ら。俺は、愛が好きだ。愛は俺を道具にしない、アイドルで置物みたいにはしないから。愛じゃなきゃ、だめみたいだから。
何より、こうやって影でこそこそしてるような連中…… 反吐が出る」
あたしの周りにいる人たちが息を呑むのがわかった。
事実上の拒絶だからだろう。認めたくないかもしれない。
でもね、
「認めたくないかもしれないけど、認めなよ。それが、結果だよ。あたしだって、秀平が嫌いだったことある。でも、あたしは気付けた。気付かせてくれた人がいた。
あなた達は、みんなで同じものしか見てないから…… 考えなかったから。前のあたしを見てるようで、憎みきれないと思う。あたしは変われた。だから、あなた達も変われるはずだから」
言った。
そう、この人たちも、認めたくないものを認めないために排斥しようとしてただけ。あたしと一緒だった。あたしは、それを突きつけられるのが本当は怖かったんだ。
「…… 謝らないから」
「うん。期待してない」
そして、皆いなくなった。
残ったのは秀平と紗奈香先輩と、男の人。
「ありがとう、
「これぐらいで助けられるものなら、いくらでも。いつかのナイフを相手にするのよりはよっぽど楽でいい」
シュウギ、って随分変わった名前……
シュウギ?
「琴平先輩ですか?」
「内海か、元気そうで何よりだ」
中学のときの、男子バスケ部の先輩レギュラーだった人だ。高校では見ないけど、止めちゃったのかな。
そっか。こうやって、ずっと…… みんな繋がっていくんだ。
あたしも、いつかこうして誰かと繋がっていくんだ。そう、心の底から理解した瞬間だった。
以下後書
秀儀くん、本当は紗奈香さんと一緒に短編作品に登場してもらってたんですが、おそらく、こちらについては公開しません。
内容を改めて見直してみると、インスパイア元にそっくりすぎて盗作レベルでした。内容を改変できる気もしませんので、いじめられっ子の紗奈香さんを秀儀くんが助けました、というところだけ覚えておいてもらえれば。それに、この2人以降は殆ど出番ありませんし。
あと、今回のカクヨム掲載にあたり、改めて調べなおしてみると、現在はミニバス、中学バスケでゾーンディフェンスが禁止されているそうで、急いで該当部分を書き直しました。
ただ、それ以前にNBAでは普通に禁止されてたようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます