ヴォルフ ②

 フレアは今迄に見た事が無いほどの憎悪の目でジェシカを睨み付けている。

ジェシカはすっかりその瞳に射抜かれたように身をすくめてしまっていた。

俺はフレアの視線からわざとジェシカを隠す様に鉄格子の前に立った。


「フレア・・・。命令された通りにジェシカをここへ連れて来ぞ。」

そう、命令・・・そこだけ強調するように俺は言った。


「そう、ご苦労様。それじゃもう貴方は下がっていいわ。この人間と話があるから。」


フレアは腕組みをし、牢屋に近付こうとして・・・俺が立ちふさがった。


「どういうつもり・・・?ヴォルフ。」


「フレア。一体・・・ジェシカに何をするつもりだ?彼女はか弱い人間の女だ。俺達魔族とは違うんだぞ?」


「ヴォルフさん・・・。」


ジェシカが息を飲んだように俺の名前を口にした。


「あら?随分心外な言い方ね。大体、この人間が第1階層の迷宮を抜けられることが出来たのは私のお陰なのよ?」


「え?あ、あの声は貴女が・・・・?」


ジェシカの声には驚きが混じっていた。


「ええ、そうよ。私が介入しなければ、貴女は力尽きるまで永遠にあの迷宮から抜け出せることが出来なかったのよ。」


「・・・あ、ありがとうございます・・・。」


ジェシカが礼を言った!おい、何故礼を言うんだ?!お前をこの牢屋に閉じ込めているのは目の前にいるフレアなんだぞ?!


「ふ~ん・・・。一応礼儀はわきまえているのね?」


フレアは腕組みをしながら何処か小馬鹿にしたような言い方をした。

その時、フレアはジェシカが自分を抱きしめるような形で小刻みに震えている事に気が付いた様子で突然声色を変えてジェシカに詰め寄って来た。


「あら?何よ・・・貴女、震えているじゃ無いの。おまけに顔色も悪いし・・・。具合でも悪いのかしら?嫌だわ・・全く。もう、今日は行くわ。いい?明日までに体調を直しておきなさいよ?」


フレアは吐き捨てるように言うと、俺達の前から一瞬で姿を消した。


「お、おい!ジェシカ、大丈夫か?!」


俺はジェシカの手を握り締めた。冷たい・・・まるで氷のように冷え切っている。魔族の俺と大して変わらない体温だ。


「あ・・ヴォ、ヴォルフ・・・さん・・・」


ジェシカは青ざめた顔で俺を見た。


「待ってろ、すぐに温めてやるからな?」

鉄格子を挟んで俺はジェシカを抱き寄せると、自分の身体を発熱させた。

「・・・どうだ?ジェシカ。少しは・・・・温かくなってきたか?」

俺はジェシカを抱き寄せながら尋ねた。


「は、はい・・・。温かくなってきました・・・。」


余程寒かったのだろう。ジェシカの方から俺の身体に身を寄せて来た。


「・・・知らなかったよ・・。」


俺はポツリと言った。


「何がですか?」


「人間が・・・俺達魔族に比べて、ずっと体温が高いって事に・・・。」


「ええ・・・そうなんですよ。私も知らなかったんですけど、ノア先輩やマシューから教えて貰ったんです。


「そうか・・・。」

まただ、ジェシカはまたマシューという名前を口にした。一体何者なんだ・・?

本当にマシューという人物はジェシカを魔界へ行く手引きをしただけの人物なのだろうか・・?自分の心がモヤモヤし、少しだけ苛立ちを感じた。


「ヴォルフさん・・・。」


ジェシカが俺に話しかけて来た。


「ヴォルフでいい。」


俺はぶっきらぼうに言う。


「え?」


「俺の事は呼び捨てで構わない。それと・・・敬語なんか使うな。」


俺はジェシカを強く抱き寄せると言った。ジェシカは不思議そうに俺を見つめていたが・・・。


「うん・・・。分かったわ。ヴォルフ。」


「そうだ、今度からそうやって話せ。」

俺は満足して頷いた。


「ねえ、ヴォルフ。あの女性・・・フレアさんが・・・私をここに閉じ込めるように貴方に命令したんでしょう?」


「あ、ああ・・・。そうだ・・・。」


俺は歯切れ悪く答える。


「・・・すまなかった。」


「ヴォルフ?」


「俺は・・・どうしてもフレアに逆らう事が出来ないんだ。何故なら・・俺はフレアよりも身分が低く、何より俺の父が使えている貴族だから・・・。」


「そう・・。やっぱり魔界にも厳しい上下関係があるのね・・・。」


ジェシカは目を閉じながら言う。


「おい、ジェシカ?どうしたんだ?」

何だか先程からジェシカの様子がおかしい。それに・・さっきまでは身体が氷のように冷え切っていたのに、今ではかなりの熱を持っている。

俺はジェシカの額に手を当てると・・・

熱い!彼女の額はとても熱を帯びていた。どうやらジェシカは風邪を引いてしまったらしい。


「ジェシカ・・・大丈夫か・・?」


俺はジェシカに尋ねてみた。いや、大丈夫なはずは無いだろう。ここは魔界だ。人間界とは全く違う、異なる世界なのだから・・・。

この寒い世界で風邪を引いてしまったのかもしれない。


「ジェシカ?ジェシカ?」


今では完全にジェシカは意識を無くしている。駄目だ・・・こんな状態のジェシカを放って置くことなど出来るはずが無い。

俺はジェシカをそっと床に寝かせると、自ら牢屋の中へと入った。


そして用意しておいた毛布を床に敷き、ジェシカをそこの上に寝かせると、魔法で暖炉を出して、俺の魔力を注ぎ込んだ火を暖炉に灯す。

途端に牢屋の内部は温かい空気で満たされる。


「ジェシカ・・・。お前の目が覚めるまで温めてやるからな?」

そしてジェシカの隣に身体を横たえると、彼女を腕に抱き締めた。

ジェシカの身体はとても小さく、俺は益々罪悪感が募って来る。

華奢で小柄な身体で、第1階層で恐怖で足がすくんでしまっていた白い猫。

ナイトメアに命を奪われかけた時には泣きながら詫びていた姿・・・そしてその後、猫の姿から人間の女へと姿を変えた時の俺の受けた衝撃・・・。

いつしか・・・俺はジェシカから目が離せなくなっていた・・。

俺は腕の中で眠っているジェシカをより一層強く抱きしめるのだった—。




「どういうつもりなの?ヴォルフ。」


牢屋に戻って来たフレアが腰に手を当てたまま不機嫌そうに俺を見降ろして言った。


「どういうつもり?とは?」

牢屋の中で俺は答えた。



「だから、何故こんな牢屋の中に貴方はいるのよ?しかもいつの間にか暖炉まで用意しているし・・・。」


フレアは爪を噛みながら言う。


「フレア・・・。お前・・・ひょっとして何も気付いていなかったのか?」


まさか・・な・?でも念のために確認してみよう。


「気付く?一体何の事?」


フレアはさっぱり分からないと言わんばかりに首を捻る。そ、そんな・・・嘘だろう・・・?


「フレア・・・お前、人間にとってこの魔界が・・・俺達の身体がどれだけ冷たく感じるのか・・・分かっていなかったのか?」


「え?な、何よ・・・その話・・・。」


フレアは一瞬身体をよろめかせた。


「う、嘘でしょう・・・?た、確かにノアの身体は私達魔族よりもずっと温かいのは知っていたけど・・・人間にとっては、そんなにこの世界は・・・私達の身体は冷たく感じていたって事なの・・・?」


「あの人間の男・・・ノアは何もお前にはその話をしたことが無かったのか?」


「え、ええ・・。ある訳無いわ!だって、知っていたらとっくに私は・・何か対策を考えていたもの・・・。」


「ノアは・・・余程お前に気を遣っていたんだろうな・・・。ジェシカには魔界がどれだけ寒くて、辛い場所なのか・・話していたみたいだが?・・・最もどうやって2人がその話をする事が出来たのか・・・俺は知らないがな。」


「くっ・・・・!」

フレアは悔し気に呻くと言った。


「ノアの様子を…見に行って来るわ。」


言うと、フレアは再び牢屋から姿を消した—。






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