第10章 1 逃げる彼、追う私

  ピーターと出掛けて1週間が経過した。今日は私の愛車が手元に届いた日である。


「へえ~これがハルカの自転車なの?」


アンジュが興味深げに新しく届いたばかりの自転車に興味を持って見ている。


「うん、そうよ。今まではピーターさんに自転車を借りてばかりだったけど、これで今日から私も気兼ねなく自転車に乗って王都に行く事が出来るわ。」

私は届いたばかりの自転車を満足気に見ながら言った。

今回購入した自転車はこちらの世界では最新モデルで、少しだけママチャリタイプに似ている。これなら乗りやすいし、色もわざわざ女性らしい色のパステルピンクに染めてもらったのだ。うん、見た目も可愛くなったし、これで周囲からあまりジロジロ見られる事も無いだろう。



「王都に行きたいならボクが転移魔法で一緒に行ってあげるのに。」


アンジュは口を尖らせながら言ったが、最近のアンジュは我が家に古くからある図書館がお気に入りの様子で、1日中こもりっきりになっている。私も何回かその図書館へ行った事があるのだが、いわゆる魔力がかけられている本の様で、かなり強い魔力の持ち主で無ければその本を読むことが出来ないとかで・・・そもそも何故そのような本が我が家にあるのかは謎だが、魔法が全く使えない私にとってはただの落書きのようにしか見えないのであった。


「ハルカ、それじゃ今日も王都に行くんだね?」


アンジュは眺めていた自転車から視線を逸らして私を見ると言った。


「うん、ほら、資金を貯めておかないとならないからね?」

今日も私はトランクケースを持っている。それを自転車の後ろに積み込むと言った。


「それじゃ、出掛けて来るわね。お父様やお母様にも伝えておいて。」


「うん、行ってらっしゃい。」


アンジュに見送られ、私は自転車にまたがると王都へ向かった。




 王都へ着いたのは丁度お昼になる時間帯だった。

私はいつも利用しているリサイクルショップを訪れた。ここは最近お気に入りの店である。何故なら通常の店よりもかなり良い値段で買ってくれるからだ。

しかも頻繁に出入りするようになった私はこの店のお得意様のような存在になり、徐々に金額も上乗せしてくれるようになっていた。



「いらっしゃいませ。これはこれはジェシカ様。いつも当店をご利用頂きまして誠にありがとうございます。ジェシカ様のお持ちいただいた商品はとても品質が良いので、我が店でも客足が伸びてきているんですよ。」


「それは良かったです。私もそう言って頂けると嬉しいですよ。」

 すっかり私と仲が良くなった女性店員は最近はこんな風に店の内情まで詳しく話すような仲になっていた。


「今回はこちらの品ですか?え~と・・・衣類が7点に、アクセサリーが12点ですね・・。それでは査定をさせて頂きますのでこちらの椅子でお掛けになってお待ちください。」


私は店内にあるソファに座っていると、何やら外から騒がしい音が聞こえて来るのに気が付いた。

「え・・?何だろう?喧嘩かな?」

私は立ち上がって窓から様子を伺った。


「まあ・・・喧嘩ですか?ジェシカ様。危険ですので店内からは暫く出ない方がよろしいですよ?」


騒ぎを聞いた店員の女性は眉を潜めて言った。え・・・あの人は・・・?!

窓から外の様子を伺っていた私は息を飲んだ。

何と喧嘩の騒ぎの中心になっていたのは公爵だったからだ。


喧嘩の相手は・・・貴族と思われる身なりをした4人の男性。まさか・・・彼等は・・?

私はそっとドアを開けた。


「ジェシカ様?!どちらへ行かれるのですか?!」


女性店員が私を呼び止めたので振り向くと言った。


「ごめんなさい!あの方は私の知り合いなんです!」

それだけ言うと私はドアを開けて店の外へと出た。


往来の真ん中で4名の男性が公爵に向かって大勢で殴りかかっているが、それを軽々と避けて公爵は代わりに彼等を拳で殴ったり、蹴り上げたりしている。

余りにも強すぎてその差は歴然だ。

周りには大勢の見物客がいて、まるで高みの見物だ。


「いいぞーやれーっ!」

「あの黒髪の兄ちゃん、強いなーっ!」


等々・・・まるで無責任な台詞を言っている。

だけど、これは喧嘩だ。単なる暴力だ。どうして・・・公爵はこんな真似をしているのだろう?彼はこれ程残忍な人間だったのだろうか?


次々と男達は地面に倒れて行く。それを冷淡に見ていた公爵はさらに足蹴りしようとし・・・


「やめてっ!」

私は思わず飛び出して、公爵の身体にしがみつき、必死で止めた。


「ジェ、ジェシカッ?!」


驚いたのは公爵の方だ。

私を見下ろしたその目は驚愕に満ちている。周りでは私が現れた事により、一層騒ぎが大きくなる。


「お?なんだ?あの姉ちゃんは!」

「そうか・・・あの女が原因で喧嘩になったのか・・・。」


え?1人の野次馬の言葉が突然耳に飛び込んできた。

私が原因・・?どういう事?


「ド、ドミニク様・・・?」

今のはどういう事ですか?そう尋ねようと思ったのに公爵は私の顔をチラリと見ると、転移魔法を使って一瞬で姿を消してしまった。


 それを見た人々は、何だもう終わりかよと言いながらその場を立ち去ってしまい、後に残されたのは公爵に倒された若者達と私だけだった。


 暫く私は呆然と立ち尽くしていたが、彼らの呻き超えにはっとなり、慌てて付近の店に助けを頼み、彼らは病院へと運ばれて行った。

 

 それらを見届けると私はため息をついた。一体公爵に何があったのだろう?

分からない。もう私と公爵は2週間以上会ってはいなかったのだ。婚約者のフリさえしなければ、友人として気兼ねなく会う事だって出来たのに・・・。会えなくなってしまったのは全て私の責任だ。

 とりあえず私は先程いた店に戻り、査定してもらったお金を受け取ると、公爵の館へ向った。



「え?まだ戻っていないのですか?」

公爵邸へ行って聞かされたのは、まだドミニク公爵が戻って来ていないとの事だった。一体彼は何処へ消えてしまったのだろうか・・・?


「あの・・・よろしければこちらでドミニク様が戻られるまで待たせて頂く事は可能でしょうか?」

使用人の男性に尋ねると、彼は快く承諾してくれた。


「はい、何時頃戻られるかは分かりませんが、きっと公爵様もジェシカ様がいらしている事を知れば喜ばれますので。」


そして一つの部屋をあてがわれ、私はそこで公爵を待つことにした。



 それにしても遅い・・・。あれからもう5時間以上が経過し、辺りは薄暗くなってきていた。途中、お昼ご飯を出して頂いてから、まさか日が暮れても帰って来ないなんて・・・。

 

 そこで、私はホールに出てみた。そして通りすがりの使用人の女性を見つけて、呼び止めた。


「あの・・・すみませんが、公爵様はいつもこのようにお帰りが遅いのでしょうか?」


「ええ・・・・。実はここの所、ずっと外で飲み歩いて帰って来るようになりまして・・・。」


使用人の女性は目を伏せていたが、やがて意を決したかのように顔を上げて私を見た。


「ジェシカ様・・・。何故、公爵様との婚約を解消してしまわれたのでしょうか?

公爵様は、ジェシカ様と婚約されてからはそれは毎日がとても幸せそうな様子でした。今までこの館に長年仕えておりましたが、公爵様のあのような笑顔を見るのは初めてです。本当に公爵様は、ジェシカ様を大事に思っておいででした・・・。婚約を破棄したのは自分がまだこの城に仕えていたメイドの事を忘れられないからだと言っておりましたが、それは嘘です。私達には分かります。どうか・・公爵様を捨てないで頂けますか?!」


「え・・・?」

そんな、嘘でしょう?だって公爵は私とは良い友人になれそうだと・・・。

いや、違う。本当は私は自分で薄々気が付いていたのだ。ひょっとすると公爵は私の事を好きなのではないだろうかと。だから・・・その気持ちを利用するのは自分が卑怯者のように思えて・・・婚約したフリを解消してもらおうかと思ったのだ。でも・・まさか、本当に・・・?


「あ・・わ、私は・・・。」

そこまで言って言葉に詰まった。どうしよう、きっと公爵をあんな風に変えてしまったのは私のせいなのだ。


 その時、ガチャリとドアが開かれて公爵が帰宅して来た。


「ドミニク様・・・ッ!」

丁度、ホールにいた私は公爵と目が合う。


「・・・っ!」

途端に公爵は顔色を変え、身を翻して外へ飛び出してしまった。


「待って!ドミニク様!」

私は慌てて公爵の後を追いかけた。


 外は真っ暗で、今夜に限って月も出ていない。

「公爵様!ドミニク様!」

辺りを探しても姿は、見えない。一体、何処に・・・?


 月が出ていないので周りの景色が良く見えない。近くでは、川の流れる音が、聞こえてくる。そう言えば公爵邸の裏手には川が流れていたっけ・・・。そう思った瞬間、私は足を滑らせてしまった。

ドブーンッ!!

激しい水音と同時に冷たい川の中に落ちる。


 気付いた時には私の身体は水の中にいた。必死で頭を出して息をしようとするも、水を大量に飲み込んでしまう。

苦しい、川の流れの激しさと冷た過ぎる水で身体の自由が効かず全く動かない。


 もう駄目・・・私はまた死ぬのだろうか・・・?


 誰かが私の腕を力強く引き上げる感覚を最後に、私は意識を失ってしまった―。



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