第9章 4 アンジュ

 その時、12時を示す振り子時計の音が鳴った。

「あ、ねえ。お昼の時間だから私と一緒に食事に行かない?」


「え?お姉さんと一緒に食事?でも・・・。」


何故か躊躇う少女。

「どうかしたの?」


「だって、お金持ってきていないし・・・。」


「え?それじゃいつもお昼はどうしていたの?」


「ボクはあまり食事しなくても平気だから・・・。あ、でも全く食べない訳じゃ無いからね?ほら、これ見て。」 


少女は肩掛けカバンを持っていた。そこに入っていたのはりんごやオレンジ、ぶどう等が入っていた。


「いつも、こういう物を食べていたの?」


「う、うん・・・。」


少女は恥ずかしそうに俯く。

「うわあ!どれもすごく美味しそうじゃない!」


「え?」


少女は顔を上げた。


「ねえねえ、この果物と別の食事を交換してくれる?家に持って帰って食べたいから。その代わり、なんでも好きな物食べさせて上げる。」


「ほ、本当・・・?」


「うん、本当。さ、一緒に行きましょう?」


手を差し出すと、おずおずと繋いでくる。

私は少女の手をしっかり握りしめると言った。

「それじゃ、出ぱーつっ!」



「あ、ねえねえ。お姉さん、あの食べ物は何?」


「あれはドーナツだよ。」


「あ、ねえねえ。それじゃアレは何?」


「ああ、あれはね、ハンバーガーって言うの。食べてみる?」


「え?いいの?」


少女は目を輝かせながら言った。


「うん、勿論。」

私は少女を連れて店に入るとハンバーガーセットを2つ注文し、席に着いた。

「さあ、どうぞ。」

少女の前にトレーに乗ったハンバーガーセットを渡した。


「ねえ、食べていいの?」


「うん、どうぞ。」


パクリ。

一口ハンバーガーを食べると、途端に目をキラキラさせる。


「どう?」


「お、美味しい・・・。」


「そう、良かった。」


その後、少女は夢中でハンバーガーを食べ続け、あっという間に食べ終えてしまった。


「ありがとう!お姉さん。ボクこんな美味しい物、初めて食べたよ!」


「そ、そうなの?それなら良かった。」

私は少女を見て思った。ハンバーガーを初めて食べるなんて、一体今迄どんな生活をしていたのだろう?博識過ぎる位なのに、かと言えば妙に浮き世離れしているようにも見えるし・・・。


 折角お店に入ったのだからと私達はこの店でデザートも注文する事にした。

私はチーズケーキとコーヒーを。そして少女にはショートケーキとココアを頼んであげると、これもまた初めて口にしたのかとても感動しながら食べていた。


 注文したメニューを全て食べ終えると少女は言った。


「そう言えば、まだお互い自己紹介していなかったよね?ボクの名前はアンジュ。お姉さんは何て名前なの?」


「私?私の名前はジェシカ。ジェシカ・リッジウェイよ。」


「それじゃなくて、もう一つの本当の名前。」


「え?本当の・・・名前?」


「そう。だってお姉さん本当は別の次元の世界から来たんでしょう?その時は何て名前だったの?」


「あ・・・。」

少女に指摘されるまでは自分の本当の名前の事を忘れていた。すっかりこの世界に慣れてしまっていたからなのかもしれない。


「私の本当の名前は・・・川島・・遥・・。」


「ふーん。そうなんだ。それじゃボクはお姉さんと2人きりの時はハルカって呼ばせてもらおうかな?どう?」


少女はじーっと私を見つめながら言った。


「え、ええ・・。それは構わないけど・・・。」


「けど、何?」


「他の誰かと一緒にいる時は遥って呼ばないように気を付けてね。」


「うん、勿論。でも嬉しいな~ボクだけがお姉さんのを知ってるんだもの。」


「え?って何?」

聞きなれない言葉に私は首を傾げたが、少女は言った。


「ううん、何でも無いよ。ねえねえ、他にもお互い知りたい事色々あるでしょう?ここでもっとお話ししていこうよ。それにハルカだって魔界へ行くのに沢山情報が必要だよね?」


「確かに・・・そうだね。2か月以内には絶対魔界へ行かなけれならない訳だしね。アンジュ、もっと私に魔界について教えてくれる?」


「うん、勿論!でもその代わりハルカも元いた世界の事色々教えてよね?」


 

 こうして私達は夕方になるまで沢山の話をした。最も殆ど話をしたのは私の方だったのだが、今まで私が抱えていた秘密を話す事が出来て嬉しくも思えた。


「ねえ、アンジュ。明日も会える?貴女とはまだお話したい事沢山あるんだけど・・・。」


「うん。ハルカが望むなら毎日だって会っても構わないよ。」


「本当?嬉しいな・・・。だってね、貴女が初めてだったんだもの。本当の自分を話した相手って・・・。」

私はそっとアンジュの手を両手で包み込むと言った。

「本当はね・・・ずっと辛かったの。いきなり自分の書いた小説の世界に訳も分からないまま放り出されて・・・ジェシカって呼ばれるたびにずっと違和感だって感じていたし・・・。」

そこまで言ってようやく私は気が付いた。


 今迄多くの男性に好意を寄せられてきたが・・・彼等は一度も私を本当の名前で呼んだことは無い。いや、むしろ本当の名前など彼等が知る訳は無いのだが・・。

 この世界の私は偽物のジェシカ。彼等が好意を寄せているのは私ではなくジェシカなのだ。だから私は誰も選べない・・・選んではいけないのだとずっと無意識に自分の気持ちをセーブしてきたのだ。


「ハルカ?どうしたの?」


急に黙り込んでしまった私を心配したのか、アンジュが顔を覗き込んできた。


「うううん、何でもない。それじゃそろそろ帰ろうかな?アンジュは王都に住んでるの?」


「あ・・・ボクは王都には・・住んでいないよ。」


アンジュは視線を逸らせながら言った。


「そう?それじゃ私、これからタクシーで帰るから、アンジュも一緒に乗って行こうよ。アンジュの住んでるところまで乗せて行ってあげるから。」


「大丈夫っ!ボクはまだ王都でやらないといけない事があるの。だから帰るつもりはないから、ハルカは気にしないで家に帰りなよ。」


「そう?アンジュがそこまで言うなら・・・。あ!ねえ、明日何処に行けばアンジュに会えるかな?」


「ボクなら明日も図書館にいるから、ハルカの都合の良い時間に来れば大丈夫だよ。」


アンジュはにっこり笑いながら言った。


 そして私たちはお店を出ると、アンジュはこれから行くところがあるからと言って私に手を振ると去って行った。

アンジュの後姿が見えなくなるまで見送ると、私はタクシー乗り場へ向かいながら王都を歩いていると、遠目に見覚えのある後ろ姿が目に入った。

 黒髪に黒いマントを羽織ったその人は・・間違いない。公爵だ。

何故か足取りがおぼつかない様子でフラフラと歩いているようにも見えたが、どうにも顔を合わせずらく、私は声をかけずに再び歩き始めた―。


 

 タクシーに乗ってリッジウェイ家に戻って来た頃には日は完全に落ちていた。

両親には今迄何処へ行っていたのか心配されたが、特に咎められる事は無かった。


 それより気になったのがマリウスだ。未だに姿を見せないどころかアリオスさんの姿も無い。そこで私は夕食の席で父に尋ねてみる事にした。


「あの・・・マリウスとアリオスさんは・・どうしたのですか?」


「ああ、あの親子はこれから半月の間、自分の領地へ一旦戻る事になったのだよ。」


「えええっ?!そ、そうなのですか?!」

まさかマリウスが私にそんな大事な事を話さずに行ってしまうなんて・・・!もしやこれは父親であるアリオスさんの陰謀では・・・?


「何だ?マリウスがいなくて寂しいのか?」


父はどこか私をからかうように言うと、ワインを飲んだ。


「いいえ、そんなことはありません。」


そこだけはきっちり私は強調しておいた—。

















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