第19話 胡蝶

 わたしが胡蝶の夢を見ているのか、胡蝶がわたしの夢を見ているのか。

 「荘子」にある哲学問題である。この設問が二択から答えろというのなら、わたしは胡蝶の夢を見ていないため、胡蝶がわたしの夢を見ている方が正解だ。


 高原の奥地を探すと、胡蝶という蝶が見つかることがある。胡蝶は、自分が人であるという夢を見ていて、自分は人だと思っている。あなたがもし、自分を人だと思っているなら、あなたは胡蝶かもしれない。胡蝶が夢として体験している人生は、天才の人生である。胡蝶は、天才の楽園に生きている天才の人生を夢に見ている。胡蝶の夢の中では、天才たちが話し合い、驚天動地の議論をしている。

 胡蝶を探し、胡蝶の夢の中に入り、胡蝶の夢見る天才に会い、天才に教えを聞けば、天才の知識が手に入る。胡蝶たちが夢見ている天才たちの知識を集めると、高度な文明を築くことができる。人の夢の中の胡蝶を探すのもいいが、高原で胡蝶を探し、天才に会うのはどうか。かつて、夢狩り隊は、胡蝶の散在神経系を解析して、胡蝶の夢の中の天才の知識を知り、魔法文明を築いたのだという。

 わたしは胡蝶であり、ずっと胡蝶として生きた夢を見ている。わたしはずっと蝶の楽園で生きている。胡蝶の夢を見る人は、凡才なので、狩っても意味がない。胡蝶を夢見る人生もなかなか良いものだ。

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