第3話

 俺が桃ちゃんとまともにしゃべったのは、一昨日がはじめてだった。

 桃ちゃんから、付き合ってほしいと告白を受けた、あのとき。俺ははじめて、桃ちゃんの顔を真正面から見た。

 それまでは、春子をあいだに挟んで三人で話すことしかなかった。そのときにも話すのはほぼ春子で、俺と桃ちゃんがなにか言葉を交わすことはほとんどなかった。

 なのに桃ちゃんは、俺のことが好きなのだと言った。

 緊張したように胸の前で両手を握って、だけど真剣な表情でまっすぐに俺の目を見つめて。よく春子といっしょにいたこの女の子が、こんなにもかわいかったのだということを、俺はそのときはじめて知った。

 不安に揺れる目でじっと見つめられたそのときにはもう、俺は桃ちゃんが好きだった。我ながらちょろい、と今になればつくづく思う。



 帰り道、家の近くの公園の前を通りかかったところで、いやに目につく金髪が見えた。

「なにしてんの、春子」

 入り口のところから声を投げると、ブランコに座っていた春子が顔を上げる。

「あ、智」

「帰んないの?」

「うん、ちょっと」

 春子は歯切れ悪く頷いて、足下に視線を落とすと

「ほら、私、不良でしょ。あんまり早く帰ると不良っぽくないから、道草しようかなって」

「不良は公園で道草したりしないんじゃないの」

「そうなの? じゃあどこでするの?」

「知らないけど。ゲーセンとか?」

「えー、それはお金かかるからやだな」


 俺は少し考えてから公園に入ると、春子のもとへ歩いていった。

「なあ、春子」

 ブランコに座る彼女の前に立ち、彼女を見下ろす。

 小さな頃から見慣れた、幼なじみの顔。とびきり美人というわけではないけれど、たれ目がちの大きな目は愛嬌があって、幼なじみの欲目を差し引いてもかわいいほうだとは思う。

 だからこそ歯痒い。絶望的なまでになじんでいないこの金髪が、春子の良さをぜんぶ、ぶち壊している気がして。


「髪、黒に戻せよ」

「やだ」

 駄々をこねる子どもみたいに、ふいっと視線を逸らした春子は、足をぶらぶらと揺らす。

「マジで似合ってないっつってんじゃん」

「わかってるよ。それでもいいの」

「なんで。おばさんたちだって怒ってるだろ、絶対」

「まあ、いい顔はしてないよ、さすがに」

「じゃあ」

「でも、やめない。この髪」

 はっきりとした声で言い切って、春子が目を伏せる。そこには、俺がなにを言っても揺るぎそうにない硬さがあって、俺はため息をついた。思えば、昔から春子は見た目のわりに、頑固で強情だった。


「……なあ」

「ん?」

「その髪、俺が桃ちゃんと付き合いはじめたこととなんか関係ある?」

 ずっと気になっていたことを訊いてみれば、春子が顔を上げて俺を見た。

 そうして少しだけ考えるように黙ったあとで

「まあ、あるっちゃある」

「……あるのかよ」

「でも、智のせいとかじゃないよ」

 さっきの返事よりはっきりとした口調で付け加えて、春子はまた俺から視線を外した。夕陽が沈みかけた橙色の空のほうを見て、眩しそうに目を細める。

 よくわからない返答に俺が眉を寄せていると

「ねえ、智」

「なに」

「今日、桃ちゃんの様子どうだった?」

 唐突な質問に、俺はきょとんとして春子のほうを見ると

「なに、どうって」

「なんか変わったところなかった?」

「べつに。いつもどおり優しくてかわいかったけど」

「そっか。ならいい」

 俺の言葉になんの突っ込みもせずそれだけ呟いて、春子はまたぶらぶらと足を揺らしはじめる。

 その横顔は、もうべつのことを考えているみたいだった。


「いつまでここにいんの?」

「もうしばらく」

 陽に透けるその髪を眺めて、俺は小さくため息をつくと

「……あんまり遅くならないうちに帰れよ」

 あきらめてそんな言葉だけかけてから、踵を返した。

 背中には、んー、というなんとも気のない生返事が追いかけてきた。

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