情熱の果てに

結局、『偽生症(Counterfeit Life Syndrome)=CLSという病は一体なんだったのか?』という部分においては現時点でも明確な答えは出ていなかった。ワクチンすらいまだ開発されてはいない。しかし、ウイルスの封じ込め自体は成功しているので、このままリヴィアターネを封鎖し続ければ実害はないだろう。


総合政府発表による公式な犠牲者数、一億三四七二万八八十六人。一種類の感染症による短期的な犠牲者数としては他に類を見ない大惨事となった。もちろん、千年単位の長期的な犠牲者数なら、インフルエンザを始めとしていくつもの感染症がこれを大きく上回っているが、僅か数ヶ月の間にとなればやはり群を抜いていた。


しかも、入植が始まってまだ十年ほどだった為に人口も少なかったことが不幸中の幸いだった。最終的には十億人の入植が予定されていたのだから。もし、その時点でパンデミックが発生していたら、被害はさらに拡大していたに違いない。


リヴィアターネに残ったCLS患者も、明らかにその数を減らしていた。患畜についても同様だ。その為、CLS患者の処置を目的としたロボットの廃棄も、数年前に打ち切られていた。あとは、現在稼働中のロボットのみで対処される。


CLSについては、メルシュ博士がもたらしたデータを基に、さらに研究が続けられる筈だ。しかし、博士自身のCLSに対する関心は既に薄れていたと言える。また何か思い付けば実験を行うとしても、これまでのように大がかりなことはもう行わないと思われる。


イニティウムタウンが出来て既に十年。そこに住むリヴィアターネ人達にも、次の世代が生まれ始めた。クローン同士がペアとなり、自然な形で子を生したのだ。妊娠第一号となった子は残念な結果に終わったが、そのペアの次子は、ナノマシンによる妊娠補助以外には何も手を加えることなく、生まれつきCLSに感染しない人間として生まれてきた。その子を含めた十人中七人が、そういう子供達だった。


それは、リヴィアターネ人達が、このリヴィアターネに種族として根付き始めたということの証明だったのだろう。


だがその陰で、浮かない顔をしている者がいた。リリアテレサだった。


『博士…あなたは気付いてらっしゃいますか……?』


声には出さず、メルシュ博士に問い掛ける。いや、<メルシュ博士だったもの>と言うべきだろうか。


実は、博士自身、人工頭脳に自らの意識と記憶を移したことが影響したのか、完全な人間だった頃に比べるといくらか落ち着いたようにも見えていた。少なくとも、最も近くで、最も長く、メルシュ博士を見詰めてきたリリアテレサの目には、今の博士は、静止衛星軌道からリヴィアターネ人を見守り、その生存を補助する為のシステムのようにしか見えなくなっていた。


確かに、博士の行いに対して反発を覚える者も少なからずいる。しかしその程度のことはどんな社会であっても存在することであり、今日明日中に形となって噴き出すほどのものでもなかった。レオノーラ・アインスを始めとした一部のリヴィアターネ人らが抱えている博士に対する感情も、人間社会では珍しいものでもない。そして、当のメルシュ博士自身が意図的にそれを煽るようなこともしていなかった。あくまで流れに任せるつもりらしい。


『やはり、人間だった時の博士の方がエキセントリックかつエネルギッシュでしたね…』


今日も血まみれになりながらCLS患者の解剖を行っていたアリスマリアRを見詰めつつ、リリアテレサはそんなことを考えていた。


『アリスマリア・ハーガン・メルシュ博士はもう死んだのだと私は実感しました……


博士。今のあなたはただの抜け殻です。燃え尽きた灰のようなものです。私の主人は、アリスマリア・ハーガン・メルシュ博士その人なのです。博士の残滓でしかないあなたではありません……』


その日の夜。リリアテレサはメルシュ博士に申し出た。


「博士。お暇をいただきたく思います」


リリアテレサによる突然の申し出にも、メルシュ博士は動じることがなかった。


「そうか。残念だが君がそう言うのなら仕方ないね。長い間ありがとう。退職金という訳ではないが、今後のメンテナンスについては私が責任を持って保障しよう。君が存在しうる限り永久保証だ」


飄々と淡々と、必要なことだけ口にした。


そういうところは、人間だった頃と何も変わっていない。だが、それでもリリアテレサにとってはもう、違ってしまっていたのだ。


しかしそれは、リリアテレサの方も同じだったのかもしれない。リリア・ツヴァイという生身の肉体を得たことで、彼女は、人間に従うだけの単なるロボットではなくなってしまっていたのだろう。人工頭脳を本体とすることでロボットに近くなったメルシュ博士に対して、彼女は人間に近付いたのだと思われる。だから、ただ従い続けることができなくなっていたのだ。


これもある種の反逆と言えるのかもしれない。暴力も破壊も伴わないが、メルシュ博士に対する、明確な、


<リヴィアターネ人による反抗>


であり、


<体制に対する反乱>


だった。


「……」


それを確かめたメルシュ博士がどこか満足そうに目を細めていたことに、リリアテレサは何故か気付くことがなかった。もしかすると博士のことを人間と認識できなくなったことでスルーしてしまったのかもしれない。


そんな彼女の様子にも、メルシュ博士は嬉しそうに微笑んでいたのだった。


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