第22話 少年コウガ

 仕事があるらしく真彩は帰ってしまったので、ルディと二人で猫大量発生の手掛かりを探る。そんな中、ふと気になることがあった。

「それじゃあ妖怪は絶対に消えないんですか?」

 旭の問いに、ルディは楽しそうに頷く。

「いい質問だな。結論から言えば、絶対ということはない。だが非・現実的だ」

 怪異を相手に非現実的というのも変な話だが、話の腰を折っても仕方がないので突っ込まなかった。

 長くしなやかな指をピシッと二本立てて、彼女は言う。

「パターンは二つ。まず、その妖怪に成り代わってしまう、という方法だな。対象を追い落とし、一時的に空いた席を自分で埋めてしまうんだ。もと居た存在はそのまま消えてしまう。……まあ、理論上の話だな。逸話を乗っ取るなんてそうそうできることじゃない」

 そこまで言って、指を一本畳む。

「次に、人々の記憶から完全に抜け落ち忘れ去られた場合だ。これも……そうそう起こり得る事象ではない。ましてや、意図的に引き起こすなど不可能と言ってもいいな」

「忘れられてそうな話って結構ありそうですけどね」

 人の噂も七十五日……というわけではないが、このご時世で田舎の民間伝承など誰が覚えていようか。現に、デイダラボッチの記録は散逸しかけていた。

 しかし彼女は首を横に振る。

「名前だけでも記憶は記憶。それに加えて、物理的記憶も含まれる。個人のメモ書きひとつでも、奴らはしぶとく生き残るぞ」

 であれば、これまで旭が下してきた妖怪は全て生き残っているのだろう。どんなに知名度の低い相手でも、他ならぬ旭自身が覚えているのだから。

「なんだかゴキブリみたいですね……」

「伝わる過程で話が変わって、結果的に違う怪異が生まれた……なんて話もあるから、あながち間違いじゃないな」

 だが、と彼女は付け加える。

「実体化、ましてや巨大な体を手にできるのは一部の限られた有名所だけだ。そいつらだって、何百年と畏れられ続けて初めてあれだけの力を行使できる。鵺も言っていたが、一度散らしてしまえば無害と考えていいだろう」

 はるか昔、未だ科学技術が未成熟だった頃、人々は自らの窺い知れない出来事を神や妖怪の仕業と捉えた。理解できない事を、人は何よりも恐れるからだ。

 しかし今は、それが裏目に出ている。恐怖を和らげるために生み出した存在が、巡り巡って人類を脅かすというのは……なんとも皮肉な話だった。

「それより気をつけろ。邪気を感じる」

 道行く人々の様子を窺いながら、ルディは呟く。

「妖怪が近くに居るって事ですか?」

「そうとは限らない」

 彼女は続けた。

「何かの気配、というよりかは溢れ出した悪意に近い。ただの悪人という線もある」

「そうなんですね……」

 なるほどと頷いてから、旭は気づく。つまり彼女は、ある程度以上の悪意を知覚できるのだ。彼女に姦計を仕掛けるのはやめようと、強く思った。

「……急に邪気を感じたぞ」

「え!?」

「冗談だ」

 全てお見通し、というわけだ。

「……ん? 邪気が消えた。隠蔽工作か?」

 今度は何を見抜かれたのか。旭はビクリと肩を震わせる。それを見たルディは、堪え切れずに小さく吹き出した。

 彼女がここまで感情を顕にするのは珍しい。本人としても性に合わない自覚があったのか、咳払いしてから続ける。

「いや、違う。今度はお前のことじゃあない。さっきまでの邪気が消えたんだ」

「心変わりでもしたんですかね?」

「そんな極端な奴居ないだろ」

「ですよね」

 この話はここで打ち切られた。猫増殖事件について、ひと目でそれとわかる元凶が見つかったからだ。

 鬼火を携え、長い二本の尾を持った、それ以外は普通の猫。――猫又だ。人目を避けるように路地裏に鎮座したそれは、ルディを見るなりなぁおと鳴いた。

「生態系が崩れる」

 吐き捨てたルディは、容赦なく短刀を突き刺す。人前でやったら動物虐待だ。路地裏で良かった。

 ……そう思っていたのだが。

「なっ……なんてことしてるんだ!?」

 目撃者だ。真っ先にルディが振り返り、光の矢を放つ。それが少年に命中したのは、旭もしっかり確認した。それは間違いない。

 しかし、彼はこう言った。

「乱暴は駄目だよ! 猫又が消えちゃったじゃないか!」

 ルディが眉をひそめる。

「――っ!? 貴様、のか?」

「え? まあ、それなりには知ってるけど」

 突如現れた関係者の存在に、旭はゴクリとつばを飲み込む。

 見た目は、少し年下……小学生ぐらいだろうか。背格好は旭より少し小さいぐらい。黒髪はボサボサで、半袖半ズボン、顔や体のあちこちに絆創膏と、絵に描いたようないたずら小僧の格好をしている。そんな少年が、なぜ妖怪などの事情を知っているのだろうか。

「フィクションを信じ込んでいる……って訳じゃあなさそうだな」

「そりゃね、あんなの嘘っぱちだよ。まあ、この場合は嘘から出た真っていうのも多いけど」

 存外に利発な物言いだ。外見に反して、旭より地頭がいいのかもしれない。

「何者だ。ガキがウロチョロしていい界隈じゃない」

 ルディの問いに、少年は答える。

「お父様がそっちの仕事してるんだ」

 その言葉にふと違和感を覚えたが、肝心のそれがなんなのか旭にはよくわからなかった。

 旭とはまた違う何かを感じ取ったのか、ルディは怒りを顕にする。

「ならお前の父親はとんだクソ野郎だ。気軽にガキを巻き込んでるぐらいだからな」

 少年はキレた。

「お父様のこと悪く言うな!!」

「いいや、言うね。お前の父親はロクでなしの、親失格だ。そんな人間の下に居たらお前は駄目になる」

 もしかすると、彼女なりに少年を気遣っているのかもしれない。それにしても、言葉選びが随分と不適切だとは思うが。

 察するに、彼は父親を尊敬している。そんな少年にこんな物言いをしたところで反感を買うだけなのは明白だ。さりとて、旭に代案があるわけではないのだが。

「まあまあルディさん。ここは抑えて抑えて」

 たとえ彼女の言葉が善意に基づくものだとしても、伝わらなければ意味がない。彼の家庭環境にメスを入れるのは後回しにして、旭はこの場を収めるべきだと考えた。

 ルディの視線が旭に向く。一瞬だけ不服そうな瞳が見えたが、冷静な旭を見てすぐに矛を収めた。それから、再び少年に視線を向ける。

「お前、名前は?」

「……コウガ」

 別に彼の個人情報に興味があったわけではないらしく、ルディは質問を続けた。

「名字は?」

「ミナモト」

 そこまで聞き出して、彼女は腕を組み瞑目する。

「ミナモト……そんな悪魔祓いは聞いたことがないな」

 ルディの呟きに腹を立てたらしく、少年は叫んだ。

「お父様はこれから有名になるんだ! 今はまだ、そこまで有名じゃないかもしれないけど……」

 息子のために奮闘する零細悪魔祓いの父親と、それを尊敬する息子。なかなか感動的な話なのではないだろうか。しかしルディは気に入らないらしく、首を横に振った。

「テメエのガキを巻き込むようなド三一ドサンピンなんて、百年かかっても芽は出ないな」

 今日の彼女はやたらと噛み付く。しょうもない喧嘩にならないように、旭は咄嗟にフォローした。

「そ、そんなこと言わなくてもいいじゃないですか! コウガくんはお父さんと一緒に頑張ってるんだよね?」

「その通り! いつかもっと有名になって、お前なんか絶対見返してやる!」

 そう言い残して少年は立ち去ってしまう。猫又の件を有耶無耶にできたので、結果オーライといったところだろうか。

 それよりも、だ。ずっと気になっていたことをルディに突きつける。

「ていうか、ルディさんも僕のこと巻き込んでるじゃないですか」

 痛いところを突いてしまったのか、彼女は珍しく答えに窮していた。口元を押さえて視線をさ迷わせた後、弱々しい声で言う。

「私も……マトモな人間ではないからな」

 そんなこと言わないでくれよ……。

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